第一次世界大戦
フクロウ先生オーストリアとセルビアの争いが、なぜ数日でヨーロッパの大国どうしの戦争になったのか。三国同盟と三国協商の線をたどりながら、どの国がどの順に宣戦したかを確かめてみよう。
30秒でつかむ
- 三国同盟と三国協商が対立するなか、1914年6月にサライェヴォ事件が起こる。7月、オーストリアがセルビアに宣戦して大戦が始まった。
- 西部戦線は地面に掘ったみぞ(塹壕)の中でほとんど動かなくなり、主な参戦国が国民を広く戦争にかり出す総力戦となった。1917年にはアメリカが連合国側で参戦した。
- 1918年11月11日にドイツが休戦条約を結び、大戦は終わった。翌1919年、連合国とドイツの間でヴェルサイユ条約が結ばれた。
- いつ
- 1914年7月28日〜1918年11月11日
- どこ
- ヨーロッパを主な戦場とし、中東や東アジアにも戦いが広がった
- 誰
- 同盟国(ドイツ、オーストリア、オスマン帝国、ブルガリア)と、協商国=連合国(イギリス、フランス、ロシア、イタリア、アメリカ、日本など)
- 何
- 同盟で結ばれた国々が次々に宣戦し、国の力をすべて注ぎこむ長い戦争になった
詳しく
背景
19世紀の終わりから、列強(ヨーロッパの強い国々)は植民地などをめぐって争い、2つの陣営に分かれた。ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟と、イギリス・フランス・ロシアの三国協商である。バルカン半島では、スラヴ系の民族(セルビア人など)をまとめようとするロシアと、勢力をのばすオーストリアが対立していた。1908年、オーストリアはボスニア・ヘルツェゴヴィナを自国の領土に組み入れた。セルビアは強く反発する。1914年6月28日、ボスニアの都市サライェヴォで事件が起こる。オーストリアの皇位継承者(次の皇帝になる予定の人)の夫妻が、セルビア系の青年に暗殺されたのである(サライェヴォ事件)。
流れ
7月28日、オーストリアはセルビアに宣戦した。セルビアを助けるロシアが軍隊を集め始めると、ドイツは、8月にロシアとフランスに宣戦する。ドイツが中立国(戦争に加わらない国)のベルギーに攻めこむと、イギリスもドイツに宣戦した。日本も、イギリスと結んでいた日英同盟を理由に参戦している。こうして、ドイツ側の同盟国と、イギリス・フランス・ロシアなどの協商国(のちの連合国)の戦争になった。のちにオスマン帝国とブルガリアが同盟国側に加わる。開戦のときは中立を守ったイタリアも、1915年に協商国側で参戦した。
ドイツ軍はフランスに攻めこんだが、1914年9月のマルヌの戦いで進撃を止められる。両軍は長いみぞ(塹壕)を掘ってこもり、フランス北部などの西部戦線はほとんど動かなくなった。毒ガスや戦車などの新しい兵器も使われ、死傷者はそれまでよりはるかに多くなる。主な参戦国は国民を広く戦争にかり出し、食料などを国が配る配給も行った。国のすべての力を注ぐこのような戦争を、総力戦という。
1917年2月、ドイツは無制限潜水艦作戦を再開した。中立国の船まで警告なしに沈める作戦である。アメリカの世論は強く反発し、4月にアメリカはドイツに宣戦する。同じ年、ロシアでは2度の革命(ロシア革命(新しいタブで開きます))が起こった。11月の革命でできた政府は、1918年3月にドイツと講和(戦争をやめる取り決め)を結んだ(ブレスト・リトフスク条約)。
結果
アメリカ軍が加わった連合国は、1918年7月から反撃に出た。9月から11月の初めにかけて、ブルガリア・オスマン帝国・オーストリアが次々に戦いをやめる。ドイツでは、軍港キールで海軍の兵士(水兵)が反乱を起こす。これをきっかけにドイツ革命が広がり、皇帝ヴィルヘルム2世はオランダへ逃れた。11月11日、ドイツは連合国と休戦条約を結び、大戦は終わった。戦死者は900万〜1000万人にのぼったとされる。翌1919年、連合国とドイツの間で、ドイツに厳しい内容のヴェルサイユ条約が結ばれた。
