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辛亥革命(しんがいかくめい)

1911〜1912年・清(湖北省の武昌で始まり、各地の省に広がった。中華民国の臨時政府は南京)

フクロウ先生清(しん)を追(お)いつめたのは各地(かくち)の革命(かくめい)派(は)の蜂起(ほうき)と省(しょう)の独立(どくりつ)で、孫文(そんぶん)はその臨時政府(りんじせいふ)の代表(だいひょう)に選(えら)ばれた。しかし、新(あたら)しい国(くに)の実権(じっけん)をにぎったのは袁世凱(えんせいがい)だった。この「ねじれ」に注目(ちゅうもく)すると、その後(ご)の中国(ちゅうごく)の混乱(こんらん)がわかりやすい。

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  1. 列強(れっきょう)の進出(しんしゅつ)に苦(くる)しむ清(しん)に対(たい)し、孫文(そんぶん)は1905年(ねん)に東京(とうきょう)で中国(ちゅうごく)同盟(どうめい)会(かい)をつくり、三民主義(さんみんしゅぎ)をかかげて清(しん)を倒(たお)そうとした。
  2. 1911年(ねん)10月(がつ)10日(とおか)に武昌(ぶしょう)の新軍(しんぐん)が反乱(はんらん)を起(お)こすと、多(おお)くの省(しょう)が独立(どくりつ)を宣言(せんげん)した。1912年(ねん)1月(がつ)には、孫文(そんぶん)を臨時大総統(りんじだいそうとう)とする中華民国(ちゅうかみんこく)が成立(せいりつ)した。
  3. 1912年(ねん)2月(がつ)に宣統帝(せんとうてい)が退位(たいい)して清(しん)は滅(ほろ)んだが、臨時大総統(りんじだいそうとう)の地位(ちい)は袁世凱(えんせいがい)に移(うつ)り、袁世凱(えんせいがい)は独裁(どくさい)を強(つよ)めていった。
いつ
1911〜1912年(ねん)
どこ
清(しん)(湖北(こほく)省(しょう)の武昌(ぶしょう)で始(はじ)まり、各地(かくち)の省(しょう)に広(ひろ)がった。中華民国(ちゅうかみんこく)の臨時政府(りんじせいふ)は南京(なんきん))
誰
孫文(そんぶん)・袁世凱(えんせいがい)・宣統帝(せんとうてい)(溥儀(ふぎ))
何
武昌(ぶしょう)の蜂起(ほうき)から各省(かくしょう)が独立(どくりつ)を宣言(せんげん)し、中華民国(ちゅうかみんこく)が成立(せいりつ)して清(しん)が滅(ほろ)んだ

詳しく

背景(はいけい)

19世紀(せいき)の終(お)わりから、清(しん)は欧米(おうべい)や日本(にっぽん)などの強(つよ)い国々(くにぐに)、つまり列強(れっきょう)の進出(しんしゅつ)に苦(くる)しんだ。日本(にっぽん)との戦争(せんそう)(日清(にちしん)戦争(せんそう))に敗(やぶ)れると、列強(れっきょう)は清(しん)の港(みなと)のある土地(とち)を次々(つぎつぎ)に期限(きげん)つきで借(か)り、そこを治(おさ)める(租借(そしゃく))。1900年(ねん)には、外国人(がいこくじん)を追(お)い出(だ)そうとする義和団(ぎわだん)の運動(うんどう)が、8か国(こく)の軍(ぐん)におさえられた。清(しん)は国(くに)を立(た)て直(なお)すため、役人(やくにん)を選(えら)ぶ試験(しけん)である科挙(かきょ)をやめるなどの改革(かいかく)を進(すす)めた。一方(いっぽう)で、清(しん)を倒(たお)して新(あたら)しい国(くに)をつくろうとする人々(ひとびと)も現(あらわ)れた。その中心(ちゅうしん)が孫文(そんぶん)である。1905年(ねん)、孫文(そんぶん)たちは東京(とうきょう)で中国(ちゅうごく)同盟(どうめい)会(かい)をつくり、三民主義(さんみんしゅぎ)をかかげた。三民主義(さんみんしゅぎ)とは、満洲族(まんしゅうぞく)が建(た)てた清(しん)を倒(たお)すこと・人民(じんみん)が国(くに)の主人(しゅじん)となる政治(せいじ)・人々(ひとびと)の暮(く)らしの安定(あんてい)の3つを目(め)ざす考(かんが)えである。

