ルイ16世
フクロウ先生国王はなぜ、改革も革命との折り合いもうまくいかなかったのか。財政の行きづまりとヴァレンヌ逃亡事件を手がかりに考えてみよう。
30秒でつかむ
- 1774年に即位し、財政を立て直すため改革派の大臣を登用したが、のちのアメリカ独立戦争(新しいタブで開きます)への参加で財政はいっそう悪化した。
- フランス革命(新しいタブで開きます)は、特権身分などの反対で改革が行きづまり、1789年に三部会(新しいタブで開きます)が開かれたことをきっかけに始まった。
- 1791年のヴァレンヌ逃亡事件(新しいタブで開きます)で信頼を失い、1792年に王権を停止されて、1793年1月に処刑された。
- いつ
- 1754〜1793年(在位1774〜1792年)
- どこ
- フランス(ヴェルサイユ・パリ)
- 誰
- ルイ16世(王妃マリー・アントワネット(新しいタブで開きます)、大臣のテュルゴー・ネッケル)
- 何
- 財政改革に失敗して三部会を開き、革命のなかで王権を失い処刑された
詳しく
背景
ルイ16世は、アンシャン・レジーム(旧制度)の最後のフランス国王である。1754年8月23日にヴェルサイユで生まれ、国王ルイ15世の孫にあたる。1770年にはオーストリアの皇女マリー・アントワネットと結婚し、1774年、19歳で即位した。このころフランスの財政は、宮廷の費用や貴族への年金、積み重なった借金の利子の支払いによって苦しくなっていた。即位したルイ16世は、この財政を立て直すため、改革派のテュルゴーを財務総監に登用する。
流れ
しかし改革は、王妃にも支持された特権身分の強い反対にあい、テュルゴーは職を追われる。続いてネッケルが登用されたが、フランスはイギリスと戦うアメリカの植民地を助けてアメリカ独立戦争に加わり、財政はいっそう悪化した。ネッケルもいったん職を離れた。その後、財務総監のカロンヌが1787年に名士会を開いて新しい税を認めさせようとしたが、これも失敗に終わる。追いつめられた国王は、長く開かれていなかった全国三部会の開催を約束した。
1789年5月、ヴェルサイユで開かれた三部会は、議決の方法をめぐって対立し、第三身分(新しいタブで開きます)の代表は国民議会(新しいタブで開きます)をつくった。7月14日には、パリの民衆がバスティーユ牢獄(新しいタブで開きます)を襲う。10月、国王一家はヴェルサイユからパリへ移され、民衆に見張られながら暮らすことになる。1791年6月、国王は外国の助けを求めて家族とともにパリを抜け出したが、国境に近いヴァレンヌで捕らえられた(ヴァレンヌ逃亡事件)。国王への国民の信頼は大きく揺らぎ、共和政を求める声が強まっていく。
結果
1792年4月にオーストリアとの戦争が始まると、国王が敵と通じているという疑いが強まった。8月10日、パリの民衆と義勇兵がテュイルリー宮殿を襲い(八月十日事件)、王権が停止された。3日後、国王一家はタンプル塔へ移されて閉じこめられる。9月には国民公会(新しいタブで開きます)が王政の廃止を決め、フランスは共和政となった。国王は国民公会で裁かれて有罪となり、1793年1月21日、パリの革命広場(いまのコンコルド広場)で処刑された。
主な出来事
- ヴェルサイユに生まれる
- マリー・アントワネットと結婚する
- 国王に即位する
- テュルゴーを財務総監に登用する
- 名士会が開かれる
- 三部会を開く
- 国王一家がパリへ移される
- ヴァレンヌ逃亡事件
- 八月十日事件で王権が停止される
- 国民公会が王政の廃止を決める
- 革命広場で処刑される
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/louis-xvi/?from=print#quiz
ルイ16世が即位したのちにフランスが加わり、王国の財政をいっそう悪化させた戦争は何か。
- ◯ ナポレオン戦争
- ◯ クリミア戦争
- ◯ 七年戦争
- ◯ アメリカ独立戦争
正解:アメリカ独立戦争
フランスはイギリスと戦うアメリカの植民地を助けてアメリカ独立戦争(新しいタブで開きます)に加わり、財政はいっそう悪化した。七年戦争はルイ16世の即位より前の戦争である。ルイ16世が財政を立て直すために登用した、改革派の人物は誰か。
- ◯ ロベスピエール
- ◯ テュルゴー
- ◯ カヴール
- ◯ メッテルニヒ
正解:テュルゴー
ルイ16世は改革派のテュルゴーやネッケルを登用したが、改革は特権身分などの反対にあい、財政難の解決には至らなかった。財政改革に行きづまったルイ16世が招集を約束し、1789年5月にヴェルサイユで開かれた身分制の議会は何か。
- ◯ 三部会
- ◯ 国民公会
- ◯ 立法議会
- ◯ 名士会
正解:三部会
新しい税を名士会で認めさせることにも失敗した国王は、長く開かれていなかった三部会(新しいタブで開きます)の開催を約束した。1789年5月の三部会では議決の方法をめぐって対立が起こり、第三身分(新しいタブで開きます)の代表がつくった国民議会(新しいタブで開きます)から革命が進んでいく。1792年8月、パリの民衆と義勇兵がテュイルリー宮殿を襲い、王権が停止されたできごとを何というか。
- ◯ 八月十日事件
- ◯ ブリュメール18日のクーデタ
- ◯ ヴァレンヌ逃亡事件
- ◯ テルミドール9日のクーデタ
正解:八月十日事件
八月十日事件で王権は停止され、国王一家はその3日後にタンプル塔へ移された。9月には国民公会(新しいタブで開きます)が王政の廃止を決めた。
単元のポイント
- 財政難 宮廷の費用や借金の利子に、アメリカ独立戦争への援助が重なって、王国の財政が行きづまったこと
- 特権身分 一部の税を免除されるなどの特権をもっていた聖職者と貴族。改革に強く反対した
- 三部会(新しいタブで開きます) 聖職者・貴族・平民の代表が集まる身分制の議会。長く開かれていなかったが、1789年5月に招集された
- ヴァレンヌ逃亡事件(新しいタブで開きます) 1791年6月、国王一家が国外へ逃げようとして捕らえられた
- 八月十日事件 1792年、パリの民衆と義勇兵が王宮を襲い、王権が停止された