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ウィルソン

1856〜1924年・アメリカ

フクロウ先生ウィルソンは、戦争(せんそう)を防(ふせ)ぐしくみを世界(せかい)に示(しめ)した大統領(だいとうりょう)だった。理想(りそう)を掲(かか)げて国際連盟(こくさいれんめい)を生(う)んだ一方(いっぽう)で、自分(じぶん)の国(くに)の議会(ぎかい)を説得(せっとく)できなかったことに注目(ちゅうもく)しよう。

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  1. 1856年(ねん)に生(う)まれ、プリンストン大学(だいがく)の学長(がくちょう)やニュージャージー州(しゅう)の知事(ちじ)をつとめたのち、1913年(ねん)に第(だい)28代(だい)大統領(だいとうりょう)となった。国内(こくない)では、大(だい)企業(きぎょう)をおさえる改革(かいかく)を進(すす)めた。
  2. 第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)(新しいタブで開きます)では初(はじ)め中立(ちゅうりつ)を守(まも)ったが、1917年(ねん)にドイツに宣戦(せんせん)した。1918年(ねん)1月(がつ)には、戦後(せんご)の平和(へいわ)の原則(げんそく)として十(じゅう)四(よん)か条(じょう)を発表(はっぴょう)する。
  3. パリ講和(こうわ)会議(かいぎ)で国際連盟(こくさいれんめい)(新しいタブで開きます)の規約(きやく)を条約(じょうやく)に入(い)れさせた。しかし議会(ぎかい)の上院(じょういん)が条約(じょうやく)を認(みと)めなかったため、アメリカは国際連盟(こくさいれんめい)に加(くわ)わらなかった。
いつ
1856〜1924年(ねん)(大統領(だいとうりょう)の在任(ざいにん)は1913〜1921年(ねん))
どこ
アメリカ(バージニア州(しゅう)スタントン生(う)まれ)
誰
トマス・ウッドロー・ウィルソン
何
十(じゅう)四(よん)か条(じょう)を示(しめ)し、国際連盟(こくさいれんめい)の創設(そうせつ)に力(ちから)をつくした

詳しく

背景(はいけい)

ウィルソンは1856年(ねん)、アメリカのバージニア州(しゅう)で、牧師(ぼくし)の家(いえ)に生(う)まれた。大学(だいがく)で政治(せいじ)学(がく)を学(まな)び、1890年(ねん)に母校(ぼこう)のプリンストン大学(だいがく)の教授(きょうじゅ)となる。1902年(ねん)には、同(おな)じ大学(だいがく)の学長(がくちょう)に選(えら)ばれた。1910年(ねん)、政党(せいとう)の一(ひと)つである民主党(みんしゅとう)から立候補(りっこうほ)し、ニュージャージー州(しゅう)の知事(ちじ)に当選(とうせん)して政治家(せいじか)の道(みち)に進(すす)む。1912年(ねん)の大統領(だいとうりょう)選挙(せんきょ)では、「新(あたら)しい自由(じゆう)」という改革(かいかく)の合言葉(あいことば)をかかげて勝(か)ち、1913年(ねん)に第(だい)28代(だい)大統領(だいとうりょう)となった。ウィルソンは、政府(せいふ)の力(ちから)で大(だい)企業(きぎょう)をおさえ、社会(しゃかい)の問題(もんだい)を正(ただ)そうとする革新主義(かくしんしゅぎ)の改革(かいかく)を進(すす)めた。外国(がいこく)から入(はい)る品物(しなもの)にかける関税(かんぜい)を下(さ)げたり、大(だい)企業(きぎょう)が競争(きょうそう)をさまたげるのを取(と)りしまる法律(ほうりつ)をつくったりしたのである。

1919年のウィルソン(ハリス・アンド・ユーイング撮影)『Thomas Woodrow Wilson, Harris & Ewing bw photo portrait, 1919』 ハリス・アンド・ユーイング/パブリックドメイン

流(なが)れ

1914年(ねん)に第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)が始(はじ)まると、ウィルソンは、どちらの側(がわ)にもつかないアメリカの中立(ちゅうりつ)を宣言(せんげん)した。しかし、アメリカは経済(けいざい)の面(めん)で、イギリスやフランスなどの連合国(れんごうこく)との結(むす)びつきを強(つよ)めていく。1917年(ねん)2月(がつ)、ドイツはイギリスのまわりなどの海(うみ)で、中立国(ちゅうりつこく)の船(ふね)も警告(けいこく)なしに沈(しず)める作戦(さくせん)を再(ふたた)び始(はじ)めた。これを無制限潜水艦作戦(むせいげんせんすいかんさくせん)という。アメリカの人々(ひとびと)は強(つよ)く反発(はんぱつ)し、4月(がつ)、ウィルソンは議会(ぎかい)の賛成(さんせい)を得(え)てドイツに宣戦(せんせん)する。

