独立宣言
フクロウ先生前半は「人の権利と政府の役割」、後半は「国王への不満と独立の宣言」。二つに分けて読むとわかりやすい。
30秒でつかむ
- 1776年7月4日、第2回大陸会議が採択した。起草の中心はジェファソンである。
- すべての人は平等につくられ、生命・自由・幸福の追求の権利をもつと述べ、抵抗権も認めている。
- その理念はフランスの人権宣言(新しいタブで開きます)に影響を与えた。一方、黒人奴隷や先住民、女性の権利は等しく保障されなかった。
- いつ
- 1776年7月4日
- どこ
- フィラデルフィア(大陸会議)
- 誰
- ジェファソン・大陸会議
- 何
- 大陸会議が、13植民地がイギリスから独立する意思を表明した
詳しく
背景
イギリスの13植民地では、1775年4月に独立戦争が始まったあとも、本国との和解を望む人々がまだ多かった。1776年1月、トマス=ペインは『コモン=センス』を著し、イギリスの国王や王政を批判して、独立こそが植民地の利益になると訴える。この小冊子は植民地で広く読まれ、独立を求める世論が強まった。フィラデルフィアで開かれていた大陸会議は、6月に5人の起草委員会を設け、委員のジェファソンが原案を書いた。
流れ
1776年7月2日、大陸会議は独立の決議を可決し、7月4日には独立宣言を採択した。宣言はまず、すべての人は平等につくられ、生命・自由・幸福の追求という奪うことのできない権利を与えられていると述べる。政府はこうした権利を守るためにつくられたもので、その権力は統治される人々の同意にもとづく。政府がこの目的を損なうなら、人民はそれを改めたり廃止したりして、新しい政府をつくる権利をもつ(抵抗権)。
こうした考え方には、イギリスの思想家ロックが説いた自然権や社会契約説(新しいタブで開きます)のほか、同じ年の6月にバージニアで採択された権利章典の影響がみられる。宣言の後半では、国王ジョージ3世による不当な行いを一つずつ挙げ、植民地が自由で独立した国であることを表明した。
結果
独立宣言は、独立戦争を戦う植民地の人々を一つにまとめる役割を果たした。人は生まれながらに権利をもつという考え方は、1789年のフランスの人権宣言にも影響を与えている。一方で、起草したジェファソン自身が奴隷を所有していたように、宣言が掲げた権利は、黒人奴隷や先住民、女性には等しく保障されなかった。のちに奴隷制の廃止や女性の権利を求めた人々は、この宣言の言葉を根拠に自分たちの権利を訴えていく。
主な出来事
- 独立戦争の始まり
- ペイン『コモン=センス』
- 起草委員会の設置
- 独立の決議
- 独立宣言の採択
- パリ条約で独立が認められる
- フランスの人権宣言
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/declaration-of-independence/?from=print#quiz
アメリカで独立宣言が出された年は?
- ◯ 1765年
- ◯ 1776年
- ◯ 1783年
- ◯ 1789年
正解:1776年
1776年に独立宣言。独立が認められたのは1783年のパリ条約。独立宣言の起草の中心となった人物は?
- ◯ フランクリン
- ◯ ワシントン
- ◯ ジェファソン
- ◯ トマス=ペイン
正解:ジェファソン
ジェファソンは大陸会議が設けた起草委員会の一員として原案を書いた。ワシントンは独立戦争の総司令官、ペインは『コモン=センス』の著者。独立宣言の「権利を守らない政府は、人民が改めたり廃止したりできる」という考え方に影響を与えたイギリスの思想家は?
- ◯ ロック
- ◯ ルソー
- ◯ モンテスキュー
- ◯ ホッブズ
正解:ロック
ロックは、人は生まれながらに自然権をもち、政府がそれを守らないときは人民が抵抗できると説いた。
単元のポイント
- 大陸会議 13植民地の代表の会議。フィラデルフィアで開かれた
- ジェファソン 独立宣言の起草の中心。のちに第3代大統領
- 抵抗権 権利を守らない政府を、人民が改めたり廃止したりできるとする考え
- ロック イギリスの思想家。自然権や社会契約説を説いた
- コモン=センス 1776年、トマス=ペインが独立を訴えた小冊子