本文へ移動

帝国(ていこく)主義(しゅぎ)

1870〜1914年・アフリカ・アジア・太平洋(列強はイギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカ、日本など)

フクロウ先生「なぜ植民地(しょくみんち)がほしかったのか」を、原料(げんりょう)・市場(しじょう)・お金(かね)の投資(とうし)先(さき)の3つで考(かんが)えると、列強(れっきょう)どうしの争(あらそ)いが見(み)えてくる。

30秒でつかむ

  1. 19世紀(せいき)後半(こうはん)、ドイツやアメリカで重化学(じゅうかがく)工業(こうぎょう)が伸(の)び、大(だい)企業(きぎょう)は原料(げんりょう)や市場(しじょう)、お金(かね)を投(とう)じる先(さき)を国(くに)の外(そと)に求(もと)めるようになった。
  2. 列強(れっきょう)は1880年代(ねんだい)からアフリカを分(わ)け合(あ)い、20世紀(せいき)の初(はじ)めまでにエチオピアとリベリアを除(のぞ)くほとんどを植民地(しょくみんち)にした。中国(ちゅうごく)でも港(みなと)のある土地(とち)を借(か)り、それぞれの勢力(せいりょく)をのばした。
  3. 植民地(しょくみんち)をめぐる争(あらそ)いやヨーロッパでの対立(たいりつ)から、列強(れっきょう)は三国(さんごく)同盟(どうめい)と三国協商(さんごくきょうしょう)の2つの陣営(じんえい)に分(わ)かれた。この対立(たいりつ)は第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)の原因(げんいん)の一(ひと)つとなった。
いつ
19世紀(せいき)の終(お)わり〜20世紀(せいき)の初(はじ)め(このページでは1870年代(ねんだい)から第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)が始(はじ)まる1914年(ねん)までを扱(あつか)う)
どこ
アフリカ・アジア・太平洋(たいへいよう)(列強(れっきょう)はイギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカ、日本(にっぽん)など)
誰
ビスマルク(新しいタブで開きます)・セシル・ローズ
何
工業(こうぎょう)の力(ちから)を強(つよ)めた列強(れっきょう)が植民地(しょくみんち)や勢力(せいりょく)範囲(はんい)を広(ひろ)げ、世界(せかい)を分(わ)け合(あ)おうとして争(あらそ)った

詳しく

背景(はいけい)

19世紀(せいき)の半(なか)ばまで、工業(こうぎょう)で世界(せかい)の先頭(せんとう)に立(た)っていたのはイギリスだった。しかし19世紀(せいき)後半(こうはん)には、ドイツやアメリカで製鉄(せいてつ)を中心(ちゅうしん)とする重化学(じゅうかがく)工業(こうぎょう)が伸(の)びる。重化学(じゅうかがく)工業(こうぎょう)とは、鉄鋼(てっこう)や機械(きかい)をつくる重工業(じゅうこうぎょう)と、肥料(ひりょう)などをつくる化学(かがく)工業(こうぎょう)をまとめた言(い)い方(かた)である。1873年(ねん)から、大不況(だいふきょう)とよばれる長(なが)い不景気(ふけいき)が続(つづ)いた。企業(きぎょう)どうしが合(あ)わさって大(おお)きくなり、大(だい)銀行(ぎんこう)とも結(むす)びつく。大(だい)企業(きぎょう)は、原料(げんりょう)をとる土地(とち)や商品(しょうひん)を売(う)る市場(しじょう)、余(あま)ったお金(かね)を投(とう)じて利益(りえき)を得(え)る先(さき)を、国(くに)の外(そと)に求(もと)めた。強(つよ)い国々(くにぐに)、つまり列強(れっきょう)は、競(きそ)って植民地(しょくみんち)を広(ひろ)げていく。植民地(しょくみんち)とは、ほかの国(くに)に支配(しはい)された地域(ちいき)である。列強(れっきょう)が植民地(しょくみんち)を求(もと)めて世界(せかい)を分(わ)け合(あ)おうとした動(うご)きを帝国(ていこく)主義(しゅぎ)という。

ケープタウンからカイロまでをまたぐセシル・ローズ(1892年、イギリスの雑誌『パンチ』の風刺画)『The Rhodes Colossus』 Edward Linley Sambourne/パブリックドメイン

