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サルデーニャ王国(おうこく)

1720〜1861年・北イタリア

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  1. 1720年(ねん)、サヴォイア家(け)がサルデーニャ島(とう)を得(え)てできた王国(おうこく)。国(くに)の中心(ちゅうしん)は北(きた)イタリアの本土(ほんど)で、都(みやこ)はトリノ。
  2. 1848年(ねん)に憲法(けんぽう)を定(さだ)め、オーストリアに対抗(たいこう)するイタリア統一(とういつ)(新しいタブで開きます)運動(うんどう)(リソルジメント)の中心(ちゅうしん)となった。
  3. 首相(しゅしょう)カヴール(新しいタブで開きます)のもとで領土(りょうど)を広(ひろ)げ、1861年(ねん)にイタリア王国(おうこく)が成立(せいりつ)した。

詳しく

背景(はいけい)

サルデーニャ王国(おうこく)は、1720年(ねん)に北(きた)イタリアに生(う)まれた王国(おうこく)である。ピエモンテ地方(ちほう)などを治(おさ)めていたサヴォイア家(け)は、1713年(ねん)にシチリア島(とう)と王(おう)の位(くらい)を得(え)ていた。1720年(ねん)、シチリア島(とう)と引(ひ)きかえに地中海(ちちゅうかい)のサルデーニャ島(とう)を得(え)て、この王国(おうこく)ができた。国(くに)の名前(なまえ)は島(しま)からつけられたが、国(くに)の中心(ちゅうしん)は本土(ほんど)のピエモンテにあり、都(みやこ)はトリノに置(お)かれた。

ナポレオン(新しいタブで開きます)の時代(じだい)にはフランスに敗(やぶ)れて、本土(ほんど)の領土(りょうど)をすべて失(うしな)う。1815年(ねん)のウィーン会議(かいぎ)(新しいタブで開きます)で領土(りょうど)を取(と)りもどした。さらに、港町(みなとまち)ジェノヴァを中心(ちゅうしん)とする旧(きゅう)ジェノヴァ共和国(きょうわこく)の土地(とち)も加(くわ)えた。

流(なが)れ

1848年(ねん)3月(がつ)、国王(こくおう)カルロ=アルベルトは憲法(けんぽう)を定(さだ)め、立憲(りっけん)体制(たいせい)をとった。憲法(けんぽう)にもとづいて議会(ぎかい)を開(ひら)き、政治(せいじ)を行(おこな)うしくみである。このころ、オーストリアが治(おさ)めていたミラノで反乱(はんらん)が起(お)こる。国王(こくおう)はオーストリアと戦(たたか)う道(みち)を選(えら)んだが、翌年(よくねん)にかけての戦(たたか)いに敗(やぶ)れ、王(おう)の位(くらい)を退(しりぞ)いた。それでもこの王国(おうこく)は、オーストリアに対抗(たいこう)してイタリアの独立(どくりつ)と統一(とういつ)をめざす運動(うんどう)(リソルジメント)の中心(ちゅうしん)となっていく。

次(つぎ)の国王(こくおう)ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世(せい)のもとで、1852年(ねん)にカヴールが首相(しゅしょう)となった。カヴールは国(くに)の経済(けいざい)を近代(きんだい)化(か)する改革(かいかく)を進(すす)め、外交(がいこう)にも力(ちから)を入(い)れた。

結果(けっか)

カヴールは1855年(ねん)に王国(おうこく)をクリミア戦争(せんそう)(新しいタブで開きます)に参戦(さんせん)させた。1858年(ねん)には、フランスのナポレオン3世(せい)(新しいタブで開きます)と秘密(ひみつ)の約束(やくそく)(プロンビエールの密約(みつやく))を結(むす)ぶ。翌(よく)1859年(ねん)、フランスとともにオーストリアと戦(たたか)い、北(きた)イタリアのロンバルディアを得(え)た。1860年(ねん)には、住民(じゅうみん)投票(とうひょう)を経(へ)て中部(ちゅうぶ)イタリアをあわせ、ガリバルディ(新しいタブで開きます)らが征服(せいふく)した南(みなみ)イタリアも加(くわ)えた。こうして1861年(ねん)、イタリア王国(おうこく)が成立(せいりつ)した。

確認問題

問題 1 / 3サルデーニャ王国(おうこく)の都(みやこ)が置(お)かれた、北(きた)イタリアの都市(とし)は?

確認問題(解答用紙)

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  1. サルデーニャ王国(おうこく)の都(みやこ)が置(お)かれた、北(きた)イタリアの都市(とし)は?

