
ヒトラー
フクロウ先生画家をめざして挫折した青年が、なぜ国を動かすまでになったのか。国全体の動きはナチス・ドイツのページとあわせて読もう。
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- 1889年、オーストリアに生まれる。画家をめざしたが美術学校の試験に落ち、ウィーンで絵を売るなどして暮らした。第一次世界大戦(新しいタブで開きます)ではドイツ軍の兵士として戦った。
- 1921年にナチ党(新しいタブで開きます)を率いる党首となる。1923年に政権を奪おうとしたミュンヘン一揆に失敗して刑務所に入り、『わが闘争』を書き始めた。1933年に首相となり、翌年には国の最高指導者(総統)となる。
- 1939年にポーランドへ攻めこんで第二次世界大戦を始め、占領した地域などでユダヤ人の大量殺害を進めた。敗戦が迫った1945年4月30日、ベルリンで自殺した。
- いつ
- 1889〜1945年
- どこ
- オーストリア・ドイツ
- 誰
- 本人(ナチ党の党首・ドイツの総統)
- 何
- 独裁を行い、第二次世界大戦を起こし、ユダヤ人の大量殺害を進めた
詳しく
背景
ヒトラーは1889年4月20日、オーストリアの町ブラウナウで生まれた。父は税関の役人だった。画家をめざして1907年に首都ウィーンの美術学校を受けたが、不合格となる。その年の末に母を失い、翌年ウィーンへ移って再び受けたが、また落ちた。その後は絵葉書を売るなどして暮らす。ドイツ民族を最もすぐれているとする考えや、ユダヤ人への憎しみをいつ強めたのかは、研究者の間で議論がある。1913年にドイツ南部の都市ミュンヘンへ移り、翌年に第一次世界大戦が始まると、自ら望んで軍に入った。命令を届ける伝令として働いて勲章を受けたが、1918年には毒ガスで目を傷める。ドイツが戦いをやめた知らせは、病院で聞いた。
流れ
戦争のあともヒトラーはミュンヘンの軍に残り、1919年9月に小さな政党のドイツ労働者党に入った。党の名は1920年に、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)へ改められる。ヒトラーは演説の才能で目立つようになり、1921年には党を率いる党首となった。1923年11月、ヒトラーらは武力で政権を奪おうとしてミュンヘンで反乱を起こしたが、失敗して捕らえられた。これをミュンヘン一揆という。
刑務所で書き始めた本『わが闘争』で、ヒトラーはユダヤ人への憎しみをあおり、東ヨーロッパに生存圏を広げる考えを説いた。生存圏とは、ドイツ民族が生きるために必要だとした土地を指す。刑務所を出たあとは、反乱ではなく選挙で政権をめざす道を選ぶ。ただしナチ党の武装組織である突撃隊は、反対派への暴力を続けた。世界的な不況である世界恐慌(新しいタブで開きます)でドイツが苦しむなか、ナチ党は票を増やしていく。1932年春の大統領選挙でヒトラーは現職のヒンデンブルクに敗れたが、7月の国会選挙でナチ党は最も票の多い第一党になった。1933年1月30日、ヒトラーはそのヒンデンブルクから首相に任命される。
首相となったヒトラーは、全権委任法で議会の同意なしに法律を作れるようにし、ほかの政党を禁じた。1934年6月には、対立する突撃隊の幹部らを殺させている。8月にヒンデンブルクが亡くなると、党首・首相・大統領の力を一人で持つ総統となった。
結果
軍備を増やして失業者を減らし、支持を高めた。1938年にはオーストリアを自国に組み入れる。9月のミュンヘン会談では、イギリスとフランスなどにチェコスロヴァキアのズデーテン地方をドイツ領と認めさせた。1939年8月にたがいに攻めないと約束する独ソ不可侵条約をソ連(新しいタブで開きます)と結んだ。9月1日にはポーランドへ攻めこんで第二次世界大戦を始めた。ユダヤ人を大量に殺害した政策は、ホロコーストという。1943年にスターリングラードの戦いでソ連に敗れて不利になる。1945年4月30日、ソ連軍が迫る首都ベルリンで自殺した。
主な出来事
- オーストリアのブラウナウで生まれる
- ドイツのミュンヘンへ移る
- ドイツ労働者党に入る
- ナチ党の党首となる
- ミュンヘン一揆に失敗する
- 首相に任命される
- 総統となる
- ミュンヘン会談が開かれる
- ポーランドへ侵攻する
- ベルリンで自殺する
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/hitler/?from=print#quiz
ヒトラーが生まれた国はどこか。
- ◯ ポーランド
- ◯ オーストリア
- ◯ ドイツ
- ◯ イタリア
正解:オーストリア
ヒトラーはオーストリアの町ブラウナウで生まれ、1913年にドイツのミュンヘンへ移った。1923年11月、ヒトラーらが武力で政権を奪おうとして失敗した反乱を何というか。
- ◯ ミュンヘン一揆
- ◯ 水晶の夜
- ◯ ローマ進軍
- ◯ ミュンヘン会談
正解:ミュンヘン一揆
反乱に失敗して捕らえられたヒトラーは、刑務所で『わが闘争』を書き始め、出たあとは選挙で政権をめざす道を選んだ。1934年8月、ヒンデンブルク大統領が亡くなったあとに、ヒトラーが名乗った地位を何というか。
- ◯ 国王
- ◯ 統領
- ◯ 総統
- ◯ 書記長
正解:総統
総統は、ナチ党(新しいタブで開きます)の党首・首相・大統領の力を一人で持つ地位だった。1939年9月1日にドイツが攻めこみ、第二次世界大戦が始まるきっかけとなった国はどこか。
- ◯ ソ連
- ◯ ポーランド
- ◯ フランス
- ◯ オーストリア
正解:ポーランド
ドイツは8月にソ連(新しいタブで開きます)と独ソ不可侵条約を結んだうえで、ポーランドへ攻めこんだ。ソ連へ攻めこんだのは1941年である。
単元のポイント
- ドイツ労働者党 1919年にミュンヘンで生まれた小さな政党。1920年にナチ党へ名を改めた
- ミュンヘン一揆 1923年11月、ヒトラーらが武力で政権を奪おうとして失敗した反乱
- わが闘争 ヒトラーが刑務所で書き始めた本。ユダヤ人への憎しみや領土を広げる考えを説いた
- 生存圏 ドイツ民族が生きるために必要だとして、東ヨーロッパに求めた土地
- 総統 ヒトラーが名乗った地位。党首・首相・大統領の力を一人で持った
- ミュンヘン会談 1938年9月、ドイツ・イギリス・フランス・イタリアの首脳がチェコスロヴァキアのズデーテン地方の問題を話し合った会議。チェコスロヴァキアは呼ばれなかった
- 独ソ不可侵条約 1939年8月にドイツとソ連が結んだ、たがいに攻めないという約束