統領政府
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- 1799年11月のブリュメール18日のクーデタ(新しいタブで開きます)の後にできた、3人の統領が政治を任された政府。
- 共和政の形を残したが、実際には第一統領ナポレオン(新しいタブで開きます)による独裁だった。
- 1802年にナポレオンが終身統領となり、1804年に皇帝となって統領政府は終わった。
詳しく
背景
1795年にできた総裁政府(新しいタブで開きます)は、王政の復活を望む王党派と、ジャコバン派(新しいタブで開きます)の両方から攻撃され、政治が安定していなかった。1799年11月、軍人ナポレオンはブリュメール18日のクーデタを起こし、総裁政府を倒した。こうして生まれたのが統領政府である。統領とは、国の政治を任された役職のことだ。同じ年の12月には新しい憲法が定められ、政府のしくみが決まった。国王はおらず、フランスは共和政のままだった。
流れ
政治を行う力は3人の統領に任され、任期は10年を基本とした。なかでも第一統領のナポレオンが、政治の実行や軍隊の指揮、外交を受け持ち、大きな力を持った。法律づくりは4つの機関が分けて受け持ったが、その力は小さい。そのため統領政府は、共和政の形を残しながら、実際には軍人ナポレオンによる独裁だった。
ナポレオンは1800年にフランス銀行をつくった。1801年にはローマ教皇と宗教協約(コンコルダート)を結び、革命で対立したカトリック教会と和解している。財産の権利や法の前の平等(新しいタブで開きます)を定めたナポレオン法典(新しいタブで開きます)(民法典)もまとめさせている。
結果
1802年、フランスはイギリスとアミアンの和約を結び、戦争をいったん止めた。この手柄を背景に、ナポレオンは国民投票で終身統領となる。終身統領とは、任期の限りがなく、一生その地位にとどまる統領である。これでナポレオンの独裁はさらに強まった。1804年5月にナポレオンが皇帝となって第一帝政が始まり、統領政府は終わった。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/french-consulate/?from=print#quiz
統領政府が生まれるきっかけとなった、1799年の出来事は?
- ◯ テルミドール9日のクーデタ
- ◯ バスティーユ牢獄の襲撃
- ◯ ヴァレンヌ逃亡事件
- ◯ ブリュメール18日のクーデタ
正解:ブリュメール18日のクーデタ
1799年11月、ナポレオン(新しいタブで開きます)がブリュメール18日のクーデタ(新しいタブで開きます)で総裁政府(新しいタブで開きます)を倒し、統領政府が生まれた。テルミドール9日のクーデタ(新しいタブで開きます)は、1794年にロベスピエール(新しいタブで開きます)が倒された事件である。統領政府で第一統領となり、実権を握った人物は?
- ◯ ロベスピエール
- ◯ ルイ16世
- ◯ シエイエス
- ◯ ナポレオン
正解:ナポレオン
統領は3人いたが、第一統領のナポレオンが政治や軍隊、外交を取りしきり、大きな力を持った。シエイエス(新しいタブで開きます)は、クーデタの直後に置かれた臨時の統領の1人だった。1804年に統領政府が終わったのは、どのような出来事によるか?
- ◯ ナポレオンが戦争に敗れ、地位を失った
- ◯ 国民公会が開かれ、王政が廃止された
- ◯ 七月革命が起こり、国王が倒れた
- ◯ ナポレオンが皇帝となり、第一帝政が始まった
正解:ナポレオンが皇帝となり、第一帝政が始まった
ナポレオンは1802年に終身統領となり、1804年5月には皇帝となった。こうして第一帝政が始まり、統領政府は終わった。
単元のポイント
- ブリュメール18日のクーデタ(新しいタブで開きます) 1799年11月、ナポレオンが軍隊の力で総裁政府を倒した事件。統領政府が生まれるきっかけとなった
- 第一統領 統領政府の3人の統領のうち、もっとも大きな力を持った役職。ナポレオンがついた
- アミアンの和約 1802年3月にイギリスとフランスが結んだ、戦争を終わらせるための条約(講和条約)。戦争をいったん止めた