帝国主義
フクロウ先生「なぜ植民地がほしかったのか」を、原料・市場・お金の投資先の3つで考えると、列強どうしの争いが見えてくる。
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- 19世紀後半、ドイツやアメリカで重化学工業が伸び、大企業は原料や市場、お金を投じる先を国の外に求めるようになった。
- 列強は1880年代からアフリカを分け合い、20世紀の初めまでにエチオピアとリベリアを除くほとんどを植民地にした。中国でも港のある土地を借り、それぞれの勢力をのばした。
- 植民地をめぐる争いやヨーロッパでの対立から、列強は三国同盟と三国協商の2つの陣営に分かれた。この対立は第一次世界大戦の原因の一つとなった。
- いつ
- 19世紀の終わり〜20世紀の初め(このページでは1870年代から第一次世界大戦が始まる1914年までを扱う)
- どこ
- アフリカ・アジア・太平洋(列強はイギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカ、日本など)
- 誰
- ビスマルク(新しいタブで開きます)・セシル・ローズ
- 何
- 工業の力を強めた列強が植民地や勢力範囲を広げ、世界を分け合おうとして争った
詳しく
背景
19世紀の半ばまで、工業で世界の先頭に立っていたのはイギリスだった。しかし19世紀後半には、ドイツやアメリカで製鉄を中心とする重化学工業が伸びる。重化学工業とは、鉄鋼や機械をつくる重工業と、肥料などをつくる化学工業をまとめた言い方である。1873年から、大不況とよばれる長い不景気が続いた。企業どうしが合わさって大きくなり、大銀行とも結びつく。大企業は、原料をとる土地や商品を売る市場、余ったお金を投じて利益を得る先を、国の外に求めた。強い国々、つまり列強は、競って植民地を広げていく。植民地とは、ほかの国に支配された地域である。列強が植民地を求めて世界を分け合おうとした動きを帝国主義という。
流れ
19世紀の半ばまで、ヨーロッパの国々のアフリカ支配は、ケープ植民地やアルジェリアなどを除くと海岸の一部だった。1884〜85年、ドイツの首相ビスマルクのよびかけで、欧米の国々がベルリンに集まる。そこで話し合われたのは、アフリカを分け合うときの決まりである(ベルリン会議)。こののち、列強は内陸へと支配を広げる。20世紀の初めまでに、アフリカの国のうちエチオピアとリベリアを除くほとんどが植民地にされた(アフリカ分割)。イギリスは、南アフリカのケープ植民地と北のエジプトを結ぼうとした。フランスは、西アフリカのセネガルから東にある紅海の沿岸までを結ぼうとする。1898年、両国の軍はアフリカ東部のスーダンにあるファショダで向かい合ったが、フランスが軍を引いた(ファショダ事件)。
太平洋とアジアでも、分け合いは進んでいく。1898年、アメリカはスペインとの戦争(米西戦争)に勝ち、フィリピンなどを手に入れる。中国では、日本との戦争(日清戦争)に敗れた清から、列強が港のある土地を期限つきで借り、そこを治めた。こうして借りた土地を租借地という。1898年、ドイツは膠州湾、ロシアは旅順・大連、イギリスは威海衛などを租借した。列強は、自分の利益を優先させる地域(勢力範囲)も決めていった。
結果
植民地をめぐる争いは、ヨーロッパの国どうしの対立と重なった。1882年、ドイツ・オーストリア・イタリアは三国同盟を結んだ。これに対し、イギリス・フランス・ロシアは1907年までに協力関係を結ぶ(三国協商)。こうして列強は2つの陣営に分かれ、この対立は1914年に始まる第一次世界大戦の原因の一つとなった。一方、列強の進出を受けた地域では、抵抗や改革も起こった。エチオピアは1896年にイタリアの軍を破り、独立を守ったのである。中国では1911年に辛亥革命(新しいタブで開きます)が始まり、翌年に皇帝が治めていた清が滅んだ。
主な出来事
- ヨーロッパで長い不景気(大不況)が始まる
- ドイツ・オーストリア・イタリアが三国同盟を結ぶ
- ベルリン会議が開かれる
- エチオピアがアドワの戦いでイタリアの軍を破る
- ファショダ事件・米西戦争が起こり、列強が清の港を租借する
- 英露協商が結ばれ、三国協商ができあがる
- 第一次世界大戦が始まる
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/imperialism/?from=print#quiz
19世紀の終わりごろ、列強が植民地を広げようとした理由として、本文の内容に合うものはどれか。
- ◯ 国内の工業がおとろえ、農業だけで暮らすようになったから
- ◯ 奴隷貿易を再び始めるための港が必要になったから
- ◯ 国どうしの争いをやめ、世界を一つの国にまとめようとしたから
- ◯ 大企業が原料をとる土地や商品の売り場を国の外に求めたから
正解:大企業が原料をとる土地や商品の売り場を国の外に求めたから
重化学工業が伸び、大不況のなかで企業は大きくなった。大企業は、原料をとる土地や商品を売る市場、余ったお金を投じて利益を得る先を国の外に求めた。そこで列強は競って植民地を広げた。1884〜85年、ビスマルクのよびかけで欧米の国々が集まり、アフリカを分け合うときの決まりを話し合った会議を何というか。
- ◯ パリ講和会議
- ◯ ベルリン会議
- ◯ ワシントン会議
- ◯ ウィーン会議
正解:ベルリン会議
ベルリン会議のあと、列強は内陸へ支配を広げた。20世紀の初めまでに、エチオピアとリベリアを除くアフリカのほとんどが植民地になった。ウィーン会議(新しいタブで開きます)は、ナポレオン(新しいタブで開きます)が敗れたあとのヨーロッパのあり方を話し合った会議である。1898年ごろ、列強は清から港のある土地を期限つきで借り、そこを治めた。こうして借りた土地を何というか。
- ◯ 租借地
- ◯ 租界
- ◯ 保護国
- ◯ 自治領
正解:租借地
租借とは、条約で期限を決めてほかの国の土地を借り、その土地を治めることである。日清戦争に敗れた清から、ドイツは膠州湾、ロシアは旅順・大連、イギリスは威海衛などを租借した。1907年までに、イギリス・フランス・ロシアが結んだ協力関係を何というか。
- ◯ 神聖同盟
- ◯ 三国同盟
- ◯ 四国同盟
- ◯ 三国協商
正解:三国協商
1882年、ドイツ・オーストリア・イタリアは三国同盟を結んだ。これに対し、イギリス・フランス・ロシアは三国協商とよばれる関係をつくった。植民地をめぐる争いやヨーロッパでの対立から生まれた2つの陣営の対立は、第一次世界大戦の原因の一つとなった。
単元のポイント
- 列強 強い力をもつ国々。この時代には、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカ、日本などを指す
- 植民地 ほかの国に支配され、その国の一部のように扱われた地域
- 重化学工業 鉄鋼や機械などをつくる重工業と、肥料などをつくる化学工業をまとめた言い方
- ベルリン会議(1884〜85年) ドイツの首相ビスマルクのよびかけで欧米の国々が集まり、アフリカを分け合うときの決まりを話し合った会議
- 租借地 条約で期限を決めてほかの国から借りた土地。借りた国が治めたが、土地はもとの国のものとされた。19世紀末の中国で、列強が港のある土地を次々に租借した
- 三国同盟と三国協商 ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟と、イギリス・フランス・ロシアの三国協商。第一次世界大戦の前に対立した2つの陣営で、イタリアは1915年に協商の側で大戦に加わった