ナポレオン法典
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- 1804年3月、ナポレオン(新しいタブで開きます)が率いる統領政府(新しいタブで開きます)のもとで、フランス全体に共通する民法典が公布された。
- 法の前の平等(新しいタブで開きます)、個人の財産を守ること、自由に契約を結ぶことなど、革命で重んじられた考えを法にまとめた。
- 1807年にナポレオン法典と名を改め、のちの世界各国の民法の手本となった。
詳しく
背景
革命の前のフランスでは、地方によって決まりが違っていた。北部では地域の習わしにもとづく慣習法、南部では古代ローマの法を受けついだ成文法が中心だった。民法とは、財産や契約、家族など、人と人との関係を定めた法律である。全国で同じ民法をつくることは、革命のときの議会の大切な目標になった。しかし、革命中の議会である国民公会(新しいタブで開きます)のころに出された案は、どれも成立しなかった。
流れ
統領政府という新しい政府の中心に立ったナポレオンは、1800年、4人の法律家に法律の原案づくりを命じた。原案は政府の会議で話し合われ、ナポレオンもそこに加わる。1803年から1章ずつ認められ、1804年3月、まだ統領政府の時代に法典として公布された。公布とは、法律を国民に知らせることである。これが「フランス人の民法典」で、2281条からなる。
法典は、人・財産・財産の手に入れ方の3編に分けられた。中心にあるのは、身分による特権を認めない法の前の平等と、個人の財産を強く守る所有権の絶対である。約束を自由に結べる契約の自由も原則とされた。革命で重んじられた考えを、暮らしの決まりにまとめたといえる。
結果
1807年、法典は「ナポレオン法典」と名を改めた。ナポレオン自身も、これを自分の最大の業績と考えていたという。その後、ヨーロッパや中南米(ラテンアメリカ)など、世界各国の民法の手本となる。日本の今の民法も、その前にあった旧民法を通して、強い影響を受けている。改正を重ねながら、今もフランスの民法として使われている。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/napoleonic-code/?from=print#quiz
1804年に公布され、1807年に「ナポレオン法典」と名前を変えたフランスの法典は、どの分野の法をまとめたものか?
- ◯ 刑法
- ◯ 商法
- ◯ 民法
- ◯ 憲法
正解:民法
ナポレオン法典は、財産や契約、家族など、人と人との関係についての決まりをまとめた民法典である。初めは「フランス人の民法典」とよばれた。ナポレオン法典が掲げた原則にあてはまるものは?
- ◯ 王の権力は神から授けられたとする
- ◯ 身分による特権を認めないとする
- ◯ 貴族だけに特別な権利を認める
- ◯ 財産は長男だけが受け継ぐとする
正解:身分による特権を認めないとする
ナポレオン法典は、「法の前の平等(新しいタブで開きます)」「所有権の絶対」「契約の自由」などを原則とした。革命で重んじられた考えを、暮らしの決まりとしてまとめたものである。ナポレオン法典が公布された1804年3月、フランスはどの政治のしくみのもとにあったか?
- ◯ 七月王政
- ◯ 統領政府
- ◯ 総裁政府
- ◯ 第二帝政
正解:統領政府
ナポレオン法典は、ナポレオン(新しいタブで開きます)が中心となって国を動かしていた統領政府(新しいタブで開きます)の時代、1804年3月に公布された。
単元のポイント
- 民法 財産や契約、家族など、人と人との関係についての決まりを定めた法律
- 法の前の平等(新しいタブで開きます) 生まれや身分による特権を認めず、同じ法を当てはめるという考え
- 所有権の絶対 自分の物や土地を使ったり売ったりする権利を、強く守るという原則。ナポレオン法典の第544条に定められた