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アメリカ独立(どくりつ)革命(かくめい)

1775〜1783年・北アメリカ東部(13植民地)

フクロウ先生合言葉(あいことば)は「代表(だいひょう)なくして課税(かぜい)なし」。税(ぜい)をめぐる争(あらそ)いが、王(おう)のいない国(くに)づくりへ広(ひろ)がっていく流(なが)れをつかもう。

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  1. 七年戦争(しちねんせんそう)のあとイギリス本国(ほんごく)が課税(かぜい)を強(つよ)めると、13植民地(しょくみんち)は「代表(だいひょう)なくして課税(かぜい)なし」と反発(はんぱつ)した。
  2. 1775年(ねん)に独立戦争(どくりつせんそう)が始(はじ)まり、1776年(ねん)に独立宣言(どくりつせんげん)(新しいタブで開きます)を発表(はっぴょう)し、フランスなどの支援(しえん)も受(う)けて戦(たたか)った。
  3. 1783年(ねん)のパリ条約(じょうやく)で独立(どくりつ)が認(みと)められ、1787年(ねん)には合衆国憲法(がっしゅうこくけんぽう)が制定(せいてい)される。
いつ
1775〜1783年(ねん)(独立戦争(どくりつせんそう))
どこ
北(きた)アメリカ東部(とうぶ)(13植民地(しょくみんち))
誰
ワシントン・ジェファソン・トマス=ペイン
何
13植民地(しょくみんち)がイギリスから独立(どくりつ)し、アメリカ合衆国(がっしゅうこく)が生(う)まれた

詳しく

背景(はいけい)

イギリスは17世紀(せいき)から北(きた)アメリカの大西洋(たいせいよう)岸(がん)に植民地(しょくみんち)を広(ひろ)げ、18世紀(せいき)半(なか)ばまでに13植民地(しょくみんち)が成立(せいりつ)していた。植民地(しょくみんち)にはそれぞれ議会(ぎかい)があり、ある程度(ていど)の自治(じち)が認(みと)められていた。1763年(ねん)、イギリスはフランスとの七年戦争(しちねんせんそう)(北(きた)アメリカではフレンチ=インディアン戦争(せんそう))に勝(か)ったが、戦費(せんぴ)で多(おお)くの借金(しゃっきん)を抱(かか)える。この負担(ふたん)を補(おぎな)うため、本国(ほんごく)は植民地(しょくみんち)にも課税(かぜい)を強(つよ)めた。1765年(ねん)の印紙法(いんしほう)に対(たい)し、植民地(しょくみんち)の人々(ひとびと)は「代表(だいひょう)なくして課税(かぜい)なし」と唱(とな)えて反対(はんたい)した。本国(ほんごく)の商人(しょうにん)の反対(はんたい)もあって、議会(ぎかい)は翌年(よくねん)この法律(ほうりつ)を撤廃(てっぱい)する。

流(なが)れ

1773年(ねん)、イギリスが茶(ちゃ)法(ほう)を定(さだ)めて東(ひがし)インド会社(がいしゃ)に植民地(しょくみんち)での茶(ちゃ)の販売(はんばい)を独占(どくせん)させると、反発(はんぱつ)した人々(ひとびと)がボストン港(こう)で船(ふね)の積(つ)み荷(に)の茶(ちゃ)を海(うみ)に投(な)げ捨(す)てた(ボストン茶会事件(ちゃかいじけん))。本国(ほんごく)がボストン港(こう)を閉鎖(へいさ)するなどの厳(きび)しい措置(そち)をとると、植民地(しょくみんち)の代表(だいひょう)は1774年(ねん)に第(だい)1回(かい)の大陸会議(たいりくかいぎ)を開(ひら)いて対抗(たいこう)する。1775年(ねん)4月(がつ)、ボストン近(ちか)くでレキシントン・コンコードの戦(たたか)いが起(お)こり、独立戦争(どくりつせんそう)が始(はじ)まった。植民地(しょくみんち)側(がわ)はワシントンを総(そう)司令官(しれいかん)に選(えら)んだ。

はじめは本国(ほんごく)との和解(わかい)を望(のぞ)む声(こえ)も多(おお)かったが、1776年(ねん)1月(がつ)にトマス=ペインが『コモン=センス』を著(あらわ)して独立(どくりつ)の必要(ひつよう)を訴(うった)えると、この小(しょう)冊子(さっし)は独立(どくりつ)を求(もと)める声(こえ)を大(おお)きく後押(あとお)しし、世論(よろん)は独立(どくりつ)へと傾(かたむ)いていく。7月(がつ)4日(よっか)、大陸会議(たいりくかいぎ)は独立宣言(どくりつせんげん)を発表(はっぴょう)した。1777年(ねん)のサラトガの戦(たたか)いで植民地(しょくみんち)側(がわ)が勝(か)つと、翌(よく)1778年(ねん)にフランスが植民地(しょくみんち)側(がわ)について参戦(さんせん)し、スペイン(1779年(ねん))やオランダ(1780年(ねん))も続(つづ)いた。ロシアのエカチェリーナ2世(せい)の呼(よ)びかけで武装(ぶそう)中立(ちゅうりつ)同盟(どうめい)が結(むす)ばれ、イギリスは外交上(がいこうじょう)不利(ふり)な立場(たちば)に置(お)かれる。

