ソヴィエト連邦の成立
フクロウ先生革命で生まれた政権は、なぜすぐには外国から認められなかったのだろう。内戦や経済の立て直しの流れと合わせて考えてみよう。
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- 十月革命(新しいタブで開きます)のあと、ソヴィエト政権は内戦と外国の干渉戦争を戦いぬき、戦時共産主義で穀物や工業を国の手に集めた。
- 1921年に新経済政策(ネップ)へ切りかえ、1922年12月30日には4つの共和国が集まってソ連をつくった。この年、ドイツはラパロ条約でソヴィエト政権を認めている。
- 1924年にレーニン(新しいタブで開きます)が亡くなると、スターリンが一国社会主義を唱えて力をのばした。1920年代には、各国もソ連を認めていく。
- いつ
- 1922年12月30日
- どこ
- 首都モスクワ(旧ロシア帝国の土地の大部分)
- 誰
- ロシア・ウクライナ・白ロシア・ザカフカースの4つのソヴィエト共和国/レーニン・スターリン
- 何
- 十月革命で生まれた社会主義の政権をもとに、いくつもの共和国が集まる連邦国家が生まれた
詳しく
背景
1917年の十月革命で、レーニンが率いる、社会主義をめざすボリシェヴィキが政権をにぎった。ボリシェヴィキは、のちに共産党と名のる。しかし、革命に反対する勢力がロシアの各地で武器を取って立ち上がり、内戦が始まる。対ソ干渉戦争では、イギリス・フランス・アメリカ・日本などが、反対派を助けるために軍隊を送った。ソヴィエト政権は、1918年につくった軍隊の赤軍を強めて戦い、1920年までに反対派をほぼ打ち破った。この間、政府は戦時共産主義とよばれる政策を進める。工場の多くを国のものにし、農民が食べる分を除いた穀物を、すべて取り立てたのである。
流れ
戦時共産主義のもとで生産は落ちこみ、食料は不足した。作物の取り立てに苦しむ農民の不満は高まり、1921年3月には、海軍の基地で水兵によるクロンシュタットの反乱が起こる。レーニンは同じ月、新経済政策(ネップ)への切りかえを決めた。農民は税として作物の一部を納め、残りを自由に売れるようになる。小さな企業や商店を個人が営むことも認められた。
旧ロシア帝国の土地には、いくつかのソヴィエト共和国ができていた。ソヴィエトとは、労働者・兵士・農民の代表の会議である。1922年12月30日、4つの共和国がソヴィエト社会主義共和国連邦をつくった。略してソ連という。4つとは、ロシア・ウクライナ・白ロシア・ザカフカースである。白ロシアは今のベラルーシで、ザカフカースはカフカス山脈の南の3つの共和国をまとめた国である。ソ連は各共和国の自治を認める連邦の形をとったが、実際には共産党が国全体を指導した。1924年1月には連邦の最初の憲法ができる。
結果
1924年にレーニンが亡くなると、共産党の書記長として党の人事をにぎるスターリンが力をのばした。スターリンは、ほかの国の革命を待たず、ソ連だけでも社会主義の社会を築けるという一国社会主義を唱える。そして、考えの違うトロツキーらを退け、1920年代の末には党と政府の権力をにぎった。
外国との関係では、まだレーニンが生きていた1922年4月、ドイツがラパロ条約でソヴィエト政権を認め、国交を回復している。1924年にはイギリスやイタリアなどが続き、日本も1925年に日ソ基本条約を結んで国交を開いた。
主な出来事
- 十月革命で、ボリシェヴィキが政権をにぎる
- 内戦と対ソ干渉戦争が本格化し、戦時共産主義が始まる
- モスクワでコミンテルンがつくられる
- クロンシュタットで水兵が反乱を起こし、新経済政策(ネップ)に切りかえる
- ドイツとラパロ条約を結ぶ
- 4つの共和国がソヴィエト社会主義共和国連邦をつくる
- レーニンが亡くなる
- ソ連の最初の憲法が定められる
- イギリスやイタリアなどがソ連を承認する
- 日本と日ソ基本条約を結び、国交を開く
- 第1次五か年計画が始まる
- アメリカがソ連を承認する
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/soviet-union/?from=print#quiz
1921年、戦時共産主義にかわって始められ、税を納めたあとの作物を農民が自由に売ることを認めた政策は何か。
- ◯ 五か年計画
- ◯ 新経済政策
- ◯ 十四か条
- ◯ 一国社会主義
正解:新経済政策
農民の不満が高まり、1921年3月にはクロンシュタットで水兵が反乱を起こした。レーニン(新しいタブで開きます)は同じ月、新経済政策(ネップ)への切りかえを決めた。ロシアやウクライナなど4つの共和国が集まって、ソヴィエト社会主義共和国連邦がつくられたのは何年か。
- ◯ 1917年
- ◯ 1922年
- ◯ 1924年
- ◯ 1933年
正解:1922年
1922年12月30日、ロシア・ウクライナ・白ロシア・ザカフカースの4つの共和国が集まり、ソ連をつくった。1917年は十月革命(新しいタブで開きます)、1924年はレーニンが亡くなった年、1933年はアメリカがソ連を認めた年である。レーニンの死後、ソ連だけでも社会主義の社会を築けるという一国社会主義を唱えたのは誰か。
- ◯ トロツキー
- ◯ スターリン
- ◯ ニコライ2世
- ◯ ケレンスキー
正解:スターリン
共産党の書記長スターリンが一国社会主義を唱えた。考えの違うトロツキーらを退け、1920年代の末には党と政府の権力をにぎった。1922年のラパロ条約で、ソヴィエト政権を正式に認めて国交を回復した国はどれか。
- ◯ イギリス
- ◯ ドイツ
- ◯ 日本
- ◯ アメリカ
正解:ドイツ
レーニンが生きていた1922年4月、ドイツがラパロ条約でソヴィエト政権を正式に認め、国交を回復した。イギリスは1924年、日本は1925年、アメリカは1933年に、ソ連を正式に認めた。
単元のポイント
- ソヴィエト ロシア語で「会議」の意味。労働者・兵士・農民の代表が集まる会議で、ソ連では国の政治の土台とされた
- 対ソ干渉戦争 革命後のソヴィエト政権を倒そうと、イギリス・フランス・アメリカ・日本などが軍隊を送った戦い
- 赤軍 1918年につくられた、ソヴィエト政権の軍隊。のちにソ連の陸軍となった
- 戦時共産主義 内戦の時期に、工業を国のものにし、農民から穀物を取り立てた政策
- 新経済政策(ネップ) 1921年に始めた経済の政策。税を納めたあとの作物を農民が自由に売ることや、小さな企業を個人が営むことを認めた
- 連邦 いくつかの国や地域が自治を保ちながら、1つの国としてまとまったもの
- 一国社会主義 ほかの国の革命を待たず、ソ連だけでも社会主義の社会を築けるという、スターリンの考え
- ラパロ条約 1922年、ドイツとソヴィエト政権が結んだ条約。ドイツはソヴィエト政権を正式に認め、国交を回復した
- 日ソ基本条約 1925年に日本とソ連が結び、国交を開いた条約