十(じゅう)四(よん)か条(じょう)は、1918年(ねん)1月(がつ)8日(ようか)にウィルソンが議会(ぎかい)で示(しめ)した、戦後(せんご)の平和(へいわ)の原則(げんそく)である。14の項目(こうもく)からなり、秘密(ひみつ)の外交(がいこう)をやめること、軍備(ぐんび)を減(へ)らすこと、国際(こくさい)的(てき)な平和(へいわ)の組織(そしき)をつくることなどを求(もと)めた。植民地(しょくみんち)の問題(もんだい)を公正(こうせい)に解決(かいけつ)することも訴(うった)えている。ヨーロッパの民族(みんぞく)の問題(もんだい)では、民族自決(みんぞくじけつ)の考(かんが)えを示(しめ)した。民族自決(みんぞくじけつ)とは、それぞれの民族(みんぞく)が自分(じぶん)たちの国(くに)のあり方(かた)を自分(じぶん)で決(き)めるという考(かんが)えである。ただ、この考(かんが)えはアジアやアフリカの植民地(しょくみんち)には当(あ)てはめられなかった。この演説(えんぜつ)には、2か月(げつ)前(まえ)にロシアの革命(かくめい)政府(せいふ)が出(だ)した、戦争(せんそう)をやめるための講和(こうわ)のよびかけに対抗(たいこう)するねらいもあった。

1918年(ねん)12月(がつ)、ウィルソンはアメリカを出発(しゅっぱつ)してフランスへ渡(わた)る。そして、翌(よく)1919年(ねん)1月(がつ)に始(はじ)まった、大戦(たいせん)の後始末(あとしまつ)を話(はな)し合(あ)うパリ講和(こうわ)会議(かいぎ)に出(で)た。

1917年2月、ドイツとの国交を断つことを議会で伝えるウィルソン(ナショナル・フォト社撮影)『Pres. Wilson addresses Congress, break with Germany』 ナショナル・フォト社(National Photo Company)/パブリックドメイン

結果(けっか)

会議(かいぎ)でウィルソンは、争(あらそ)いを話(はな)し合(あ)いで解決(かいけつ)する国際連盟(こくさいれんめい)の規約(きやく)を、講和条約(こうわじょうやく)のヴェルサイユ条約(じょうやく)(新しいタブで開きます)に入(い)れさせた。1919年(ねん)のノーベル平和(へいわ)賞(しょう)も受(う)けている。ただ、条約(じょうやく)はフランスやイギリスの主張(しゅちょう)が強(つよ)く、十(じゅう)四(よん)か条(じょう)の理想(りそう)から遠(とお)くなった。帰国後(きこくご)は、条約(じょうやく)を認(みと)める議会(ぎかい)の上院(じょういん)に賛成(さんせい)を求(もと)めたが、反対(はんたい)派(は)は連盟(れんめい)に入(はい)るとヨーロッパの争(あらそ)いに巻(ま)きこまれると考(かんが)えた。その最中(さいちゅう)にウィルソンは過労(かろう)で倒(たお)れる。1920年(ねん)3月(がつ)、上院(じょういん)は条約(じょうやく)を認(みと)めず、アメリカは国際連盟(こくさいれんめい)に加(くわ)わらなかった。ウィルソンは1921年(ねん)に大統領(だいとうりょう)を退(しりぞ)き、1924年(ねん)に亡(な)くなった。

1919年5月27日、パリ講和会議の4首脳。左からロイド・ジョージ(イギリス)、オルランド(イタリア)、クレマンソー(フランス)、ウィルソン(エドワード・N・ジャクソン撮影)『Big-Four-Paris 1919』 Edward N. Jackson(アメリカ陸軍通信隊)/パブリックドメイン

