
ファシズム
フクロウ先生戦争のあとの不況や、革命が起こるのではという不安のなかで、暴力で反対派をおさえる独裁がなぜ支持を集めたのかを考えよう。
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- 第一次世界大戦(新しいタブで開きます)のあとのイタリアでは、不況や社会の混乱が続いた。1919年、ムッソリーニは政治団体の戦闘ファッシを結成し、1920年の終わりごろから暴力で反対派をおさえて勢力を広げた。
- 1922年、ファシスト党はローマ進軍で政権をにぎる。ムッソリーニはほかの政党をなくして一党独裁の体制をつくり、議会にもとづく政治を否定した。
- 世界恐慌(新しいタブで開きます)のあと、ドイツのナチスなど似た動きが各地で勢いを増した。イタリアは1935年にアフリカのエチオピアへ攻めこみ、ドイツに近づいていく。
- いつ
- 1919年に運動が始まる(ファシスト党は1921〜43年・政権は1922〜43年)
- どこ
- イタリア(似た動きはドイツなどヨーロッパ各地へ)
- 誰
- ムッソリーニ(ファシスト党の党首・首相)
- 何
- 国家を個人より優先し、強い指導者のもとで一党独裁の体制をつくり、自由や議会政治を否定した
詳しく
背景
イタリアは第一次世界大戦で勝った側に加わったが、望んだ領土を十分には得られなかった。戦争のあとは不況が続き、社会主義の革命が起こるのではないかという不安も広がる。1919年3月、北イタリアの都市ミラノでムッソリーニが「戦闘ファッシ」という団体を結成した。ムッソリーニは、もとは社会主義をめざす社会党の新聞で、編集長をしていた人物である。しかし大戦への参戦を唱えたため、社会党を追われていた。戦闘ファッシは1920年の終わりごろから、社会党に敵対する勢力として急に大きくなった。武装した行動隊の暴力で地方の町を次々に従わせ、1921年にはファシスト党という政党に改められる。
流れ
1922年10月、ファシスト党の武装した党員がローマの近くに集まり、政権を渡すよう迫った。黒いシャツを着た行動隊(黒シャツ隊)が中心で、この動きをローマ進軍という。首相は軍の力で抑えようとしたが、国王はそれに必要な命令に署名しなかった。国王はファシスト党を率いるムッソリーニに内閣をつくるよう命じ、10月31日、ムッソリーニ内閣が成立する。
1924年、議会でファシスト党を批判した社会主義者の議員マッテオッティが、党員たちに殺された。反対の声が高まったが、ムッソリーニは力でおさえこんだ。1925年から26年にかけて法律を次々に定め、ファシスト党以外の政党をなくした。一つの政党だけが政治の力をにぎるこのしくみを、一党独裁という。労働者が仕事をいっせいに休んで要求を通すストライキも、禁じられた。こうした政治のあり方をファシズムとよぶ。ファシズムは国家や民族を個人より優先し、強い指導者のもとで自由や議会にもとづく政治を否定する。社会主義や共産主義にも強く敵対した。
結果
1929年2月、ムッソリーニはカトリック教会を率いるローマ教皇庁とラテラノ条約を結んだ。教皇が治める国、バチカン市国の独立を認め、1870年からのイタリアとの対立を終わらせた。同じ年に世界恐慌が始まると、ファシズムに似た運動が各地で勢いを増す。ドイツでは1933年、ヒトラーの率いるナチ党(ナチス)が政権をにぎった。イタリアは1935年にアフリカのエチオピアへ攻めこみ、翌年に併合する。国際連盟(新しいタブで開きます)の経済制裁を受けたイタリアはドイツに近づき、1936年には両国が手を結ぶベルリン=ローマ枢軸ができた。
主な出来事
- ミラノでムッソリーニが戦闘ファッシを結成する
- 戦闘ファッシがファシスト党に改められる
- ファシスト党がローマ進軍を行う
- ムッソリーニ内閣が成立する
- 社会主義者の議員マッテオッティが殺される
- ローマ教皇庁とラテラノ条約を結ぶ
- イタリアがエチオピアに攻めこむ
- ドイツとの間にベルリン=ローマ枢軸ができる
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/fascism/?from=print#quiz
1922年10月、ファシスト党の武装した党員がローマの近くに集まり、政権を渡すよう迫った出来事を何というか。
- ◯ 血の日曜日事件
- ◯ ローマ進軍
- ◯ 十月革命
- ◯ ミュンヘン一揆
正解:ローマ進軍
ローマ進軍の圧力を受けて、国王はムッソリーニに内閣をつくるよう命じ、10月31日にムッソリーニ内閣が成立した。ムッソリーニが1925年から26年にかけてつくりあげた体制として、正しいものはどれか。
- ◯ 複数の政党が選挙で政権を争う議会政治
- ◯ 労働者のストライキを自由に認める民主政治
- ◯ ファシスト党以外の政党をなくした一党独裁
- ◯ 国王が政治の力をすべて議会にゆずった立憲君主制
正解:ファシスト党以外の政党をなくした一党独裁
ムッソリーニは法律を次々に定めてファシスト党以外の政党をなくし、一党独裁の体制をつくった。労働者のストライキも禁じられた。1929年にイタリアがローマ教皇庁と結んだ、バチカン市国の独立を認める条約を何というか。
- ◯ ラテラノ条約
- ◯ ラパロ条約
- ◯ ロカルノ条約
- ◯ ヴェルサイユ条約
正解:ラテラノ条約
ラテラノ条約で、イタリアはバチカン市国の独立を認め、1870年から続いていたローマ教皇庁との対立が終わった。1935年にイタリアが攻めこみ、翌年に併合したアフリカの国はどれか。
- ◯ 南アフリカ
- ◯ エジプト
- ◯ エチオピア
- ◯ リビア
正解:エチオピア
イタリアは1935年にエチオピアへ攻めこみ、翌年に併合した。国際連盟(新しいタブで開きます)から経済制裁を受けたイタリアは、ドイツに近づいていった。
単元のポイント
- 戦闘ファッシ 1919年にムッソリーニがミラノで結成した団体で、のちのファシスト党のもとになった
- ファシスト党 1921年に戦闘ファッシから改められたイタリアの政党。武装した行動隊を持っていた
- 黒シャツ隊 黒いシャツを着た、ファシスト党の武装した行動隊
- ローマ進軍 1922年10月、ファシスト党の武装した党員がローマへ向かい、政権を渡すよう迫った行動
- 一党独裁 一つの政党だけが政治の力をにぎり、ほかの政党を認めない政治
- ラテラノ条約 1929年にイタリアとローマ教皇庁が結んだ条約。バチカン市国の独立を認めた
- ベルリン=ローマ枢軸 1936年にできた、ドイツとイタリアの協力関係