主な出来事
- ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟が成立する
- 英露協商が結ばれ、三国協商がそろう
- サライェヴォ事件が起こる
- オーストリアがセルビアに宣戦し、大戦が始まる
- イギリスがドイツに宣戦する
- マルヌの戦いで、ドイツ軍の進撃が止まる
- イタリアが協商国側で参戦する
- ヴェルダンの戦いが始まる
- ドイツが無制限潜水艦作戦を再開する
- アメリカがドイツに宣戦する
- ロシアがブレスト・リトフスク条約を結び、戦争から抜ける
- ドイツが休戦条約に調印し、大戦が終わる
- ヴェルサイユ条約が結ばれる
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/world-war-i/?from=print#quiz
1914年6月、オーストリアの皇位継承者の夫妻が暗殺され、第一次世界大戦のきっかけとなった事件を何というか。
- ◯ 義和団事件
- ◯ 血の日曜日事件
- ◯ サライェヴォ事件
- ◯ ファショダ事件
正解:サライェヴォ事件
1914年6月28日、ボスニアのサライェヴォで事件が起きた。オーストリアの皇位継承者の夫妻が、セルビア系の青年に暗殺されたのである。7月28日、オーストリアはセルビアに宣戦し、大戦が始まった。第一次世界大戦の前に、三国協商を結んでいた3つの国として正しいものはどれか。
- ◯ イギリス・日本・アメリカ
- ◯ ドイツ・オーストリア・イタリア
- ◯ イギリス・フランス・ロシア
- ◯ フランス・ロシア・オーストリア
正解:イギリス・フランス・ロシア
イギリス・フランス・ロシアの三国協商は、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟と対立していた。兵士だけでなく国民を広く戦争にかり出し、国のすべての力を注ぎこむ戦争を何というか。
- ◯ 局地戦
- ◯ 冷戦
- ◯ 代理戦争
- ◯ 総力戦
正解:総力戦
第一次世界大戦は長く続き、主な参戦国は国民を広く戦争にかり出して、食料や物資の配給なども行った。このような戦争を総力戦という。1917年4月にアメリカがドイツに宣戦した大きなきっかけはどれか。
- ◯ ロシアで革命が起こった
- ◯ 日本がドイツに宣戦した
- ◯ ドイツが中立国のベルギーに攻めこんだ
- ◯ ドイツが無制限潜水艦作戦を再開した
正解:ドイツが無制限潜水艦作戦を再開した
1917年2月、ドイツは中立国の船まで警告なしに沈める無制限潜水艦作戦を再開した。アメリカの世論はこれに強く反発し、4月にアメリカはドイツに宣戦した。ベルギーへ攻めこんだことは、1914年にイギリスが宣戦した理由である。
単元のポイント
- 三国同盟 ドイツ・オーストリア・イタリアが1882年に結んだ同盟
- 三国協商 イギリス・フランス・ロシアの3国が手を結んだ関係。1907年までにできあがった
- サライェヴォ事件 1914年6月28日、ボスニアのサライェヴォで、オーストリアの次の皇帝になる予定の人(皇位継承者)とその妻が暗殺された事件
- 塹壕 敵の弾をよけるために、地面に掘った長いみぞ
- 総力戦 兵士だけでなく国民を広く戦争にかり出し、国のすべての力を注ぎこむ戦争
- 無制限潜水艦作戦 イギリスの周りや地中海などの海で、戦争に加わっていない中立国の船も区別せず、警告なしに潜水艦で沈めるドイツの作戦
- 休戦条約 戦いをやめることを決めた取り決め。1918年11月11日にドイツが結んだ