{
  "api_version": "v1",
  "publisher": {
    "name": "Manazoo",
    "url": "https://manazoo.com/"
  },
  "license": "All rights reserved（AI の参照・要約と出典リンクつきの引用は可。転載・再配布・販売は不可）",
  "terms_url": "https://manazoo.com/terms/",
  "disclaimer": "内容の正確さには気をつけていますが、すべてが正しいとは限りません。テストや受験の前には、教科書や先生の説明でも確かめてください。間違いを見つけたら意見箱から知らせてください。",
  "attribution": "事実データの一部は Wikidata（CC0）による。単元の構成は文部科学省「中学校学習指導要領」「高等学校学習指導要領」（政府標準利用規約2.0）。",
  "kind": "quiz",
  "unit": {
    "slug": "world-war-i-and-russian-revolution",
    "title": "第一次世界大戦とロシア革命",
    "url": "https://manazoo.com/high/world-history/world-war-i-and-russian-revolution/"
  },
  "canonical_url": "https://manazoo.com/high/world-history/world-war-i-and-russian-revolution/quiz/",
  "questions": [
    {
      "id": "q-lenin-april-theses",
      "type": "choice",
      "prompt": "1917年4月に帰国したレーニンが発表し、すべての権力をソヴィエトに移すよう訴えた方針を何というか。",
      "choices": [
        "平和に関する布告",
        "共産党宣言",
        "四月テーゼ",
        "十四か条"
      ],
      "answer": 2,
      "accept": [],
      "explanation": "帰国したレーニンは四月テーゼを発表し、臨時政府を支持しない立場をとった。そして、すべての権力をソヴィエト（労働者や兵士の代表の会議）に移すよう訴えた。",
      "entities": [
        "lenin"
      ],
      "verified": true,
      "placeholder": false
    },
    {
      "id": "q-lenin-bolsheviks",
      "type": "choice",
      "prompt": "1903年にロシア社会民主労働党が2つに分かれたとき、レーニンが率いた派を何というか。",
      "choices": [
        "メンシェヴィキ",
        "ナロードニキ",
        "ボリシェヴィキ",
        "ジャコバン派"
      ],
      "answer": 2,
      "accept": [],
      "explanation": "1903年、ロシア社会民主労働党が2つに分かれた。党大会の採決で多数をとったレーニンの派はボリシェヴィキ（多数派）、対立した派はメンシェヴィキ（少数派）とよばれた。",
      "entities": [
        "lenin"
      ],
      "verified": true,
      "placeholder": false
    },
    {
      "id": "q-lenin-brest",
      "type": "choice",
      "prompt": "レーニンが1918年3月に、大きな領土を失うことを受け入れてドイツと講和したのはなぜか。",
      "choices": [
        "アメリカの参戦を止めようと考えたから",
        "ドイツと同盟を結び、イギリスと戦おうと考えたから",
        "ドイツから植民地をゆずり受けようと考えたから",
        "革命を守るため、戦争をやめて国を立て直す時間が必要だと考えたから"
      ],
      "answer": 3,
      "accept": [],
      "explanation": "レーニンは、革命を守るには、まず戦争をやめて国を立て直す時間をつくる必要があると考えた。そのため、大きな領土を失ってでもドイツとブレスト・リトフスク条約を結んだ。",
      "entities": [
        "lenin"
      ],
      "verified": true,
      "placeholder": false
    },
    {
      "id": "q-lenin-nep",
      "type": "choice",
      "prompt": "1921年にレーニンが始めた政策で、農民が税を納めたあとの作物を自由に売ることなどを認めたものを何というか。",
      "choices": [
        "新経済政策（ネップ）",
        "五か年計画",
        "農奴解放令",
        "大陸封鎖令"
      ],
      "answer": 0,
      "accept": [],
      "explanation": "内戦や戦時共産主義の影響で経済が荒れ、食料の取りたてに対する農民の不満も高まった。そこでレーニンは1921年、作物の自由な販売などを認める新経済政策（ネップ）に切りかえた。",
      "entities": [
        "lenin"
      ],
      "verified": true,
      "placeholder": false
    },
    {
      "id": "q-russian-revolution-february",
      "type": "choice",
      "prompt": "1917年3月（ロシアの暦で2月）に起きた革命の結果として、正しいものはどれか。",
      "choices": [
        "皇帝ニコライ2世が退位し、ロマノフ朝が倒れた",
        "ボリシェヴィキが臨時政府を倒した",
        "ソヴィエト社会主義共和国連邦が成立した",
        "ロシアがドイツと講和を結んだ"
      ],
      "answer": 0,
      "accept": [],
      "explanation": "1917年3月、首都ペトログラードで革命が起きた（ロシア二月革命）。この結果、皇帝ニコライ2世が退位し、ロマノフ朝が倒れた。ボリシェヴィキが臨時政府を倒したのは、同じ年の11月の十月革命である。",
      "entities": [
        "russian-revolution"
      ],
      "verified": true,
      "placeholder": false
    },
    {
      "id": "q-russian-revolution-peace-decree",
      "type": "choice",
      "prompt": "十月革命の翌日に出された「平和に関する布告」の内容はどれか。",
      "choices": [