1781年(ねん)、ヨークタウンの戦(たたか)いでイギリス軍(ぐん)が降伏(こうふく)し、戦争(せんそう)の大勢(たいせい)は決(き)まった。1783年(ねん)のパリ条約(じょうやく)で、イギリスはアメリカ合衆国(がっしゅうこく)の独立(どくりつ)を認(みと)め、ミシシッピ川(がわ)までの土地(とち)を合衆国(がっしゅうこく)の領土(りょうど)と認(みと)めた。

1773年のボストン茶会事件を、1846年に描いた後世の版画『The Destruction of Tea at Boston Harbor』 Nathaniel Currier(画)/パブリックドメイン

結果(けっか)

独立後(どくりつご)の13州(しゅう)は結(むす)びつきが弱(よわ)く、1787年(ねん)に合衆国憲法(がっしゅうこくけんぽう)が制定(せいてい)された(発効(はっこう)は翌(よく)1788年(ねん))。この憲法(けんぽう)は、各州(かくしゅう)の自治(じち)を認(みと)めつつ連邦(れんぽう)政府(せいふ)の権限(けんげん)を強(つよ)める連邦(れんぽう)主義(しゅぎ)と、三権分立(さんけんぶんりつ)を定(さだ)めている。1789年(ねん)にワシントンが初代(しょだい)大統領(だいとうりょう)となった。ただし奴隷制(どれいせい)は残(のこ)り、北部(ほくぶ)の州(しゅう)で段階(だんかい)的(てき)な廃止(はいし)が始(はじ)まる一方(いっぽう)、南部(なんぶ)では農業(のうぎょう)を支(ささ)える制度(せいど)として維持(いじ)された。先住民(せんじゅうみん)は、合衆国(がっしゅうこく)が西(にし)へ広(ひろ)がるなかで、条約(じょうやく)や戦争(せんそう)、入植(にゅうしょく)によって土地(とち)を奪(うば)われていく。限界(げんかい)はあったが、アメリカ独立(どくりつ)革命(かくめい)は国王(こくおう)のいない共和政(きょうわせい)の国家(こっか)を生(う)み、フランス革命(かくめい)(新しいタブで開きます)にも影響(えいきょう)を与(あた)えた。

1787年の合衆国憲法への署名の場面を、1940年に描いた作品(アメリカ連邦議会議事堂所蔵)『Scene at the Signing of the Constitution of the United States』 Howard Chandler Christy(画)・写真 Architect of the Capitol/パブリックドメイン

主な出来事

  1. 印紙法(いんしほう)
  2. ボストン茶会事件(ちゃかいじけん)
  3. 第(だい)1回(かい)大陸会議(たいりくかいぎ)
  4. レキシントン・コンコードの戦(たたか)い
  5. 独立宣言(どくりつせんげん)
  6. サラトガの戦(たたか)い
  7. フランスの参戦(さんせん)
  8. ヨークタウンの戦(たたか)い
  9. パリ条約(じょうやく)
  10. 合衆国憲法(がっしゅうこくけんぽう)の制定(せいてい)

確認問題

問題 1 / 4印紙法(いんしほう)に反対(はんたい)した植民地(しょくみんち)の人々(ひとびと)は「(  )なくして課税(かぜい)なし」と唱(とな)えた。空欄(くうらん)に入(はい)る語(ご)は?

確認問題(解答用紙)

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  1. 印紙法(いんしほう)に反対(はんたい)した植民地(しょくみんち)の人々(ひとびと)は「(  )なくして課税(かぜい)なし」と唱(とな)えた。空欄(くうらん)に入(はい)る語(ご)は?

    答え:____________

    正解:代表
    植民地(しょくみんち)はイギリス本国(ほんごく)の議会(ぎかい)に議員(ぎいん)を送(おく)っていなかった。自分(じぶん)たちの代表(だいひょう)がいない議会(ぎかい)が決(き)めた税(ぜい)には従(したが)えない、という主張(しゅちょう)である。

  2. アメリカで独立宣言(どくりつせんげん)が出(だ)された年(とし)は?

