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バスティーユ牢獄(ろうごく)襲撃(しゅうげき)

1789年・フランス(パリ)

フクロウ先生古(ふる)い牢獄(ろうごく)を1つ占領(せんりょう)しただけで、なぜ国王(こくおう)は引(ひ)き下(さ)がり、革命(かくめい)が一気(いっき)に進(すす)んだのだろう。パリと地方(ちほう)で起(お)きたことを並(なら)べて考(かんが)えてみよう。

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  1. 1789年(ねん)7月(がつ)、国王(こくおう)ルイ16世(せい)(新しいタブで開きます)がヴェルサイユとパリの周(まわ)りに軍隊(ぐんたい)を集(あつ)め、人気(にんき)のあった財務総監(ざいむそうかん)ネッケルを辞(や)めさせた。
  2. 7月(がつ)14日(じゅうよっか)、議会(ぎかい)が武力(ぶりょく)でつぶされると恐(おそ)れたパリの民衆(みんしゅう)が、武器(ぶき)を求(もと)めてバスティーユ牢獄(ろうごく)を襲(おそ)い、占領(せんりょう)した。
  3. 国王(こくおう)は譲歩(じょうほ)し、パリでは市(し)の自治(じち)が始(はじ)まった。農民(のうみん)の反乱(はんらん)も広(ひろ)がり、8月(がつ)の封建的特権(ほうけんてきとっけん)の廃止(はいし)と人権宣言(じんけんせんげん)(新しいタブで開きます)へつながっていく。
いつ
1789年(ねん)7月(がつ)14日(じゅうよっか)
どこ
フランス(パリ東部(とうぶ)のバスティーユ牢獄(ろうごく))
誰
パリの民衆(みんしゅう)(およそ1万人(まんにん))と、民衆(みんしゅう)の側(がわ)についた国王(こくおう)の兵士(へいし)の一部(いちぶ)
何
民衆(みんしゅう)が牢獄(ろうごく)を襲(おそ)って占領(せんりょう)し、国王(こくおう)の軍隊(ぐんたい)で議会(ぎかい)を抑(おさ)えようとした宮廷(きゅうてい)のねらいがくじかれた

詳しく

背景(はいけい)

1789年(ねん)5月(がつ)、パリに近(ちか)いヴェルサイユで、聖職者(せいしょくしゃ)・貴族(きぞく)・平民(へいみん)の3つの身分(みぶん)の代表(だいひょう)が集(あつ)まる三部会(さんぶかい)(新しいタブで開きます)が開(ひら)かれた。6月(がつ)には、平民(へいみん)の代表(だいひょう)である第三身分(だいさんみぶん)(新しいタブで開きます)の議員(ぎいん)が、自分(じぶん)たちこそ国民(こくみん)の代表(だいひょう)だとして国民議会(こくみんぎかい)(新しいタブで開きます)を名(な)のる。国王(こくおう)ルイ16世(せい)はこれを認(みと)めたが、古(ふる)いしくみを守(まも)ろうとする宮廷(きゅうてい)の人々(ひとびと)(保守(ほしゅ)派(は))に押(お)され、ヴェルサイユとパリの周(まわ)りに軍隊(ぐんたい)を集(あつ)めた。7月(がつ)11日(にち)には、民衆(みんしゅう)に人気(にんき)のあった財務総監(ざいむそうかん)のネッケルを辞(や)めさせている。財務総監(ざいむそうかん)とは、国(くに)のお金(かね)のやりくりをまかされた大臣(だいじん)である。知(し)らせが届(とど)くと、パリの人々(ひとびと)は議会(ぎかい)が武力(ぶりょく)でつぶされると恐(おそ)れた。12日(にち)、弁護士(べんごし)で文筆家(ぶんぴつか)のデムーランは、パリのパレ・ロワイヤルで「武器(ぶき)をとれ」と呼(よ)びかけた。