帰国して上海に着いたころの孫文(1911年12月25日、上海の写真館で撮影)『Sun Yat Sen portrait 2』 上海同生照相館/パブリックドメイン

流(なが)れ

1911年(ねん)5月(がつ)、お金(かね)に困(こま)った清(しん)は、民間(みんかん)の鉄道(てつどう)を国(くに)のものにすると決(き)めた(鉄道(てつどう)国有(こくゆう)化(か))。その鉄道(てつどう)を借金(しゃっきん)の保証(ほしょう)(担保(たんぽ))にして、外国(がいこく)の銀行(ぎんこう)からお金(かね)を借(か)りるためである。これに反対(はんたい)する運動(うんどう)が各地(かくち)で起(お)こり、四川(しせん)では大(おお)きな暴動(ぼうどう)になった(四川(しせん)暴動(ぼうどう))。清(しん)は、武昌(ぶしょう)のある湖北(こほく)地方(ちほう)の軍(ぐん)を四川(しせん)へ送(おく)り、これをしずめようとした。

10月(がつ)10日(とおか)、湖北(こほく)省(しょう)の武昌(ぶしょう)で、新軍(しんぐん)の兵士(へいし)たちが清(しん)に対(たい)して立(た)ち上(あ)がる(武昌蜂起(ぶしょうほうき))。新軍(しんぐん)とは、清(しん)が西洋(せいよう)の方法(ほうほう)でつくった軍隊(ぐんたい)である。兵士(へいし)の中(なか)には、清(しん)を倒(たお)そうとする革命(かくめい)派(は)の団体(だんたい)に加(くわ)わる者(もの)が多(おお)かった。革命(かくめい)の動(うご)きはたちまち広(ひろ)がり、1か月(げつ)ほどのうちに、多(おお)くの省(しょう)(中国(ちゅうごく)の地方(ちほう)の大(おお)きな区分(くぶん))が清(しん)からの独立(どくりつ)を宣言(せんげん)した。各省(かくしょう)の代表(だいひょう)は南京(なんきん)に集(あつ)まり、アメリカから帰国(きこく)した孫文(そんぶん)を臨時大総統(りんじだいそうとう)に選(えら)ぶ。臨時大総統(りんじだいそうとう)とは、新(あたら)しい国(くに)の臨時政府(りんじせいふ)で、いちばん上(うえ)の役職(やくしょく)である。1912年(ねん)1月(がつ)1日(ついたち)、南京(なんきん)に臨時政府(りんじせいふ)ができ、清(しん)に代(か)わる新(あたら)しい国(くに)である中華民国(ちゅうかみんこく)の成立(せいりつ)が宣言(せんげん)された。

武昌蜂起の終わりごろの革命軍の兵士たち(1911年)『Revolutionary soldiers at Wuchang』 作者不明/パブリックドメイン

結果(けっか)

武昌蜂起(ぶしょうほうき)のあと、清(しん)は軍(ぐん)の実力者(じつりょくしゃ)の袁世凱(えんせいがい)を呼(よ)びもどし、革命軍(かくめいぐん)と戦(たたか)わせていた。しかし袁世凱(えんせいがい)は、ひそかに革命(かくめい)側(がわ)と話(はな)し合(あ)う。孫文(そんぶん)は、清(しん)の皇帝(こうてい)をやめさせることと、袁世凱(えんせいがい)が共和(きょうわ)制(せい)に賛成(さんせい)することを条件(じょうけん)に、自分(じぶん)の地位(ちい)をゆずると約束(やくそく)した。共和(きょうわ)制(せい)とは、皇帝(こうてい)や国王(こくおう)を置(お)かない政治(せいじ)である。1912年(ねん)2月(がつ)12日(にち)、最後(さいご)の皇帝(こうてい)の宣統帝(せんとうてい)(溥儀(ふぎ))が位(くらい)を退(しりぞ)き、清(しん)は滅(ほろ)んだ。こうして、2000年(ねん)以上(いじょう)続(つづ)いた皇帝(こうてい)の政治(せいじ)が終(お)わった。臨時大総統(りんじだいそうとう)となった袁世凱(えんせいがい)は、ひとりに力(ちから)を集(あつ)める独裁(どくさい)を強(つよ)め、孫文(そんぶん)たちの反乱(はんらん)(第(だい)二(に)革命(かくめい))も1913年(ねん)にしずめた。

中華民国の大総統となった袁世凱(1915年ごろ、フランスの通信社の写真)『Yuan-Shi-Kai, président de la république chinoise』 Agence Rol/パブリックドメイン

