ジャコバン派
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- 1789年に革命派の議員がつくった政治クラブで、パリのジャコバン修道院を集会所にした。
- しだいに急進的な共和派が中心となり、国民公会(新しいタブで開きます)では山岳派(新しいタブで開きます)の拠点になった。
- 恐怖政治(新しいタブで開きます)の時期に大きな力を持ったが、1794年のテルミドール9日のクーデタ(新しいタブで開きます)で力を失った。
詳しく
背景
1789年5月、三部会(新しいタブで開きます)に集まったブルターニュ出身の議員たちが、ヴェルサイユで政治クラブをつくった。6月に第三身分(新しいタブで開きます)(平民)の議員が国民議会(新しいタブで開きます)を名のると、革命を進めようとする議員が次々に加わった。
同じ年の秋、クラブは議会とともにパリへ移り、ジャコバン修道院を集会所にした。そこからジャコバン=クラブと呼ばれる。会員は議員のほかにも広がり、地方の町にも同じ考えのクラブが次々にできた。
流れ
はじめは立憲君主政(新しいタブで開きます)を支持する人々も加わっていた。しかし1791年に国王一家が国外へ逃げようとして連れ戻されると、王政をめぐって意見が割れる。立憲君主政を守ろうとする人々はクラブを去り、フイヤン=クラブをつくった。
その後はしだいに急進的な共和派が中心となった。1792年に国民公会が開かれると、ロベスピエール(新しいタブで開きます)ら急進的な議員は、議場の高い席に座ったことから山岳派と呼ばれた。山岳派はこのクラブを拠点にして、ジロンド派(新しいタブで開きます)と争う。1793年6月には、パリの民衆が議場を取り囲むなかで、ジロンド派の主な議員を議会から追い出した。
結果
1793年からはロベスピエールらが中心となった革命政府が、反革命(新しいタブで開きます)の疑いをかけた人々を次々に処刑した(恐怖政治)。しかし1794年のテルミドール9日のクーデタで、ロベスピエールらが倒れる。ジャコバン派は力を失い、同じ年の11月にクラブも閉鎖された。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/jacobins/?from=print#quiz
フランス革命(新しいタブで開きます)のとき、パリの修道院を集会所にし、のちにロベスピエールらが中心となった政治クラブは?
- ◯ ジャコバン=クラブ
- ◯ コルドリエ=クラブ
- ◯ フイヤン=クラブ
正解:ジャコバン=クラブ
修道院の名前からジャコバン=クラブと呼ばれた。国民公会(新しいタブで開きます)では、ここを拠点にした山岳派(新しいタブで開きます)が権力を握った。次の出来事を起きた順に並べよう。
- ( )恐怖政治が行われる
- ( )ジャコバン=クラブができる
- ( )テルミドール9日のクーデタ
- ( )国民公会が開かれる
正解:ジャコバン=クラブができる → 国民公会が開かれる → 恐怖政治が行われる → テルミドール9日のクーデタ
ジャコバン=クラブができる(1789年)→国民公会が開かれる(1792年)→恐怖政治(新しいタブで開きます)が行われる(1793〜94年)→テルミドール9日のクーデタ(新しいタブで開きます)(1794年)。
単元のポイント
- 山岳派(新しいタブで開きます) 国民公会で、ジャコバン=クラブを拠点にした急進的な議員たち
- 恐怖政治(新しいタブで開きます) 1793〜94年、革命政府が反革命の疑いをかけた人々を革命裁判所(新しいタブで開きます)で裁き、処刑や投獄を行った非常時の政治