ロシア革命
フクロウ先生1917年のロシアでは、革命が2回起きている。3月の革命で皇帝が倒れ、11月の革命で臨時政府が倒れた。それぞれ「だれが、だれを倒したのか」を分けて整理しよう。
30秒でつかむ
- 大戦で負けが続き、食料が足りなくなった1917年3月、首都で起きた革命で皇帝ニコライ2世が退位し、ロマノフ朝が倒れた。
- そのあと、臨時政府と、労働者や兵士の代表の会議(ソヴィエト)が並び立つ。11月、レーニン(新しいタブで開きます)の率いるボリシェヴィキが臨時政府を倒し、世界初の社会主義の政権をつくった。
- 新しい政府は1918年にドイツと講和(戦争をやめる取り決め)を結んで大戦から抜けた。内戦と外国の軍隊を退けたのち、1922年にソ連が成立した。
- いつ
- 1917年(3月に皇帝の政治が倒れ、11月にソヴィエト政権ができた)
- どこ
- ロシア(首都ペトログラードで始まり、全国に広がった)
- 誰
- レーニン・ボリシェヴィキ、皇帝ニコライ2世、ケレンスキー
- 何
- 皇帝の政治が倒れ、臨時政府をへて、ボリシェヴィキによる社会主義の政権が生まれた
詳しく
背景
20世紀の初めのロシアでは、ツァーリ(皇帝)が議会にしばられずに国を治めていた。1905年、日露戦争のさなかの首都で、生活の苦しさを皇帝に訴えようとした労働者たちに、軍隊が発砲した。これを血の日曜日事件という。この事件をきっかけに、各地でストライキや反乱が広がる。皇帝は国会を開くと約束したが、これらの動きはおさえられ、皇帝が強い力をにぎる政治は続いた。第一次世界大戦(新しいタブで開きます)が始まると、ロシア軍は1915年にドイツ軍に大敗した。戦争が長引くなか、国内では食料が足りなくなる。1916年から翌年にかけての冬には、皇帝ニコライ2世への不満が首都に満ちていた。
流れ
1917年3月、首都ペトログラードで、食料不足に苦しむ民衆のストライキやデモが起こった。兵士も民衆の側につき、革命は全国に広がる。皇帝ニコライ2世は位を退き、300年続いたロシアの王朝、ロマノフ朝が倒れた。当時のロシアの暦ではこの月が2月にあたるため、この革命をロシア二月革命という。
革命のさなか、労働者や兵士は代表を選び、ソヴィエト(評議会)という会議をつくった。その支持を受けて、自由主義(新しいタブで開きます)の政治家を中心とする臨時政府ができる。臨時政府は戦争を続けようとした。4月、スイスから帰国したレーニンは四月テーゼを発表する。臨時政府を支持せず、すべての権力をソヴィエトに移すよう訴えた。7月にはケレンスキーが首相になったが、戦争をやめられず、支持を失っていった。
11月7日(ロシアの暦で10月25日)、レーニンの率いるボリシェヴィキが武器を持って立ち上がり、臨時政府を倒した。ボリシェヴィキは、ロシア社会民主労働党から分かれた、社会主義をめざす勢力である。この革命を十月革命という。翌8日、全ロシア・ソヴィエト大会は「平和に関する布告」を出し、領土も賠償金も取らずにすぐ戦争をやめるよう呼びかけた。地主などの土地を代金を払わずに取り上げる「土地に関する布告」も出している。こうして、世界で初めての社会主義の政権が生まれた。社会主義とは、工場や土地を個人のものとせず、社会全体で持とうとする考えである。
結果
1918年3月、ソヴィエト政府はドイツとブレスト・リトフスク条約を結び、広い領土を失って大戦から抜けた。革命に反対する勢力との内戦も本格化する。反対派を助けるため、イギリス・フランス・アメリカ・日本などが軍隊を送った。これが対ソ干渉戦争で、日本のシベリア出兵もその1つである。
政府は軍隊(赤軍)の力を強め、1920年の末までに反対派と外国の軍をほぼ退けた。日本軍も1922年にシベリアから兵を引きあげている。同じ年、ロシアなどの共和国が集まりソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立した。