主な出来事

  1. 孫文(そんぶん)がハワイで興中会(こうちゅうかい)をつくる
  2. 義和団(ぎわだん)事件(じけん)が起(お)こる
  3. 孫文(そんぶん)たちが東京(とうきょう)で中国(ちゅうごく)同盟(どうめい)会(かい)をつくる
  4. 清(しん)が鉄道(てつどう)国有(こくゆう)化(か)を決(き)める
  5. 武昌蜂起(ぶしょうほうき)が起(お)こる
  6. 南京(なんきん)で中華民国(ちゅうかみんこく)の成立(せいりつ)が宣言(せんげん)され、孫文(そんぶん)が臨時大総統(りんじだいそうとう)になる
  7. 宣統帝(せんとうてい)が退位(たいい)し、清(しん)が滅(ほろ)ぶ
  8. 袁世凱(えんせいがい)が臨時大総統(りんじだいそうとう)に就(つ)く
  9. 第(だい)二(に)革命(かくめい)が起(お)こるが、袁世凱(えんせいがい)におさえられる

確認問題

問題 1 / 41905年(ねん)に孫文(そんぶん)たちが東京(とうきょう)でつくり、清(しん)を倒(たお)すことを目(め)ざした団体(だんたい)を何(なん)というか。

確認問題(解答用紙)

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  1. 1905年(ねん)に孫文(そんぶん)たちが東京(とうきょう)でつくり、清(しん)を倒(たお)すことを目(め)ざした団体(だんたい)を何(なん)というか。

    • ◯ 上帝会(じょうていかい)
    • ◯ 義和団(ぎわだん)
    • ◯ 中国(ちゅうごく)同盟(どうめい)会(かい)
    • ◯ 興中会(こうちゅうかい)

    正解:中国同盟会
    孫文(そんぶん)たちは1905年(ねん)に東京(とうきょう)で中国(ちゅうごく)同盟(どうめい)会(かい)をつくり、民族(みんぞく)・民権(みんけん)・民生(みんせい)の三民主義(さんみんしゅぎ)をかかげた。興中会(こうちゅうかい)は、それより前(まえ)の1894年(ねん)に孫文(そんぶん)がハワイでつくった団体(だんたい)である。

  2. 辛亥革命(しんがいかくめい)のきっかけとなった、1911年(ねん)10月(がつ)10日(とおか)の出来事(できごと)はどれか。

    • ◯ 武昌(ぶしょう)で新軍(しんぐん)が清(しん)に反乱(はんらん)を起(お)こした
    • ◯ 南京(なんきん)で太平天国(たいへいてんごく)が都(みやこ)を置(お)いた
    • ◯ 東京(とうきょう)で中国(ちゅうごく)同盟(どうめい)会(かい)がつくられた
    • ◯ 北京(ぺきん)で義和団(ぎわだん)が外国(がいこく)の公使館(こうしかん)を囲(かこ)んだ

    正解:武昌で新軍が清に反乱を起こした
    清(しん)が民間(みんかん)の鉄道(てつどう)を国(くに)のものにすること(鉄道(てつどう)国有(こくゆう)化(か))に反対(はんたい)する運動(うんどう)が広(ひろ)がるなか、1911年(ねん)10月(がつ)10日(とおか)に武昌(ぶしょう)の新軍(しんぐん)が反乱(はんらん)を起(お)こした(武昌蜂起(ぶしょうほうき))。1か月(げつ)ほどのうちに、多(おお)くの省(しょう)が清(しん)からの独立(どくりつ)を宣言(せんげん)した。

  3. 1911年(ねん)5月(がつ)、清(しん)が民間(みんかん)の鉄道(てつどう)を国(くに)のものにすると決(き)めたのは、何(なに)のためだったか。

    • ◯ 戦争(せんそう)の賠償(ばいしょう)金(きん)を払(はら)うため
    • ◯ 革命(かくめい)派(は)をおさえる軍(ぐん)の費用(ひよう)をつくるため
    • ◯ 鉄道(てつどう)をこわして運河(うんが)を掘(ほ)るため
    • ◯ 鉄道(てつどう)を担保(たんぽ)にして外国(がいこく)からお金(かね)を借(か)りるため

    正解:鉄道を担保にして外国からお金を借りるため
    お金(かね)に困(こま)った清(しん)は、鉄道(てつどう)を国(くに)のものにし、それを借金(しゃっきん)の保証(ほしょう)(担保(たんぽ))にして外国(がいこく)の銀行(ぎんこう)からお金(かね)を借(か)りようとした。これに反対(はんたい)する運動(うんどう)が各地(かくち)で起(お)こり、四川(しせん)では大(おお)きな暴動(ぼうどう)になった。

