名誉革命
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- 17世紀のイギリスで、カトリックを重んじて議会を無視した国王ジェームズ2世に議会が反発した。
- 1688年、議会の指導者たちがオランダ総督ウィレムを招き、ジェームズ2世はフランスへ逃れた。
- 1689年に権利の章典が定められ、議会が中心となる立憲君主政(新しいタブで開きます)の土台が固まった。
詳しく
背景
17世紀のイギリスでは、国王と議会の対立が続いていた。ピューリタン革命(新しいタブで開きます)(1642年〜)で王政はいったん廃止されたが、1660年に国王を迎えて王政にもどった(王政復古)。
1685年に即位したジェームズ2世は、カトリックを重んじる政治を進めた。カトリック教徒を役人に取り立て、議会も無視したのである。1688年に王子が生まれると、カトリックの王が続くことを恐れる声が強まった。
流れ
1688年、議会の指導者たちは、国王の長女メアリの夫で、オランダを率いる総督のウィレム(のちのウィリアム3世)を招いた。2人はともにプロテスタントである。
11月にウィレムが軍を率いてイングランド南西の海岸に上陸すると、国王の軍からも寝返る者が相次いだ。ジェームズ2世は大きな戦いをしないまま、フランスへ逃れる。1689年、議会は権利の宣言を出した。2人はこれを認め、ウィリアム3世とメアリ2世として王位についた。
結果
権利の宣言は、同じ1689年に権利の章典として法律になった。国王が議会の承認なしに、法律の効力を止めたり税をかけたりすることは禁じられた。こうして議会が政治の中心となる立憲君主政の土台が固まった。イギリスの中心であるイングランドでは、ほとんど血が流れなかったため、「名誉」革命とよばれている。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/glorious-revolution/?from=print#quiz
名誉革命で議会に招かれ、妻とともに王位についたオランダ総督は?
- ◯ ルイ14世
- ◯ クロムウェル
- ◯ チャールズ1世
- ◯ ウィリアム3世
正解:ウィリアム3世
オランダ総督のウィレムは、1689年に議会の権利の宣言を認め、ウィリアム3世として王位についた。妻のメアリ2世は、ジェームズ2世の長女である。名誉革命の前、国王ジェームズ2世が議会と対立した理由として正しいものは?
- ◯ カトリックを重んじ、議会を無視したから
- ◯ 議会に求められ、プロテスタントに宗派を変えたから
- ◯ フランスとの戦争に負け、領土を失ったから
正解:カトリックを重んじ、議会を無視したから
ジェームズ2世はカトリック教徒を役人に取り立てるなど、カトリックを重んじ、議会を無視した政治を進めた。これに反対した議会の指導者たちが、オランダからウィレムを招いた。次の出来事を起きた順に並べよう。
- ( )権利の章典が定められる
- ( )王政復古が行われる
- ( )ピューリタン革命が始まる
- ( )ジェームズ2世が王位につく
正解:ピューリタン革命が始まる → 王政復古が行われる → ジェームズ2世が王位につく → 権利の章典が定められる
ピューリタン革命(新しいタブで開きます)が始まる(1642年)→王政復古が行われる(1660年)→ジェームズ2世が王位につく(1685年)→権利の章典が定められる(1689年)。
単元のポイント
- ピューリタン革命(新しいタブで開きます) 1642年に始まったイギリスの革命。議会派が国王チャールズ1世を処刑し、いったん王政を廃止した
- 権利の章典 1689年に定められた法律。国王が議会の承認なしに、法律の効力を止めたり税をかけたりすることを禁じた
- 立憲君主政(新しいタブで開きます) 国王がいても、法律や議会がその力をおさえる政治のしくみ