総裁政府
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- 1795年の憲法で生まれ、5人の総裁と二院の議会が政治を担った、国民公会(新しいタブで開きます)の次の政府。
- 王党派とジャコバン派(新しいタブで開きます)の両方から攻撃され、成立したころの物価の急上昇もあって政治が安定しなかった。
- 1799年11月、ナポレオン(新しいタブで開きます)がブリュメール18日のクーデタ(新しいタブで開きます)で倒し、統領政府(新しいタブで開きます)に代わった。
詳しく
背景
恐怖政治(新しいタブで開きます)を終わらせたテルミドール9日のクーデタ(新しいタブで開きます)のあと、国民公会は1795年に新しい憲法をつくった。この憲法は男子普通選挙(新しいタブで開きます)をやめ、納税や財産の条件がある制限選挙(新しいタブで開きます)にもどした。
そして、5人の総裁が行政を受け持ち、元老会と五百人会の二院の議会が法律を決める政府を定めた。これが総裁政府で、同じ年の10月に国民公会が解散したあと、その政治を受けついだのである。
流れ
総裁政府は、王政の復活をめざす王党派と、革命をさらに進めようとするジャコバン派などの両方から攻撃された。1796年には、財産の平等をめざすバブーフらが政府を倒す計画を立てたが、実行の前に見つかって防がれた。国の財政も苦しく、成立したころには紙幣の値打ちが下がって物価が大きく上がり、多くの人々の暮らしが苦しくなる。
外国との戦争では、1797年にオーストリアを破ったナポレオンが国民の人気を集めた。ナポレオンがエジプトに遠征しているあいだに、ヨーロッパの国々がふたたび手を結ぶ。
結果
1799年にはフランス軍がドイツやイタリアなどで後退し、政府の力の弱さが目立った。11月、エジプトから帰国していたナポレオンはブリュメール18日のクーデタで総裁政府を倒した。そのあと、政府を率いる統領を3人置く統領政府がつくられ、12月の新しい憲法でナポレオンが第一統領となった。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/french-directory/?from=print#quiz
総裁政府のもとで、政治が安定しなかった理由として正しいものは?
- ◯ 国王ルイ16世が権力を取りもどし、議会を閉じた
- ◯ 公安委員会が反対派を次々に処刑した
- ◯ 王党派とジャコバン派の両方から攻撃され、物価も上がった
正解:王党派とジャコバン派の両方から攻撃され、物価も上がった
総裁政府は、王政の復活をめざす王党派と、革命をさらに進めようとするジャコバン派(新しいタブで開きます)などの両方から攻撃された。成立したころには紙幣の値打ちが下がって物価が大きく上がり、人々の暮らしも苦しかった。公安委員会(新しいタブで開きます)が反対派を処刑したのは、その前の恐怖政治(新しいタブで開きます)の時期である。次の出来事を、起きた順に並べよう。
- ( )総裁政府が成立する
- ( )ブリュメール18日のクーデタが起きる
- ( )恐怖政治が行われる
- ( )国民公会が開かれる
正解:国民公会が開かれる → 恐怖政治が行われる → 総裁政府が成立する → ブリュメール18日のクーデタが起きる
国民公会(新しいタブで開きます)が開かれる(1792年)→恐怖政治が行われる(1793〜94年)→総裁政府が成立する(1795年)→ブリュメール18日のクーデタ(新しいタブで開きます)が起きる(1799年)。
単元のポイント
- 制限選挙(新しいタブで開きます) 財産や納める税の額などによって、選挙に加われる人を限るしくみ
- ブリュメール18日のクーデタ(新しいタブで開きます) 1799年11月9日に始まったクーデタで、ナポレオンらが総裁政府を倒した事件。この日が、革命中に定められた暦である革命暦の霧月(ブリュメール)18日にあたる