カヴール
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- 1810年に北イタリアのトリノの名門貴族の家に生まれ、1852年にサルデーニャ王国(新しいタブで開きます)の首相となって国の近代化を進めた。
- クリミア戦争(新しいタブで開きます)に兵を送り、フランス皇帝ナポレオン3世(新しいタブで開きます)と結んで、1859年にオーストリアと戦った。
- 中部イタリアの各地と南イタリアを併合して1861年にイタリア王国を成立させ、初代首相となった直後に亡くなった。
詳しく
背景
1810年、北イタリアのピエモンテ地方にある都市トリノで、名門の貴族の家に生まれた。軍の学校(士官学校)を出て軍人になったが、1831年にやめている。その後イギリスやフランスを旅して、工場や鉄道、自由主義(新しいタブで開きます)に出会った。自由主義とは、個人の権利や自由を大切にする考え方である。帰国すると、自分の農場の経営を改め、銀行づくりにも取り組んだ。
流れ
1847年、カヴールは新聞『リソルジメント(新しいタブで開きます)』を始めた。リソルジメントとは、イタリアの統一をめざす運動を指す言葉である。翌年には、ピエモンテ地方を中心とするサルデーニャ王国の議員となり、大臣を経て1852年に首相となる。首相として、自由貿易や鉄道の建設を進め、国の近代化を急いだ。外交では国の立場を高め、フランスの支持を得ようとした。そこで1855年、議会の反対を押し切ってクリミア戦争に兵を送る。戦争を終わらせるためにパリで開かれた会議では、イタリアの状況を各国に訴えた。1858年にはフランスのナポレオン3世と、オーストリアと戦うための秘密の約束を結んだ(プロンビエールの密約)。
結果
1859年、サルデーニャ王国はフランスとともにオーストリアと戦った。ところがナポレオン3世は途中で、オーストリアと講和(戦いをやめる約束)を結ぶ。この講和で王国はロンバルディアを得たが、カヴールは抗議して首相をやめた。翌年に首相へもどり、中部イタリアの各地を併合した。ガリバルディ(新しいタブで開きます)が征服した南イタリアも加え、1861年3月にイタリア王国が成立した。カヴールは初代首相となったが、6月に急死している。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/cavour/?from=print#quiz
カヴールが首相をつとめ、イタリアの統一の中心となった国は?
- ◯ ヴェネツィア共和国
- ◯ サルデーニャ王国
- ◯ 教皇領
- ◯ ナポリ王国
正解:サルデーニャ王国
カヴールは1852年にサルデーニャ王国(新しいタブで開きます)の首相となった。この国を中心に統一が進み、1861年にイタリア王国が成立した。1858年、カヴールがナポレオン3世と、オーストリアと戦うために結んだ取り決めは?
- ◯ 三国同盟
- ◯ ティルジット条約
- ◯ 神聖同盟
- ◯ プロンビエールの密約
正解:プロンビエールの密約
カヴールは1858年、フランスのプロンビエールでナポレオン3世(新しいタブで開きます)とひそかに取り決めを結んだ。翌1859年、フランスとともにオーストリアと戦った。1861年にイタリア王国が成立したとき、カヴールが就いた地位は?
- ◯ 初代国王
- ◯ 初代大統領
- ◯ ローマ教皇
- ◯ 初代首相
正解:初代首相
1861年3月にイタリア王国が成立し、カヴールは初代首相となった。しかし同じ年の6月に急死した。
単元のポイント
- サルデーニャ王国(新しいタブで開きます) 北イタリアのピエモンテ地方とサルデーニャ島をあわせた国。カヴールが首相をつとめ、この国を中心にイタリアの統一が進んだ
- プロンビエールの密約 1858年、カヴールとナポレオン3世がフランスのプロンビエールで結んだ、オーストリアと戦うための秘密の約束
- ガリバルディ(新しいタブで開きます) 1860年、自分から進んで集まった兵士たち(千人隊)を率いて、南イタリアを征服した人物。その土地はサルデーニャ王国に併合された