主な出来事

  1. バージニア州(しゅう)スタントンに生(う)まれる
  2. プリンストン大学(だいがく)の学長(がくちょう)となる
  3. ニュージャージー州(しゅう)の知事(ちじ)に当選(とうせん)する
  4. 第(だい)28代(だい)大統領(だいとうりょう)となる
  5. 第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)が始(はじ)まり、アメリカの中立(ちゅうりつ)を宣言(せんげん)する
  6. ドイツに宣戦(せんせん)する
  7. 議会(ぎかい)で十(じゅう)四(よん)か条(じょう)を発表(はっぴょう)する
  8. パリ講和(こうわ)会議(かいぎ)に出(で)るため、フランスへ渡(わた)る
  9. 上院(じょういん)がヴェルサイユ条約(じょうやく)を認(みと)めないと決(き)める
  10. 大統領(だいとうりょう)の任期(にんき)を終(お)える
  11. 亡(な)くなる

確認問題

問題 1 / 41918年(ねん)1月(がつ)、ウィルソンが議会(ぎかい)で示(しめ)した戦後(せんご)の平和(へいわ)の原則(げんそく)を何(なん)というか。

確認問題(解答用紙)

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https://manazoo.com/history/wilson/?from=print#quiz

  1. 1918年(ねん)1月(がつ)、ウィルソンが議会(ぎかい)で示(しめ)した戦後(せんご)の平和(へいわ)の原則(げんそく)を何(なん)というか。

    • ◯ 独立宣言(どくりつせんげん)
    • ◯ 十(じゅう)四(よん)か条(じょう)
    • ◯ 人権宣言(じんけんせんげん)
    • ◯ 四月(しがつ)テーゼ

    正解:十四か条
    ウィルソンは1918年(ねん)1月(がつ)8日(ようか)、戦後(せんご)の平和(へいわ)の原則(げんそく)を14の項目(こうもく)にまとめて議会(ぎかい)で示(しめ)した。これを十(じゅう)四(よん)か条(じょう)という。

  2. 1917年(ねん)にアメリカがドイツに宣戦(せんせん)するきっかけとなった、ドイツの作戦(さくせん)を何(なん)というか。

    • ◯ 戦時共産主義(せんじきょうさんしゅぎ)
    • ◯ 大陸封鎖令(たいりくふうされい)
    • ◯ 無制限潜水艦作戦(むせいげんせんすいかんさくせん)
    • ◯ 封印列車(ふういんれっしゃ)

    正解:無制限潜水艦作戦
    1917年(ねん)2月(がつ)、ドイツはイギリスのまわりなどの海(うみ)で、中立国(ちゅうりつこく)の船(ふね)も警告(けいこく)なしに沈(しず)める無制限潜水艦作戦(むせいげんせんすいかんさくせん)を再(ふたた)び始(はじ)めた。アメリカの人々(ひとびと)は強(つよ)く反発(はんぱつ)し、4月(がつ)にアメリカはドイツに宣戦(せんせん)した。

  3. ウィルソンが十(じゅう)四(よん)か条(じょう)で訴(うった)えた内容(ないよう)として、正(ただ)しいものはどれか。

    • ◯ ドイツとの戦争(せんそう)を最後(さいご)まで続(つづ)けること
    • ◯ 国際(こくさい)的(てき)な平和(へいわ)の組織(そしき)をつくること
    • ◯ すべての植民地(しょくみんち)をすぐに独立(どくりつ)させること
    • ◯ 各国(かっこく)の軍備(ぐんび)を増(ふ)やすこと

    正解:国際的な平和の組織をつくること
    十(じゅう)四(よん)か条(じょう)は、秘密(ひみつ)の外交(がいこう)をやめること、軍備(ぐんび)を減(へ)らすこと、国際(こくさい)的(てき)な平和(へいわ)の組織(そしき)をつくることなどを訴(うった)えた。最後(さいご)の項目(こうもく)が、のちの国際連盟(こくさいれんめい)(新しいタブで開きます)につながった。

  4. ウィルソンが創設(そうせつ)に力(ちから)をつくした国際連盟(こくさいれんめい)に、アメリカが加(くわ)わらなかったのはなぜか。

    • ◯ ウィルソンが連盟(れんめい)に反対(はんたい)したから
    • ◯ アメリカが講和(こうわ)会議(かいぎ)に呼(よ)ばれなかったから
    • ◯ 連盟(れんめい)がアメリカの加盟(かめい)を断(ことわ)ったから
    • ◯ 上院(じょういん)がヴェルサイユ条約(じょうやく)を認(みと)めなかったから