1789年7月12日、パレ・ロワイヤルで演説するデムーラン(事件の後に、プリユールの原画をもとにベルトーが彫った版画)『Motion faite au Palais Royal par Camille Desmoulins le 12 juillet 1789』 ピエール=ガブリエル・ベルトー(版画)/パブリックドメイン

流(なが)れ

7月(がつ)14日(じゅうよっか)、パリの民衆(みんしゅう)は軍(ぐん)の施設(しせつ)である廃兵院(はいへいいん)に押(お)しかけ、約(やく)3万(まん)丁(ちょう)の銃(じゅう)を手(て)に入(い)れた。しかし火薬(かやく)と弾(たま)が足(た)りず、それを求(もと)めて市(し)の東部(とうぶ)にあるバスティーユ牢獄(ろうごく)に押(お)し寄(よ)せる。バスティーユは14世紀(せいき)に築(きず)かれた要塞(ようさい)である。17世紀(せいき)からは、政治(せいじ)に関(かか)わる罪(つみ)で捕(と)らえられた政治犯(せいじはん)などを閉(と)じこめる牢獄(ろうごく)として使(つか)われていた。国王(こくおう)が強(つよ)い権力(けんりょく)で国(くに)を治(おさ)める絶対王政(ぜったいおうせい)(新しいタブで開きます)の象徴(しょうちょう)と考(かんが)えられていたのである。

集(あつ)まった民衆(みんしゅう)はおよそ1万人(まんにん)にのぼり、国王(こくおう)を守(まも)るはずの親衛隊(しんえいたい)の兵士(へいし)の一部(いちぶ)も、民衆(みんしゅう)の側(がわ)に加(くわ)わった。牢獄(ろうごく)はその日(ひ)のうちに民衆(みんしゅう)に占領(せんりょう)され、牢獄(ろうごく)を守(まも)る部隊(ぶたい)の隊長(たいちょう)は捕(と)らえられて殺(ころ)された。地方(ちほう)では春(はる)から農民(のうみん)が領主(りょうしゅ)に逆(さか)らっており、パリの勝利(しょうり)の知(し)らせでその動(うご)きはさらに広(ひろ)がる。「貴族(きぞく)が野盗(やとう)に農民(のうみん)を襲(おそ)わせようとしている」といううわさが流(なが)れた。おびえた農民(のうみん)は逆(ぎゃく)に領主(りょうしゅ)の館(やかた)を襲(おそ)い、領主(りょうしゅ)に納(おさ)める地代(ちだい)を記(しる)した帳簿(ちょうぼ)を燃(も)やした。このうわさによる恐怖(きょうふ)の騒(さわ)ぎを大恐怖(だいきょうふ)という。

ウエル『バスティーユの占領』(1789年制作の水彩画)『Prise de la Bastille』 ジャン=ピエール・ウエル/パブリックドメイン

結果(けっか)

宮廷(きゅうてい)のねらいはくじかれ、国王(こくおう)は譲歩(じょうほ)した。辞(や)めさせられたネッケルも職(しょく)にもどる。パリでは、選挙(せんきょ)で選(えら)ばれた人々(ひとびと)が市長(しちょう)を決(き)め、市(し)の自治(じち)が始(はじ)まった。改革(かいかく)を支持(しじ)した貴族(きぞく)のラ・ファイエットは、市民(しみん)が自衛(じえい)のためにつくった軍隊(ぐんたい)の国民(こくみん)衛兵(えいへい)の司令官(しれいかん)になった。国民議会(こくみんぎかい)は農民(のうみん)の反乱(はんらん)を受(う)けて、8月(がつ)4日(よっか)の夜(よる)、身分(みぶん)による特権(とっけん)をなくす封建的特権(ほうけんてきとっけん)の廃止(はいし)を決(き)めた。ただし、地代(ちだい)をなくすには、農民(のうみん)が領主(りょうしゅ)にお金(かね)を払(はら)う必要(ひつよう)がある。26日(にち)には自由(じゆう)と平等(びょうどう)をうたった人権宣言(じんけんせんげん)を出(だ)した。バスティーユ牢獄(ろうごく)はまもなく取(と)り壊(こわ)され、跡地(あとち)はのちに広場(ひろば)になった。