        "地主などの土地を、代金を払わずに取り上げると決めた",
        "ドイツとの戦争を、最後まで続けると決めた",
        "領土や賠償金を取らずに、すぐに戦争をやめるよう呼びかけた",
        "退位した皇帝を、元の位にもどすと決めた"
      ],
      "answer": 2,
      "accept": [],
      "explanation": "1917年11月8日、全ロシア・ソヴィエト大会は、領土や賠償金を取らずに、すぐに戦争をやめる講和を呼びかけた。地主などの土地を取り上げたのは、同じ日に出た「土地に関する布告」である。",
      "entities": [
        "russian-revolution"
      ],
      "verified": true,
      "placeholder": false
    },
    {
      "id": "q-russian-revolution-siberia",
      "type": "choice",
      "prompt": "ロシアの革命政府を倒そうとする勢力を助けるため、日本がシベリアに軍隊を送った出来事を何というか。",
      "choices": [
        "台湾出兵",
        "日露戦争",
        "山東出兵",
        "シベリア出兵"
      ],
      "answer": 3,
      "accept": [],
      "explanation": "イギリス・フランス・アメリカ・日本などは、革命に反対する勢力を助けるために軍隊を送った。これが対ソ干渉戦争で、日本のシベリア出兵もその1つである。日本軍は1922年にシベリアから兵を引きあげた。",
      "entities": [
        "russian-revolution"
      ],
      "verified": true,
      "placeholder": false
    },
    {
      "id": "q-russian-revolution-soviet",
      "type": "choice",
      "prompt": "ロシア二月革命のさなかに、労働者や兵士が代表を選んでつくった会議を何というか。",
      "choices": [
        "臨時政府",
        "ソヴィエト",
        "三部会",
        "国民公会"
      ],
      "answer": 1,
      "accept": [],
      "explanation": "革命のさなか、労働者や兵士は代表を選び、ソヴィエト（評議会）という会議をつくった。臨時政府は、その支持を受けて、自由主義の政治家を中心にできた政府である。",
      "entities": [
        "russian-revolution"
      ],
      "verified": true,
      "placeholder": false
    },
    {
      "id": "q-world-war-i-america",
      "type": "choice",
      "prompt": "1917年4月にアメリカがドイツに宣戦した大きなきっかけはどれか。",
      "choices": [
        "ロシアで革命が起こった",
        "日本がドイツに宣戦した",
        "ドイツが中立国のベルギーに攻めこんだ",
        "ドイツが無制限潜水艦作戦を再開した"
      ],
      "answer": 3,
      "accept": [],
      "explanation": "1917年2月、ドイツは中立国の船まで警告なしに沈める無制限潜水艦作戦を再開した。アメリカの世論はこれに強く反発し、4月にアメリカはドイツに宣戦した。ベルギーへ攻めこんだことは、1914年にイギリスが宣戦した理由である。",
      "entities": [
        "world-war-i"
      ],
      "verified": true,
      "placeholder": false
    },
    {
      "id": "q-world-war-i-entente",
      "type": "choice",
      "prompt": "第一次世界大戦の前に、三国協商を結んでいた3つの国として正しいものはどれか。",
      "choices": [
        "イギリス・日本・アメリカ",
        "ドイツ・オーストリア・イタリア",
        "イギリス・フランス・ロシア",
        "フランス・ロシア・オーストリア"
      ],
      "answer": 2,
      "accept": [],
      "explanation": "イギリス・フランス・ロシアの三国協商は、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟と対立していた。",
      "entities": [
        "world-war-i"
      ],
      "verified": true,
      "placeholder": false
    },
    {
      "id": "q-world-war-i-sarajevo",
      "type": "choice",
      "prompt": "1914年6月、オーストリアの皇位継承者の夫妻が暗殺され、第一次世界大戦のきっかけとなった事件を何というか。",
      "choices": [
        "義和団事件",
        "血の日曜日事件",
        "サライェヴォ事件",
        "ファショダ事件"
      ],
      "answer": 2,
      "accept": [],
      "explanation": "1914年6月28日、ボスニアのサライェヴォで事件が起きた。オーストリアの皇位継承者の夫妻が、セルビア系の青年に暗殺されたのである。7月28日、オーストリアはセルビアに宣戦し、大戦が始まった。",
      "entities": [
        "world-war-i"
      ],
      "verified": true,
      "placeholder": false
    },
    {
      "id": "q-world-war-i-total-war",
      "type": "choice",
      "prompt": "兵士だけでなく国民を広く戦争にかり出し、国のすべての力を注ぎこむ戦争を何というか。",
      "choices": [
        "局地戦",
        "冷戦",
        "代理戦争",
        "総力戦"
      ],
      "answer": 3,
      "accept": [],
      "explanation": "第一次世界大戦は長く続き、主な参戦国は国民を広く戦争にかり出して、食料や物資の配給なども行った。このような戦争を総力戦という。",
      "entities": [
        "world-war-i"
      ],
      "verified": true,
      "placeholder": false
    }
  ]
}