    • ◯ 1765年(ねん)
    • ◯ 1776年(ねん)
    • ◯ 1783年(ねん)
    • ◯ 1789年(ねん)

    正解:1776年
    1776年(ねん)に独立宣言(どくりつせんげん)(新しいタブで開きます)。独立(どくりつ)が認(みと)められたのは1783年(ねん)のパリ条約(じょうやく)。

  3. 次(つぎ)の出来事(できごと)を起(お)きた順(じゅん)に並(なら)べよう。

    • ( )ボストン茶会事件(ちゃかいじけん)
    • ( )独立宣言(どくりつせんげん)
    • ( )パリ条約(じょうやく)
    • ( )レキシントン・コンコードの戦(たたか)い

    正解:ボストン茶会事件 → レキシントン・コンコードの戦い → 独立宣言 → パリ条約
    ボストン茶会事件(ちゃかいじけん)(1773年(ねん))→レキシントン・コンコードの戦(たたか)い(1775年(ねん))→独立宣言(どくりつせんげん)(1776年(ねん))→パリ条約(じょうやく)(1783年(ねん))。

  4. フランスがアメリカ独立戦争(どくりつせんそう)に参戦(さんせん)したことは、フランス自身(じしん)にどんな影響(えいきょう)を与(あた)えた?

    • ◯ イギリスと同盟(どうめい)を結(むす)ぶきっかけになった
    • ◯ 国王(こくおう)の権力(けんりょく)がいっそう強(つよ)まった
    • ◯ 戦費(せんぴ)で財政(ざいせい)がさらに苦(くる)しくなり、のちの革命(かくめい)の一因(いちいん)となった
    • ◯ 植民地(しょくみんち)を大(おお)きく広(ひろ)げ、財政(ざいせい)が豊(ゆた)かになった

    正解:戦費で財政がさらに苦しくなり、のちの革命の一因となった
    フランスはもともと財政難(ざいせいなん)だったが、参戦(さんせん)の費用(ひよう)で借金(しゃっきん)がさらにふくらんだ。特権身分(とっけんみぶん)への課税(かぜい)をめぐって改革(かいかく)が行(い)き詰(づ)まり、1789年(ねん)の三部会(さんぶかい)(新しいタブで開きます)の招集(しょうしゅう)につながる。

単元のポイント

  • 代表(だいひょう)なくして課税(かぜい)なし 本国(ほんごく)の議会(ぎかい)に代表(だいひょう)を送(おく)っていないのに課税(かぜい)されることへの反対(はんたい)の言葉(ことば)
  • ボストン茶会事件(ちゃかいじけん) 1773年(ねん)。茶(ちゃ)法(ほう)に反発(はんぱつ)した人々(ひとびと)が茶(ちゃ)を海(うみ)に投(な)げ捨(す)てた
  • 大陸会議(たいりくかいぎ) 植民地(しょくみんち)の代表(だいひょう)が集(あつ)まった会議(かいぎ)。1774年(ねん)に第(だい)1回(かい)、1775年(ねん)から第(だい)2回(かい)が開(ひら)かれ、第(だい)2回(かい)が独立宣言(どくりつせんげん)を発表(はっぴょう)した
  • パリ条約(じょうやく) 1783年(ねん)。イギリスがアメリカ合衆国(がっしゅうこく)の独立(どくりつ)を認(みと)めた
  • 合衆国憲法(がっしゅうこくけんぽう) 1787年(ねん)に制定(せいてい)。連邦(れんぽう)主義(しゅぎ)と三権分立(さんけんぶんりつ)を定(さだ)めた
問題を解く
単元のポイント
  • 代表(だいひょう)なくして課税(かぜい)なし 本国(ほんごく)の議会(ぎかい)に代表(だいひょう)を送(おく)っていないのに課税(かぜい)されることへの反対(はんたい)の言葉(ことば)
  • ボストン茶会事件(ちゃかいじけん) 1773年(ねん)。茶(ちゃ)法(ほう)に反発(はんぱつ)した人々(ひとびと)が茶(ちゃ)を海(うみ)に投(な)げ捨(す)てた
  • 大陸会議(たいりくかいぎ) 植民地(しょくみんち)の代表(だいひょう)が集(あつ)まった会議(かいぎ)。1774年(ねん)に第(だい)1回(かい)、1775年(ねん)から第(だい)2回(かい)が開(ひら)かれ、第(だい)2回(かい)が独立宣言(どくりつせんげん)を発表(はっぴょう)した
  • パリ条約(じょうやく) 1783年(ねん)。イギリスがアメリカ合衆国(がっしゅうこく)の独立(どくりつ)を認(みと)めた
  • 合衆国憲法(がっしゅうこくけんぽう) 1787年(ねん)に制定(せいてい)。連邦(れんぽう)主義(しゅぎ)と三権分立(さんけんぶんりつ)を定(さだ)めた