  4. 宣統帝(せんとうてい)が退位(たいい)したあと、孫文(そんぶん)に代(か)わって臨時大総統(りんじだいそうとう)の地位(ちい)についた人物(じんぶつ)はだれか。

    • ◯ 曾国藩(そうこくはん)
    • ◯ 李鴻章(りこうしょう)
    • ◯ 康有為(こうゆうい)
    • ◯ 袁世凱(えんせいがい)

    正解:袁世凱
    孫文(そんぶん)は、清(しん)の皇帝(こうてい)をやめさせることと、袁世凱(えんせいがい)が共和(きょうわ)制(せい)に賛成(さんせい)することを条件(じょうけん)に、袁世凱(えんせいがい)に臨時大総統(りんじだいそうとう)の地位(ちい)をゆずると約束(やくそく)した。袁世凱(えんせいがい)はその後(ご)、独裁(どくさい)を強(つよ)めていった。

単元のポイント

  • 中国(ちゅうごく)同盟(どうめい)会(かい) 1905年(ねん)に孫文(そんぶん)たちが東京(とうきょう)でつくった、清(しん)を倒(たお)すための団体(だんたい)
  • 三民主義(さんみんしゅぎ) 孫文(そんぶん)がかかげた3つの考(かんが)え。満洲族(まんしゅうぞく)が建(た)てた清(しん)を倒(たお)す民族主義(みんぞくしゅぎ)、人民(じんみん)が主人(しゅじん)となる政治(せいじ)を目(め)ざす民権主義(みんけんしゅぎ)、暮(く)らしを安定(あんてい)させる民生主義(みんせいしゅぎ)からなる。民生主義(みんせいしゅぎ)は、土地(とち)から得(え)る利益(りえき)のかたよりを減(へ)らそうとした
  • 新軍(しんぐん) 日清(にちしん)戦争(せんそう)のあと、清(しん)が西洋(せいよう)の方法(ほうほう)でつくった軍隊(ぐんたい)
  • 武昌蜂起(ぶしょうほうき) 1911年(ねん)10月(がつ)10日(とおか)、湖北(こほく)省(しょう)の武昌(ぶしょう)で新軍(しんぐん)の兵士(へいし)たちが清(しん)に対(たい)して立(た)ち上(あ)がった出来事(できごと)
  • 臨時大総統(りんじだいそうとう) 中華民国(ちゅうかみんこく)ができたときの臨時政府(りんじせいふ)で、いちばん上(うえ)の役職(やくしょく)
  • 宣統帝(せんとうてい)(溥儀(ふぎ)) 清(しん)の最後(さいご)の皇帝(こうてい)。1912年(ねん)2月(がつ)に退位(たいい)した
問題を解く
単元のポイント
  • 中国(ちゅうごく)同盟(どうめい)会(かい) 1905年(ねん)に孫文(そんぶん)たちが東京(とうきょう)でつくった、清(しん)を倒(たお)すための団体(だんたい)
  • 三民主義(さんみんしゅぎ) 孫文(そんぶん)がかかげた3つの考(かんが)え。満洲族(まんしゅうぞく)が建(た)てた清(しん)を倒(たお)す民族主義(みんぞくしゅぎ)、人民(じんみん)が主人(しゅじん)となる政治(せいじ)を目(め)ざす民権主義(みんけんしゅぎ)、暮(く)らしを安定(あんてい)させる民生主義(みんせいしゅぎ)からなる。民生主義(みんせいしゅぎ)は、土地(とち)から得(え)る利益(りえき)のかたよりを減(へ)らそうとした
  • 新軍(しんぐん) 日清(にちしん)戦争(せんそう)のあと、清(しん)が西洋(せいよう)の方法(ほうほう)でつくった軍隊(ぐんたい)
  • 武昌蜂起(ぶしょうほうき) 1911年(ねん)10月(がつ)10日(とおか)、湖北(こほく)省(しょう)の武昌(ぶしょう)で新軍(しんぐん)の兵士(へいし)たちが清(しん)に対(たい)して立(た)ち上(あ)がった出来事(できごと)
  • 臨時大総統(りんじだいそうとう) 中華民国(ちゅうかみんこく)ができたときの臨時政府(りんじせいふ)で、いちばん上(うえ)の役職(やくしょく)
  • 宣統帝(せんとうてい)(溥儀(ふぎ)) 清(しん)の最後(さいご)の皇帝(こうてい)。1912年(ねん)2月(がつ)に退位(たいい)した