人権宣言
フクロウ先生主権は国民にあるという原則を打ち出した宣言。第1条と第3条を押さえると中身がつかみやすい。
30秒でつかむ
- 1789年8月、革命のさなかに国民議会(新しいタブで開きます)が採択し、新しい社会の原則を示した。
- 人は自由で権利において平等に生まれること、国民主権、私有財産の不可侵などを定めた。
- 実際には女性の政治参加は認められず、植民地の奴隷制も続くなど限界もあったが、のちの憲法や人権の考え方に受け継がれていく。
- いつ
- 1789年8月26日
- どこ
- フランス(ヴェルサイユ)
- 誰
- 国民議会・ラ=ファイエット(草案を提出)
- 何
- 人間の自由と平等、国民主権を宣言した
詳しく
背景
1789年、フランスでは国の財政難をきっかけに三部会(新しいタブで開きます)が開かれたが、議決の方法をめぐって特権身分と第三身分(新しいタブで開きます)が対立した。6月、第三身分の議員は国民議会を結成し、7月14日にはパリの民衆がバスティーユ牢獄(新しいタブで開きます)を襲った。各地で農民の蜂起が広がると、国民議会は8月4日から11日にかけて封建的特権の廃止を決めた(ただし領主に納める地代の多くは、買い取りが条件とされた)。そのうえで議会は、新しい憲法の土台になる原則を先に示そうとしたのである。宣言には、人は生まれながらに権利をもつという啓蒙思想(新しいタブで開きます)の考え方と、1776年のアメリカ独立宣言(新しいタブで開きます)の影響がみられる。
流れ
1789年8月26日、国民議会は人権宣言(正式には「人間および市民の権利の宣言」)を採択した。起草には、アメリカ独立戦争(新しいタブで開きます)に加わった貴族のラ=ファイエットらが関わっている。宣言は前文と17の条文からなる。第1条は、人は生まれながらに自由で、権利において平等であると定めた。第3条は、主権の源は国民にあるとする国民主権を示している。このほか、法の前の平等(新しいタブで開きます)、言論の自由、権力分立を掲げ、第17条では私有財産の不可侵を定めた。
しかし国王ルイ16世(新しいタブで開きます)は、宣言をすぐには承認しなかった。10月、食料不足に苦しむパリの女性たちを先頭に民衆がヴェルサイユへ押しかける(ヴェルサイユ行進)。国王はようやく宣言を受け入れ、国王一家はパリへ移ることを余儀なくされた。
結果
人権宣言は、1791年9月の1791年憲法の冒頭に掲げられた。この憲法は立憲君主政(新しいタブで開きます)を定めたが、選挙権は一定の税を納める男性に限られていた(制限選挙(新しいタブで開きます))。女性の政治的な権利が認められないことを批判したオランプ=ド=グージュは、同じ年に「女性および女性市民の権利宣言」を発表する。植民地の奴隷制も残され、1794年に一度廃止されたが、1802年にナポレオン(新しいタブで開きます)が復活させた。それでも、自由と平等を生まれながらの権利とする考え方は、のちの各国の憲法に大きな影響を与え、現在のフランス憲法の前文でも確認されている。
主な出来事
- 国民議会の成立
- バスティーユ牢獄襲撃
- 封建的特権の廃止を決議(〜11日)
- 人権宣言の採択
- ヴェルサイユ行進
- 1791年憲法の制定
- フランス植民地の奴隷制を廃止(1802年に復活)
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/declaration-of-the-rights-of-man/?from=print#quiz
1789年に人権宣言を採択したのは?
- ◯ 国民議会
- ◯ 国民公会
- ◯ 立法議会
正解:国民議会
人権宣言は1789年8月に国民議会(新しいタブで開きます)が採択した。立法議会は1791年、国民公会(新しいタブで開きます)は1792年にできた議会で、1789年にはまだない。人権宣言が採択されたのは1789年の何月?
- ◯ 5月
- ◯ 7月
- ◯ 8月
- ◯ 10月
正解:8月
5月に三部会(新しいタブで開きます)、7月にバスティーユ牢獄襲撃(新しいタブで開きます)、8月4日から封建的特権の廃止、26日に人権宣言。10月はヴェルサイユ行進。人権宣言の起草に関わり、アメリカ独立戦争にも参加したフランスの貴族は?
- ◯ ナポレオン
- ◯ ロベスピエール
- ◯ ミラボー
- ◯ ラ=ファイエット
正解:ラ=ファイエット
ラ=ファイエットはアメリカ独立戦争(新しいタブで開きます)で植民地側について戦い、1789年7月に宣言の草案を議会に出した。人権宣言には、アメリカ独立革命や啓蒙思想(新しいタブで開きます)の影響がみられる。人権宣言が出たあとも残った課題として正しいものは?
- ◯ 国民主権は否定された
- ◯ 私有財産は認められなかった
- ◯ 女性の政治的な権利は認められなかった
- ◯ 国王の権力がかえって強まった
正解:女性の政治的な権利は認められなかった
1791年憲法の選挙権は一定の税を納める男性に限られた。オランプ=ド=グージュは、人権宣言が女性の権利を実際には認めていないことを批判した。
単元のポイント
- 国民議会(新しいタブで開きます) 1789年6月17日、第三身分の議員が名のった議会。のちに他の身分の議員も加わった
- ラ=ファイエット 起草に関わった貴族。アメリカ独立戦争にも参加した
- 国民主権 主権の源は国民にあるとする考え(第3条)
- ヴェルサイユ行進 1789年10月。国王が宣言を受け入れるきっかけになった
- オランプ=ド=グージュ 1791年、女性の権利を求める宣言を発表した