流(なが)れ

19世紀(せいき)の半(なか)ばまで、ヨーロッパの国々(くにぐに)のアフリカ支配(しはい)は、ケープ植民地(しょくみんち)やアルジェリアなどを除(のぞ)くと海岸(かいがん)の一部(いちぶ)だった。1884〜85年(ねん)、ドイツの首相(しゅしょう)ビスマルクのよびかけで、欧米(おうべい)の国々(くにぐに)がベルリンに集(あつ)まる。そこで話(はな)し合(あ)われたのは、アフリカを分(わ)け合(あ)うときの決(き)まりである(ベルリン会議(かいぎ))。こののち、列強(れっきょう)は内陸(ないりく)へと支配(しはい)を広(ひろ)げる。20世紀(せいき)の初(はじ)めまでに、アフリカの国(くに)のうちエチオピアとリベリアを除(のぞ)くほとんどが植民地(しょくみんち)にされた(アフリカ分割(ぶんかつ))。イギリスは、南(みなみ)アフリカのケープ植民地(しょくみんち)と北(きた)のエジプトを結(むす)ぼうとした。フランスは、西(にし)アフリカのセネガルから東(ひがし)にある紅海(こうかい)の沿岸(えんがん)までを結(むす)ぼうとする。1898年(ねん)、両国(りょうこく)の軍(ぐん)はアフリカ東部(とうぶ)のスーダンにあるファショダで向(む)かい合(あ)ったが、フランスが軍(ぐん)を引(ひ)いた(ファショダ事件(じけん))。

太平洋(たいへいよう)とアジアでも、分(わ)け合(あ)いは進(すす)んでいく。1898年(ねん)、アメリカはスペインとの戦争(せんそう)(米西戦争(べいせいせんそう))に勝(か)ち、フィリピンなどを手(て)に入(い)れる。中国(ちゅうごく)では、日本(にっぽん)との戦争(せんそう)(日清(にちしん)戦争(せんそう))に敗(やぶ)れた清(しん)から、列強(れっきょう)が港(みなと)のある土地(とち)を期限(きげん)つきで借(か)り、そこを治(おさ)めた。こうして借(か)りた土地(とち)を租借地(そしゃくち)という。1898年(ねん)、ドイツは膠州湾(こうしゅうわん)、ロシアは旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)、イギリスは威海衛(いかいえい)などを租借(そしゃく)した。列強(れっきょう)は、自分(じぶん)の利益(りえき)を優先(ゆうせん)させる地域(ちいき)(勢力(せいりょく)範囲(はんい))も決(き)めていった。

アフリカを分け合うときの決まりを話し合ったベルリン会議(1884年、ドイツの画家レスラーの版画)『Kongokonferenz』 Adalbert von Roessler/パブリックドメイン

結果(けっか)

植民地(しょくみんち)をめぐる争(あらそ)いは、ヨーロッパの国(くに)どうしの対立(たいりつ)と重(かさ)なった。1882年(ねん)、ドイツ・オーストリア・イタリアは三国(さんごく)同盟(どうめい)を結(むす)んだ。これに対(たい)し、イギリス・フランス・ロシアは1907年(ねん)までに協力(きょうりょく)関係(かんけい)を結(むす)ぶ(三国協商(さんごくきょうしょう))。こうして列強(れっきょう)は2つの陣営(じんえい)に分(わ)かれ、この対立(たいりつ)は1914年(ねん)に始(はじ)まる第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)の原因(げんいん)の一(ひと)つとなった。一方(いっぽう)、列強(れっきょう)の進出(しんしゅつ)を受(う)けた地域(ちいき)では、抵抗(ていこう)や改革(かいかく)も起(お)こった。エチオピアは1896年(ねん)にイタリアの軍(ぐん)を破(やぶ)り、独立(どくりつ)を守(まも)ったのである。中国(ちゅうごく)では1911年(ねん)に辛亥革命(しんがいかくめい)(新しいタブで開きます)が始(はじ)まり、翌年(よくねん)に皇帝(こうてい)が治(おさ)めていた清(しん)が滅(ほろ)んだ。

中国をケーキに見立て、イギリス・ドイツ・ロシア・フランス・日本が切り分ける様子を描いた風刺画(1898年、フランスの新聞の絵)『En Chine - Le gâteau des Rois et... des Empereurs』 Henri Meyer/パブリックドメイン

主な出来事

  1. ヨーロッパで長(なが)い不景気(ふけいき)(大不況(だいふきょう))が始(はじ)まる
  2. ドイツ・オーストリア・イタリアが三国(さんごく)同盟(どうめい)を結(むす)ぶ
  3. ベルリン会議(かいぎ)が開(ひら)かれる
  4. エチオピアがアドワの戦(たたか)いでイタリアの軍(ぐん)を破(やぶ)る
  5. ファショダ事件(じけん)・米西戦争(べいせいせんそう)が起(お)こり、列強(れっきょう)が清(しん)の港(みなと)を租借(そしゃく)する
  6. 英露協商(えいろきょうしょう)が結(むす)ばれ、三国協商(さんごくきょうしょう)ができあがる
  7. 第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)が始(はじ)まる