主な出来事
- 血の日曜日事件が起こる
- ドイツがロシアに宣戦し、大戦に加わる
- ペトログラードでストライキとデモが始まる
- ニコライ2世が退位し、臨時政府ができる
- レーニンが帰国し、四月テーゼを発表する
- ケレンスキーが臨時政府の首相になる
- 十月革命で、ボリシェヴィキが臨時政府を倒す
- 平和に関する布告と土地に関する布告が出る
- ドイツとブレスト・リトフスク条約を結ぶ
- 日本とアメリカがシベリアに出兵する
- ソヴィエト社会主義共和国連邦が成立する
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/russian-revolution/?from=print#quiz
1917年3月(ロシアの暦で2月)に起きた革命の結果として、正しいものはどれか。
- ◯ 皇帝ニコライ2世が退位し、ロマノフ朝が倒れた
- ◯ ボリシェヴィキが臨時政府を倒した
- ◯ ソヴィエト社会主義共和国連邦が成立した
- ◯ ロシアがドイツと講和を結んだ
正解:皇帝ニコライ2世が退位し、ロマノフ朝が倒れた
1917年3月、首都ペトログラードで革命が起きた(ロシア二月革命)。この結果、皇帝ニコライ2世が退位し、ロマノフ朝が倒れた。ボリシェヴィキが臨時政府を倒したのは、同じ年の11月の十月革命である。ロシア二月革命のさなかに、労働者や兵士が代表を選んでつくった会議を何というか。
- ◯ 臨時政府
- ◯ ソヴィエト
- ◯ 三部会
- ◯ 国民公会
正解:ソヴィエト
革命のさなか、労働者や兵士は代表を選び、ソヴィエト(評議会)という会議をつくった。臨時政府は、その支持を受けて、自由主義(新しいタブで開きます)の政治家を中心にできた政府である。十月革命の翌日に出された「平和に関する布告」の内容はどれか。
- ◯ 地主などの土地を、代金を払わずに取り上げると決めた
- ◯ ドイツとの戦争を、最後まで続けると決めた
- ◯ 領土や賠償金を取らずに、すぐに戦争をやめるよう呼びかけた
- ◯ 退位した皇帝を、元の位にもどすと決めた
正解:領土や賠償金を取らずに、すぐに戦争をやめるよう呼びかけた
1917年11月8日、全ロシア・ソヴィエト大会は、領土や賠償金を取らずに、すぐに戦争をやめる講和を呼びかけた。地主などの土地を取り上げたのは、同じ日に出た「土地に関する布告」である。ロシアの革命政府を倒そうとする勢力を助けるため、日本がシベリアに軍隊を送った出来事を何というか。
- ◯ 台湾出兵
- ◯ 日露戦争
- ◯ 山東出兵
- ◯ シベリア出兵
正解:シベリア出兵
イギリス・フランス・アメリカ・日本などは、革命に反対する勢力を助けるために軍隊を送った。これが対ソ干渉戦争で、日本のシベリア出兵もその1つである。日本軍は1922年にシベリアから兵を引きあげた。
単元のポイント
- ロシアの暦 当時のロシアで使われた暦。今の暦より13日遅れていた
- ロシア二月革命 1917年3月(ロシアの暦で2月)の革命。皇帝ニコライ2世が退位し、ロシアの王朝(ロマノフ朝)が倒れた
- 臨時政府 ロシア二月革命でできた政府。自由主義の政治家が中心で、大戦を続けようとした
- ソヴィエト 労働者や兵士が代表を選んでつくった会議。ロシア語で「評議会」という意味
- ボリシェヴィキ レーニンの率いる勢力。社会主義をめざすロシア社会民主労働党から分かれた。名前は「多数派」という意味
- 十月革命 1917年11月(ロシアの暦で10月)、ボリシェヴィキが臨時政府を倒した革命
- 対ソ干渉戦争 革命政府を倒そうとする勢力を助けるため、イギリス・フランス・アメリカ・日本などが軍隊を送った戦争