ユベール・ロベール『取り壊しが始まったころのバスティーユ』(1789年。パリ、カルナヴァレ博物館所蔵)『La Bastille dans les premiers jours de sa démolition』 ユベール・ロベール/パブリックドメイン

主な出来事

  1. 三部会(さんぶかい)が開(ひら)かれる
  2. 第三身分(だいさんみぶん)の議員(ぎいん)が国民議会(こくみんぎかい)を名(な)のる
  3. ネッケルが辞(や)めさせられる
  4. デムーランが「武器(ぶき)をとれ」と呼(よ)びかける
  5. バスティーユ牢獄(ろうごく)襲撃(しゅうげき)
  6. 封建的特権(ほうけんてきとっけん)の廃止(はいし)が決(き)まる
  7. 人権宣言(じんけんせんげん)の採択(さいたく)

確認問題

問題 1 / 4パリの民衆(みんしゅう)がバスティーユ牢獄(ろうごく)を襲(おそ)い、占領(せんりょう)したのはいつか。

確認問題(解答用紙)

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  1. パリの民衆(みんしゅう)がバスティーユ牢獄(ろうごく)を襲(おそ)い、占領(せんりょう)したのはいつか。

    • ◯ 1789年(ねん)7月(がつ)14日(じゅうよっか)
    • ◯ 1789年(ねん)5月(がつ)5日(いつか)
    • ◯ 1789年(ねん)8月(がつ)26日(にち)
    • ◯ 1792年(ねん)8月(がつ)10日(とおか)

    正解:1789年7月14日
    バスティーユ牢獄(ろうごく)襲撃(しゅうげき)は1789年(ねん)7月(がつ)14日(じゅうよっか)に起(お)きた。5月(がつ)5日(いつか)は三部会(さんぶかい)(新しいタブで開きます)が開(ひら)かれた日(ひ)、8月(がつ)26日(にち)は人権宣言(じんけんせんげん)(新しいタブで開きます)が採択(さいたく)された日(ひ)である。

  2. 1789年(ねん)7月(がつ)11日(にち)に国王(こくおう)ルイ16世(せい)に辞(や)めさせられ、そのことがパリの民衆(みんしゅう)を怒(おこ)らせた財務総監(ざいむそうかん)は誰(だれ)か。

    • ◯ ロベスピエール
    • ◯ ネッケル
    • ◯ シエイエス
    • ◯ ダントン

    正解:ネッケル
    財務総監(ざいむそうかん)ネッケルは民衆(みんしゅう)に人気(にんき)があった。国王(こくおう)が軍隊(ぐんたい)を集(あつ)めたうえで彼(かれ)を辞(や)めさせたため、パリの人々(ひとびと)は議会(ぎかい)が武力(ぶりょく)でつぶされると恐(おそ)れた。

  3. バスティーユ牢獄(ろうごく)は、人々(ひとびと)に何(なに)の象徴(しょうちょう)と考(かんが)えられていたか。

    • ◯ 立憲君主政(りっけんくんしゅせい)
    • ◯ 国民議会(こくみんぎかい)
    • ◯ 絶対王政(ぜったいおうせい)
    • ◯ 共和政(きょうわせい)

    正解:絶対王政
    バスティーユは14世紀(せいき)に築(きず)かれた要塞(ようさい)で、17世紀(せいき)から政治犯(せいじはん)などを閉(と)じこめる牢獄(ろうごく)になった。そのため、国王(こくおう)が強(つよ)い権力(けんりょく)で国(くに)を治(おさ)める絶対王政(ぜったいおうせい)(新しいタブで開きます)の象徴(しょうちょう)と考(かんが)えられていた。

  4. バスティーユ牢獄(ろうごく)襲撃(しゅうげき)の後(のち)、1789年(ねん)8月(がつ)4日(よっか)の夜(よる)に国民議会(こくみんぎかい)が決(き)めたことは何(なに)か。