確認問題

問題 1 / 419世紀(せいき)の終(お)わりごろ、列強(れっきょう)が植民地(しょくみんち)を広(ひろ)げようとした理由(りゆう)として、本文(ほんぶん)の内容(ないよう)に合(あ)うものはどれか。

確認問題(解答用紙)

この問題を端末で解くための QR コード

スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。

https://manazoo.com/history/imperialism/?from=print#quiz

  1. 19世紀(せいき)の終(お)わりごろ、列強(れっきょう)が植民地(しょくみんち)を広(ひろ)げようとした理由(りゆう)として、本文(ほんぶん)の内容(ないよう)に合(あ)うものはどれか。

    • ◯ 国内(こくない)の工業(こうぎょう)がおとろえ、農業(のうぎょう)だけで暮(く)らすようになったから
    • ◯ 奴隷(どれい)貿易(ぼうえき)を再(ふたた)び始(はじ)めるための港(みなと)が必要(ひつよう)になったから
    • ◯ 国(くに)どうしの争(あらそ)いをやめ、世界(せかい)を一(ひと)つの国(くに)にまとめようとしたから
    • ◯ 大(だい)企業(きぎょう)が原料(げんりょう)をとる土地(とち)や商品(しょうひん)の売(う)り場(ば)を国(くに)の外(そと)に求(もと)めたから

    正解:大企業が原料をとる土地や商品の売り場を国の外に求めたから
    重化学(じゅうかがく)工業(こうぎょう)が伸(の)び、大不況(だいふきょう)のなかで企業(きぎょう)は大(おお)きくなった。大(だい)企業(きぎょう)は、原料(げんりょう)をとる土地(とち)や商品(しょうひん)を売(う)る市場(しじょう)、余(あま)ったお金(かね)を投(とう)じて利益(りえき)を得(え)る先(さき)を国(くに)の外(そと)に求(もと)めた。そこで列強(れっきょう)は競(きそ)って植民地(しょくみんち)を広(ひろ)げた。

  2. 1884〜85年(ねん)、ビスマルクのよびかけで欧米(おうべい)の国々(くにぐに)が集(あつ)まり、アフリカを分(わ)け合(あ)うときの決(き)まりを話(はな)し合(あ)った会議(かいぎ)を何(なん)というか。

    • ◯ パリ講和(こうわ)会議(かいぎ)
    • ◯ ベルリン会議(かいぎ)
    • ◯ ワシントン会議(かいぎ)
    • ◯ ウィーン会議(かいぎ)

    正解:ベルリン会議
    ベルリン会議(かいぎ)のあと、列強(れっきょう)は内陸(ないりく)へ支配(しはい)を広(ひろ)げた。20世紀(せいき)の初(はじ)めまでに、エチオピアとリベリアを除(のぞ)くアフリカのほとんどが植民地(しょくみんち)になった。ウィーン会議(かいぎ)(新しいタブで開きます)は、ナポレオン(新しいタブで開きます)が敗(やぶ)れたあとのヨーロッパのあり方(かた)を話(はな)し合(あ)った会議(かいぎ)である。

  3. 1898年(ねん)ごろ、列強(れっきょう)は清(しん)から港(みなと)のある土地(とち)を期限(きげん)つきで借(か)り、そこを治(おさ)めた。こうして借(か)りた土地(とち)を何(なん)というか。

    • ◯ 租借地(そしゃくち)
    • ◯ 租界(そかい)
    • ◯ 保護国(ほごこく)
    • ◯ 自治領(じちりょう)

    正解:租借地
    租借(そしゃく)とは、条約(じょうやく)で期限(きげん)を決(き)めてほかの国(くに)の土地(とち)を借(か)り、その土地(とち)を治(おさ)めることである。日清(にちしん)戦争(せんそう)に敗(やぶ)れた清(しん)から、ドイツは膠州湾(こうしゅうわん)、ロシアは旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)、イギリスは威海衛(いかいえい)などを租借(そしゃく)した。

  4. 1907年(ねん)までに、イギリス・フランス・ロシアが結(むす)んだ協力(きょうりょく)関係(かんけい)を何(なん)というか。

    • ◯ 神聖同盟(しんせいどうめい)
    • ◯ 三国(さんごく)同盟(どうめい)
    • ◯ 四国(しこく)同盟(どうめい)
    • ◯ 三国協商(さんごくきょうしょう)

