ガリバルディ
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- 1807年にニースで生まれ、マッツィーニがつくった青年イタリアに加わって、イタリアの統一(新しいタブで開きます)をめざした。
- 1860年、義勇兵の千人隊を率いてシチリア島に上陸し、南イタリアの両シチリア王国を崩壊に追いこんだ。
- 征服した南イタリアをサルデーニャ王国(新しいタブで開きます)の国王に差し出し、翌1861年にイタリア王国が成立した。
詳しく
背景
1807年、ガリバルディは地中海に面した町ニースで生まれた。若いころは船乗りとして、地中海などを航海している。当時のイタリアは多くの国に分かれ、全体としてオーストリアから強い影響を受けていた。1833年、彼は統一運動の指導者マッツィーニがつくった青年イタリアに加わる。これは、イタリアを統一して、国王のいない共和国をつくることをめざす団体である。翌年、ガリバルディは港町ジェノヴァで反乱を起こそうとしたが失敗した。本人がいない裁判で死刑を言いわたされ、南アメリカへ逃れている。
流れ
南アメリカでは、ウルグアイや、ブラジルから分かれようとした地域を助けて戦い、ゲリラ戦を身につけた。ゲリラ戦とは、小さな部隊で敵のすきをついて攻める戦い方である。1848年に革命が広がるとイタリアへもどり、義勇兵を率いてオーストリア軍と戦う。義勇兵とは、自分から進んで兵士になった人々である。翌年、ローマでは教皇が国を治めるしくみが廃止され、ローマ共和国がつくられた。ガリバルディはこの共和国を守る戦いを指揮し、名を知られるようになる。その後ふたたび国外で暮らし、1854年に帰国する。1859年には、北イタリアのサルデーニャ王国とオーストリアとの戦争で、義勇兵の部隊を率いて勝利をあげた。
結果
1860年5月、ガリバルディは義勇兵約1000人の千人隊を率いてシチリア島に上陸した。島の民衆とともに両シチリア王国の軍を破り、ナポリまで進んで、この王国を崩壊に追いこむ。そして、征服した南イタリアを、サルデーニャ王国の国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世に差し出した。翌1861年には、イタリア王国が成立する。ガリバルディは今も、イタリアの国民的な英雄として語り継がれている。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/garibaldi/?from=print#quiz
1860年、ガリバルディが率いてシチリア島に上陸した義勇兵の部隊は?
- ◯ 青年イタリア
- ◯ 千人隊
- ◯ 国民衛兵
- ◯ 神聖同盟
正解:千人隊
ガリバルディは1860年5月、義勇兵約1000人の千人隊(赤シャツ隊)を率いてシチリア島に上陸した。ガリバルディは、征服した南イタリアをだれに差し出した?
- ◯ フランス皇帝
- ◯ サルデーニャ王国の国王
- ◯ ローマ教皇
- ◯ オーストリア皇帝
正解:サルデーニャ王国の国王
ガリバルディは、征服した南イタリアをサルデーニャ王国(新しいタブで開きます)の国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世に差し出した。翌1861年にイタリア王国が成立した。マッツィーニがつくり、1833年にガリバルディが加わった団体は?
- ◯ 神聖同盟
- ◯ ジャコバン派
- ◯ ドイツ関税同盟
- ◯ 青年イタリア
正解:青年イタリア
ガリバルディは1833年、マッツィーニがつくった青年イタリアに加わった。この団体は、イタリアを統一して、国王のいない共和国をつくることをめざした。
単元のポイント
- 青年イタリア 1831年にマッツィーニがつくった団体。イタリアの統一と共和国をつくることをめざした
- 千人隊 1860年にガリバルディが組織した義勇兵の部隊。赤いシャツを着ていたため、赤シャツ隊ともよばれる
- 両シチリア王国 シチリア島とイタリア半島の南部からなる王国。スペインの王家と同じブルボン家の一族が治めていた
- ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世 サルデーニャ王国の国王。1861年に成立したイタリア王国の国王となった