ブリュメール18日のクーデタ
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- 1799年11月9〜10日、軍人ナポレオン(新しいタブで開きます)がシエイエス(新しいタブで開きます)らと組み、軍隊の力で総裁政府(新しいタブで開きます)を倒したクーデタ。
- 名前は、その日が革命暦のブリュメール(霧月)18日にあたることからきている。
- 12月の新しい憲法で正式な統領政府(新しいタブで開きます)ができ、第一統領のナポレオンが政治を動かす力を握った。
詳しく
背景
1795年にできた総裁政府は、王政に戻そうとする王党派と、革命をもっと進めたいジャコバン派(新しいタブで開きます)などの両方から攻められた。そのため、政治が安定しなかった。
総裁政府を支えていた豊かな市民たちは、もっと強い政府で世の中を安定させたいと望むようになる。そうしたなか、エジプトに遠征していた軍人ナポレオンがフランスへ帰ってきた。
流れ
1799年11月9日、ナポレオンは総裁政府に加わっていたシエイエスらと手を結び、軍隊の力を使ってクーデタ(武力などで政治の権力を奪うこと)を起こした。翌日、パリ郊外のサン=クルーに移された議会では、議会の一つである五百人会の議員たちが強く反対した。そこで兵士が議場に入って議員を追い出し、総裁政府は倒れる。
ナポレオン・シエイエス・デュコの3人の統領が率いる、臨時の政府がつくられた。クーデタを起こした11月9日は、革命中に定められた暦である革命暦では8年のブリュメール(霧月)18日にあたる。そこから、この出来事はブリュメール18日のクーデタと呼ばれる。
結果
12月には新しい憲法で正式な統領政府ができ、ナポレオンは第一統領として政治を動かす力を握った。シエイエスとデュコは、このとき統領から外れている。こうして、ナポレオンが一人で政治を動かす独裁が始まる。
このクーデタは、軍隊を使って権力を手に入れた代表的な例とされ、フランス革命(新しいタブで開きます)はここで終わったともいわれる。ナポレオンはのちに、1802年に一生その地位にとどまる終身統領となり、1804年に皇帝となった。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/coup-of-18-brumaire/?from=print#quiz
ブリュメール18日のクーデタで倒された政府は?
- ◯ 国民公会
- ◯ 総裁政府
- ◯ 七月王政
- ◯ 統領政府
正解:総裁政府
1799年11月、ナポレオン(新しいタブで開きます)は軍隊の力で総裁政府(新しいタブで開きます)を倒した。統領政府(新しいタブで開きます)は、このクーデタのあとにつくられた政府である。ブリュメール18日のクーデタのあと、ナポレオンが政治を動かす力を握った地位は?
- ◯ 国王
- ◯ 総裁
- ◯ 大統領
- ◯ 第一統領
正解:第一統領
クーデタのあとにできた統領政府には3人の統領が置かれたが、ナポレオンが第一統領として政治を動かす力を握った。総裁は、倒された総裁政府の役職である。総裁政府ができてから、ナポレオンが皇帝となるまでの出来事を、起きた順に並べよう。
- ( )ナポレオンが終身統領となる
- ( )総裁政府が成立する
- ( )ナポレオンが皇帝となる
- ( )ブリュメール18日のクーデタが起きる
正解:総裁政府が成立する → ブリュメール18日のクーデタが起きる → ナポレオンが終身統領となる → ナポレオンが皇帝となる
総裁政府が成立する(1795年)→ブリュメール18日のクーデタが起きる(1799年11月)→ナポレオンが終身統領となる(1802年)→ナポレオンが皇帝となる(1804年)。
単元のポイント
- 統領政府(新しいタブで開きます) ブリュメール18日のクーデタのあとにできた政府(1799〜1804年)。3人の統領を置いたが、実際に政治を動かす力は第一統領のナポレオンが握った。執政政府ともいう
- 革命暦 フランス革命のさなかにつくられた暦で、共和暦ともいう。ブリュメールは「霧月」と訳される