    正解:三国協商
    1882年(ねん)、ドイツ・オーストリア・イタリアは三国(さんごく)同盟(どうめい)を結(むす)んだ。これに対(たい)し、イギリス・フランス・ロシアは三国協商(さんごくきょうしょう)とよばれる関係(かんけい)をつくった。植民地(しょくみんち)をめぐる争(あらそ)いやヨーロッパでの対立(たいりつ)から生(う)まれた2つの陣営(じんえい)の対立(たいりつ)は、第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)の原因(げんいん)の一(ひと)つとなった。

単元のポイント

  • 列強(れっきょう) 強(つよ)い力(ちから)をもつ国々(くにぐに)。この時代(じだい)には、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカ、日本(にっぽん)などを指(さ)す
  • 植民地(しょくみんち) ほかの国(くに)に支配(しはい)され、その国(くに)の一部(いちぶ)のように扱(あつか)われた地域(ちいき)
  • 重化学(じゅうかがく)工業(こうぎょう) 鉄鋼(てっこう)や機械(きかい)などをつくる重工業(じゅうこうぎょう)と、肥料(ひりょう)などをつくる化学(かがく)工業(こうぎょう)をまとめた言(い)い方(かた)
  • ベルリン会議(かいぎ)(1884〜85年(ねん)) ドイツの首相(しゅしょう)ビスマルクのよびかけで欧米(おうべい)の国々(くにぐに)が集(あつ)まり、アフリカを分(わ)け合(あ)うときの決(き)まりを話(はな)し合(あ)った会議(かいぎ)
  • 租借地(そしゃくち) 条約(じょうやく)で期限(きげん)を決(き)めてほかの国(くに)から借(か)りた土地(とち)。借(か)りた国(くに)が治(おさ)めたが、土地(とち)はもとの国(くに)のものとされた。19世紀末(せいきまつ)の中国(ちゅうごく)で、列強(れっきょう)が港(みなと)のある土地(とち)を次々(つぎつぎ)に租借(そしゃく)した
  • 三国(さんごく)同盟(どうめい)と三国協商(さんごくきょうしょう) ドイツ・オーストリア・イタリアの三国(さんごく)同盟(どうめい)と、イギリス・フランス・ロシアの三国協商(さんごくきょうしょう)。第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)の前(まえ)に対立(たいりつ)した2つの陣営(じんえい)で、イタリアは1915年(ねん)に協商(きょうしょう)の側(がわ)で大戦(たいせん)に加(くわ)わった
問題を解く
単元のポイント
  • 列強(れっきょう) 強(つよ)い力(ちから)をもつ国々(くにぐに)。この時代(じだい)には、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカ、日本(にっぽん)などを指(さ)す
  • 植民地(しょくみんち) ほかの国(くに)に支配(しはい)され、その国(くに)の一部(いちぶ)のように扱(あつか)われた地域(ちいき)
  • 重化学(じゅうかがく)工業(こうぎょう) 鉄鋼(てっこう)や機械(きかい)などをつくる重工業(じゅうこうぎょう)と、肥料(ひりょう)などをつくる化学(かがく)工業(こうぎょう)をまとめた言(い)い方(かた)
  • ベルリン会議(かいぎ)(1884〜85年(ねん)) ドイツの首相(しゅしょう)ビスマルクのよびかけで欧米(おうべい)の国々(くにぐに)が集(あつ)まり、アフリカを分(わ)け合(あ)うときの決(き)まりを話(はな)し合(あ)った会議(かいぎ)
  • 租借地(そしゃくち) 条約(じょうやく)で期限(きげん)を決(き)めてほかの国(くに)から借(か)りた土地(とち)。借(か)りた国(くに)が治(おさ)めたが、土地(とち)はもとの国(くに)のものとされた。19世紀末(せいきまつ)の中国(ちゅうごく)で、列強(れっきょう)が港(みなと)のある土地(とち)を次々(つぎつぎ)に租借(そしゃく)した
  • 三国(さんごく)同盟(どうめい)と三国協商(さんごくきょうしょう) ドイツ・オーストリア・イタリアの三国(さんごく)同盟(どうめい)と、イギリス・フランス・ロシアの三国協商(さんごくきょうしょう)。第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)の前(まえ)に対立(たいりつ)した2つの陣営(じんえい)で、イタリアは1915年(ねん)に協商(きょうしょう)の側(がわ)で大戦(たいせん)に加(くわ)わった