ナポレオン3世
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- ナポレオン1世(新しいタブで開きます)の甥で、1848年の二月革命(新しいタブで開きます)の後、12月の大統領選挙で大勝した。
- 1851年のクーデタで議会を解散し、1852年に皇帝となって第二帝政(新しいタブで開きます)を始めた。
- 1870年の普仏戦争(新しいタブで開きます)でスダン(セダン)で降伏して捕らえられ、第二帝政は倒れた。
詳しく
背景
1808年、ナポレオン1世の弟の息子として生まれ、もとはルイ=ナポレオンと呼ばれた。1815年にナポレオン1世が皇帝の位を退くと、一家は国の外で暮らす。1836年と1840年には、当時の王政(七月王政(新しいタブで開きます))を倒そうと反乱を起こそうとしたが、どちらも失敗した。
1848年の二月革命で王政が倒れると帰国した。ナポレオン1世の名声もあって農民の支持を集め、12月の大統領選挙で大勝した。
流れ
大統領の任期が終わるのを前にして、1851年12月、武力で議会を解散するクーデタを起こした。翌1852年、投票によって皇帝が治める政治に戻すことが認められ、12月に皇帝ナポレオン3世となって第二帝政が始まる。はじめは言論や出版の自由をおさえ、反対する人々をきびしく取りしまった。その一方で、国が大きな工事を進める公共事業などで経済を盛り上げようとした。
国民の人気を保つため、外国への進出に力を入れた。クリミア戦争(新しいタブで開きます)に加わり、1859年にはサルデーニャ王国(新しいタブで開きます)と組んでオーストリアと戦っている。しかしメキシコへの出兵は失敗に終わった。
結果
1870年にはプロイセンとの普仏戦争を始め、9月にスダン(セダン)で降伏して捕らえられた。パリでは民衆が立ち上がり、第二帝政は倒れる。ナポレオン3世は捕虜として過ごしたのちイギリスへ渡り、1873年にそこで亡くなった。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/napoleon-iii/?from=print#quiz
ナポレオン3世が1852年に皇帝となって始まった、フランスの政治のしくみは?
- ◯ 第一帝政
- ◯ 第二共和政
- ◯ 七月王政
- ◯ 第二帝政
正解:第二帝政
ナポレオン3世は1852年に皇帝となり、第二帝政(新しいタブで開きます)を開いた。第一帝政はナポレオン1世(新しいタブで開きます)の時代で、第二共和政は二月革命(新しいタブで開きます)のあとに始まった政治のしくみである。ナポレオン3世が捕らえられ、第二帝政が倒れることになった戦争は?
- ◯ クリミア戦争
- ◯ 普仏戦争
- ◯ ナポレオン戦争
- ◯ イタリア統一戦争
正解:普仏戦争
1870年の普仏戦争(新しいタブで開きます)で、ナポレオン3世はスダン(セダン)で降伏して捕らえられ、第二帝政は倒れた。戦争はそのあとも1871年まで続いた。1859年のイタリア統一(新しいタブで開きます)戦争では、フランスはオーストリアに勝っている。ナポレオン3世にかかわる出来事を、起きた順に並べよう。
- ( )皇帝となる
- ( )大統領に選ばれる
- ( )スダン(セダン)で降伏する
- ( )クーデタで議会を解散する
正解:大統領に選ばれる → クーデタで議会を解散する → 皇帝となる → スダン(セダン)で降伏する
大統領に選ばれる(1848年12月)→クーデタで議会を解散する(1851年12月)→皇帝となる(1852年12月)→スダン(セダン)で降伏する(1870年9月)。
単元のポイント
- 第二帝政(新しいタブで開きます) 1852年にナポレオン3世が皇帝となってから、1870年9月、普仏戦争の敗北で倒れるまでのフランスの政治のしくみ。ナポレオン1世の第一帝政に対してこう呼ぶ
- 普仏戦争(新しいタブで開きます) 1870〜1871年の、プロイセンを中心とするドイツ側とフランスの戦争。プロイセン・フランス戦争ともいう。第二帝政が倒れたあともフランスは戦いを続けたが、ドイツの統一(新しいタブで開きます)を進めるプロイセンが勝った