    • ◯ 国王(こくおう)の処刑(しょけい)
    • ◯ 総裁政府(そうさいせいふ)の設立(せつりつ)
    • ◯ 王政(おうせい)の廃止(はいし)
    • ◯ 封建的特権(ほうけんてきとっけん)の廃止(はいし)

    正解:封建的特権の廃止
    各地(かくち)の農民(のうみん)の反乱(はんらん)を受(う)けて、国民議会(こくみんぎかい)(新しいタブで開きます)は8月(がつ)4日(よっか)の夜(よる)に封建的特権(ほうけんてきとっけん)の廃止(はいし)を決(き)めた。ただし地代(ちだい)をなくすには、農民(のうみん)が領主(りょうしゅ)にお金(かね)を払(はら)う必要(ひつよう)があった。続(つづ)いて8月(がつ)26日(にち)に人権宣言(じんけんせんげん)を出(だ)している。

単元のポイント

  • 財務総監(ざいむそうかん) 国王(こくおう)のもとで、国(くに)のお金(かね)のやりくりをまかされた大臣(だいじん)。ネッケルはこの職(しょく)にあり、民衆(みんしゅう)に人気(にんき)があった
  • 絶対王政(ぜったいおうせい)(新しいタブで開きます) 国王(こくおう)が議会(ぎかい)に縛(しば)られず、強(つよ)い権力(けんりょく)で国(くに)を治(おさ)める政治(せいじ)。バスティーユ牢獄(ろうごく)は、その権力(けんりょく)の象徴(しょうちょう)とみられていた
  • 大恐怖(だいきょうふ) 1789年(ねん)7月(がつ)の終(お)わりから8月(がつ)初(はじ)め、「貴族(きぞく)が野盗(やとう)に農民(のうみん)を襲(おそ)わせる」といううわさから農村(のうそん)で起(お)きた恐怖(きょうふ)の騒(さわ)ぎ。領主(りょうしゅ)の館(やかた)を襲(おそ)う動(うご)きにもつながった
  • 封建的特権(ほうけんてきとっけん)の廃止(はいし) 1789年(ねん)8月(がつ)4日(よっか)の夜(よる)に国民議会(こくみんぎかい)が決(き)めた、身分(みぶん)による特権(とっけん)の廃止(はいし)。ただし地代(ちだい)をなくすには、農民(のうみん)が領主(りょうしゅ)にお金(かね)を払(はら)う必要(ひつよう)があった
問題を解く
単元のポイント
  • 財務総監(ざいむそうかん) 国王(こくおう)のもとで、国(くに)のお金(かね)のやりくりをまかされた大臣(だいじん)。ネッケルはこの職(しょく)にあり、民衆(みんしゅう)に人気(にんき)があった
  • 絶対王政(ぜったいおうせい)(新しいタブで開きます) 国王(こくおう)が議会(ぎかい)に縛(しば)られず、強(つよ)い権力(けんりょく)で国(くに)を治(おさ)める政治(せいじ)。バスティーユ牢獄(ろうごく)は、その権力(けんりょく)の象徴(しょうちょう)とみられていた
  • 大恐怖(だいきょうふ) 1789年(ねん)7月(がつ)の終(お)わりから8月(がつ)初(はじ)め、「貴族(きぞく)が野盗(やとう)に農民(のうみん)を襲(おそ)わせる」といううわさから農村(のうそん)で起(お)きた恐怖(きょうふ)の騒(さわ)ぎ。領主(りょうしゅ)の館(やかた)を襲(おそ)う動(うご)きにもつながった
  • 封建的特権(ほうけんてきとっけん)の廃止(はいし) 1789年(ねん)8月(がつ)4日(よっか)の夜(よる)に国民議会(こくみんぎかい)が決(き)めた、身分(みぶん)による特権(とっけん)の廃止(はいし)。ただし地代(ちだい)をなくすには、農民(のうみん)が領主(りょうしゅ)にお金(かね)を払(はら)う必要(ひつよう)があった