    正解:上院がヴェルサイユ条約を認めなかったから
    帰国(きこく)したウィルソンは、条約(じょうやく)を認(みと)める力(ちから)をもつ議会(ぎかい)の上院(じょういん)に賛成(さんせい)を求(もと)めた。しかし1920年(ねん)3月(がつ)、上院(じょういん)は条約(じょうやく)を認(みと)めず、アメリカは国際連盟(こくさいれんめい)に加(くわ)わらなかった。

単元のポイント

  • 革新主義(かくしんしゅぎ) 20世紀(せいき)初(はじ)めのアメリカで広(ひろ)がった改革(かいかく)の動(うご)き。政府(せいふ)の力(ちから)で大(だい)企業(きぎょう)をおさえ、社会(しゃかい)の問題(もんだい)を正(ただ)そうとした
  • 無制限潜水艦作戦(むせいげんせんすいかんさくせん) イギリスのまわりなどの海(うみ)で、戦争(せんそう)に加(くわ)わっていない中立国(ちゅうりつこく)の船(ふね)も警告(けいこく)なしに沈(しず)めたドイツの作戦(さくせん)。1917年(ねん)2月(がつ)に再(ふたた)び始(はじ)まり、アメリカが参戦(さんせん)するきっかけとなった
  • 十(じゅう)四(よん)か条(じょう) 1918年(ねん)1月(がつ)にウィルソンが議会(ぎかい)で示(しめ)した、戦後(せんご)の平和(へいわ)の原則(げんそく)。秘密(ひみつ)外交(がいこう)をやめること、軍備(ぐんび)を減(へ)らすこと、国際(こくさい)的(てき)な平和(へいわ)の組織(そしき)をつくることなどを含(ふく)む
  • 民族自決(みんぞくじけつ) それぞれの民族(みんぞく)が、自分(じぶん)たちの国(くに)のあり方(かた)を自分(じぶん)たちで決(き)めるという考(かんが)え
  • 国際連盟(こくさいれんめい)(新しいタブで開きます) 1920年(ねん)に生(う)まれた、国(くに)どうしの争(あらそ)いを話(はな)し合(あ)いで解決(かいけつ)するための国際組織(こくさいそしき)。本部(ほんぶ)はスイスのジュネーヴに置(お)かれた
  • 上院(じょういん) アメリカの議会(ぎかい)の一(ひと)つ。外国(がいこく)と結(むす)んだ条約(じょうやく)を認(みと)めるかどうかを決(き)める
問題を解く
単元のポイント
  • 革新主義(かくしんしゅぎ) 20世紀(せいき)初(はじ)めのアメリカで広(ひろ)がった改革(かいかく)の動(うご)き。政府(せいふ)の力(ちから)で大(だい)企業(きぎょう)をおさえ、社会(しゃかい)の問題(もんだい)を正(ただ)そうとした
  • 無制限潜水艦作戦(むせいげんせんすいかんさくせん) イギリスのまわりなどの海(うみ)で、戦争(せんそう)に加(くわ)わっていない中立国(ちゅうりつこく)の船(ふね)も警告(けいこく)なしに沈(しず)めたドイツの作戦(さくせん)。1917年(ねん)2月(がつ)に再(ふたた)び始(はじ)まり、アメリカが参戦(さんせん)するきっかけとなった
  • 十(じゅう)四(よん)か条(じょう) 1918年(ねん)1月(がつ)にウィルソンが議会(ぎかい)で示(しめ)した、戦後(せんご)の平和(へいわ)の原則(げんそく)。秘密(ひみつ)外交(がいこう)をやめること、軍備(ぐんび)を減(へ)らすこと、国際(こくさい)的(てき)な平和(へいわ)の組織(そしき)をつくることなどを含(ふく)む
  • 民族自決(みんぞくじけつ) それぞれの民族(みんぞく)が、自分(じぶん)たちの国(くに)のあり方(かた)を自分(じぶん)たちで決(き)めるという考(かんが)え
  • 国際連盟(こくさいれんめい)(新しいタブで開きます) 1920年(ねん)に生(う)まれた、国(くに)どうしの争(あらそ)いを話(はな)し合(あ)いで解決(かいけつ)するための国際組織(こくさいそしき)。本部(ほんぶ)はスイスのジュネーヴに置(お)かれた
  • 上院(じょういん) アメリカの議会(ぎかい)の一(ひと)つ。外国(がいこく)と結(むす)んだ条約(じょうやく)を認(みと)めるかどうかを決(き)める