    • ◯ ナポリ
    • ◯ トリノ
    • ◯ ヴェネツィア
    • ◯ ミラノ

    正解:トリノ
    国(くに)の名前(なまえ)はサルデーニャ島(とう)からつけられたが、国(くに)の中心(ちゅうしん)は本土(ほんど)のピエモンテ地方(ちほう)にあり、都(みやこ)はトリノに置(お)かれた。

  2. 1848年(ねん)、サルデーニャ王国(おうこく)で憲法(けんぽう)を定(さだ)め、オーストリアとの戦(たたか)いを始(はじ)めた国王(こくおう)は?

    • ◯ ルイ=フィリップ
    • ◯ ナポレオン3世(せい)
    • ◯ カルロ=アルベルト
    • ◯ ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世(せい)

    正解:カルロ=アルベルト
    カルロ=アルベルトは1848年(ねん)3月(がつ)に憲法(けんぽう)を定(さだ)め、オーストリアと戦(たたか)った。しかし翌年(よくねん)にかけての戦(たたか)いに敗(やぶ)れ、王(おう)の位(くらい)を退(しりぞ)いた。

  3. サルデーニャ王国(おうこく)の首相(しゅしょう)として、王国(おうこく)をクリミア戦争(せんそう)に参戦(さんせん)させ、フランスと密約(みつやく)を結(むす)ぶなどしてイタリアの統一(とういつ)を進(すす)めた人物(じんぶつ)は?

    • ◯ メッテルニヒ
    • ◯ ガリバルディ
    • ◯ マッツィーニ
    • ◯ カヴール

    正解:カヴール
    1852年(ねん)に首相(しゅしょう)となったカヴール(新しいタブで開きます)は、王国(おうこく)をクリミア戦争(せんそう)(新しいタブで開きます)に参戦(さんせん)させ、ナポレオン3世(せい)(新しいタブで開きます)とプロンビエールの密約(みつやく)を結(むす)んだ。1859年(ねん)にはフランスとともにオーストリアと戦(たたか)い、ロンバルディアを得(え)た。

単元のポイント

  • サヴォイア家(け) サルデーニャ王国(おうこく)の王家(おうけ)。中世(ちゅうせい)にアルプスのサヴォイア地方(ちほう)で始(はじ)まった家(いえ)で、北(きた)イタリアに領土(りょうど)を広(ひろ)げた。のちにイタリア王国(おうこく)の王家(おうけ)となった
  • カヴール(新しいタブで開きます) 1852年(ねん)にサルデーニャ王国(おうこく)の首相(しゅしょう)となった政治家(せいじか)。経済(けいざい)の近代(きんだい)化(か)と巧(たく)みな外交(がいこう)で、王国(おうこく)を中心(ちゅうしん)とするイタリアの統一(とういつ)を進(すす)めた
  • リソルジメント(新しいタブで開きます) 19世紀(せいき)のイタリアで、独立(どくりつ)と統一(とういつ)をめざした運動(うんどう)。北(きた)イタリアの一部(いちぶ)を治(おさ)め、各地(かくち)に強(つよ)い影響力(えいきょうりょく)をもつオーストリアに対抗(たいこう)した。「再興(さいこう)」という意味(いみ)のイタリア語(ご)である

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  • サヴォイア家(け) サルデーニャ王国(おうこく)の王家(おうけ)。中世(ちゅうせい)にアルプスのサヴォイア地方(ちほう)で始(はじ)まった家(いえ)で、北(きた)イタリアに領土(りょうど)を広(ひろ)げた。のちにイタリア王国(おうこく)の王家(おうけ)となった
  • カヴール(新しいタブで開きます) 1852年(ねん)にサルデーニャ王国(おうこく)の首相(しゅしょう)となった政治家(せいじか)。経済(けいざい)の近代(きんだい)化(か)と巧(たく)みな外交(がいこう)で、王国(おうこく)を中心(ちゅうしん)とするイタリアの統一(とういつ)を進(すす)めた
  • リソルジメント(新しいタブで開きます) 19世紀(せいき)のイタリアで、独立(どくりつ)と統一(とういつ)をめざした運動(うんどう)。北(きた)イタリアの一部(いちぶ)を治(おさ)め、各地(かくち)に強(つよ)い影響力(えいきょうりょく)をもつオーストリアに対抗(たいこう)した。「再興(さいこう)」という意味(いみ)のイタリア語(ご)である