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マリー・アントワネット

1755〜1793年・フランス

フクロウ先生王妃(おうひ)への反感(はんかん)は、王政(おうせい)そのものへの不信(ふしん)とどう結(むす)びついたのか。首飾(くびかざ)り事件(じけん)とヴァレンヌ逃亡事件(とうぼうじけん)を並(なら)べて考(かんが)えてみよう。

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  1. オーストリアの女帝(じょてい)マリア=テレジアの末娘(すえむすめ)で、1770年(ねん)にフランスの王(おう)太子(たいし)(のちのルイ16世(せい)(新しいタブで開きます))と結婚(けっこん)した。
  2. 宮廷(きゅうてい)での暮(く)らしぶりへの批判(ひはん)や首飾(くびかざ)り事件(じけん)によって評判(ひょうばん)を落(お)とし、国民(こくみん)の人気(にんき)を失(うしな)っていった。
  3. 革命(かくめい)が始(はじ)まると反(はん)革命(かくめい)(新しいタブで開きます)の中心(ちゅうしん)とみなされ、ヴァレンヌ逃亡事件(とうぼうじけん)(新しいタブで開きます)ののちにさらに疑(うたが)われ、1793年(ねん)10月(がつ)に処刑(しょけい)された。
いつ
1755〜1793年(ねん)(王妃(おうひ)だったのは1774〜1792年(ねん))
どこ
オーストリア、フランス(ヴェルサイユ・パリ)
誰
マリー・アントワネット(夫(おっと)のルイ16世(せい)、母(はは)のマリア=テレジア)
何
オーストリアからフランスへ嫁(とつ)いで王妃(おうひ)となり、革命(かくめい)のなかで処刑(しょけい)された

詳しく

背景(はいけい)

マリー・アントワネットは1755年(ねん)11月(がつ)2日(ふつか)、オーストリアのハプスブルク家(け)に、女帝(じょてい)マリア=テレジアの末娘(すえむすめ)として生(う)まれた。1770年(ねん)、14歳(さい)の彼女(かのじょ)は、フランス国王(こくおう)ルイ15世(せい)の孫(まご)である王(おう)太子(たいし)ルイのもとに嫁(とつ)ぐ。ハプスブルク家(け)とフランスのブルボン家(け)を結(むす)びつけるための政略(せいりゃく)結婚(けっこん)であった。1774年(ねん)に夫(おっと)がルイ16世(せい)として即位(そくい)すると、18歳(さい)で王妃(おうひ)となる。夫(おっと)のルイ16世(せい)は即位(そくい)のあと国(くに)の財政(ざいせい)の立(た)て直(なお)しに取(と)り組(く)んだが、のちにアメリカ独立戦争(どくりつせんそう)(新しいタブで開きます)へ参加(さんか)したことも、財政(ざいせい)をさらに苦(くる)しめた。

ヴィジェ=ルブラン『バラを持つマリー・アントワネット』(1783年)『Marie-Antoinette dit « à la Rose »』 エリザベト・ヴィジェ=ルブラン(ヴェルサイユ宮殿所蔵)/パブリックドメイン

流(なが)れ

宮廷(きゅうてい)での王妃(おうひ)の暮(く)らしぶりは派手(はで)だとして批判(ひはん)を集(あつ)め、その人気(にんき)は落(お)ちていった。1785年(ねん)には、王妃(おうひ)の名(な)が詐欺(さぎ)に利用(りよう)された首飾(くびかざ)り事件(じけん)が起(お)こった。ラ・モット伯(はく)夫人(ふじん)が、王妃(おうひ)に取(と)り入(い)りたいと願(ねが)う枢機卿(すうききょう)ロアンをだまし、王妃(おうひ)に贈(おく)ると偽(いつわ)って高価(こうか)なダイヤモンドの首飾(くびかざ)りを手(て)に入(い)れたのである。王妃(おうひ)自身(じしん)はこの詐欺(さぎ)に関(かか)わっていなかったが、事件(じけん)は宮廷(きゅうてい)への不信(ふしん)を強(つよ)め、王妃(おうひ)の評判(ひょうばん)はさらに下(さ)がっていく。

1789年(ねん)にフランス革命(かくめい)(新しいタブで開きます)が始(はじ)まると、王妃(おうひ)は革命(かくめい)に反対(はんたい)する勢力(せいりょく)の中心(ちゅうしん)とみなされた。10月(がつ)には国王(こくおう)一家(いっか)がヴェルサイユからパリへ移(うつ)され、民衆(みんしゅう)の監視(かんし)のもとにおかれる。1791年(ねん)6月(がつ)、一家(いっか)は変装(へんそう)して国外(こくがい)へ逃(に)げようとしたが、国境(こっきょう)に近(ちか)いヴァレンヌで見(み)つかり、パリへ連(つ)れ戻(もど)された(ヴァレンヌ逃亡事件(とうぼうじけん))。この事件(じけん)のあと、王妃(おうひ)は祖国(そこく)オーストリアとひそかに通(つう)じて革命(かくめい)をつぶそうとしていると、いっそう強(つよ)く疑(うたが)われた。

ヴィジェ=ルブラン『マリー・アントワネットと子どもたち』(1787年)『Marie-Antoinette de Lorraine-Habsbourg, reine de France et ses enfants』 エリザベト・ヴィジェ=ルブラン(ヴェルサイユ宮殿所蔵)/パブリックドメイン

結果(けっか)

1792年(ねん)4月(がつ)、フランスはオーストリアとの戦争(せんそう)に入(はい)った。8月(がつ)10日(とおか)にはパリの民衆(みんしゅう)と義勇(ぎゆう)兵(へい)が王宮(おうきゅう)を襲(おそ)い(八月十日事件(はちがつとおかじけん))、王権(おうけん)は停止(ていし)される。3日後(みっかご)、王妃(おうひ)は国王(こくおう)や子(こ)どもたちとともにタンプル塔(とう)へ移(うつ)されて閉(と)じこめられた。翌(よく)1793年(ねん)1月(がつ)に夫(おっと)のルイ16世(せい)が処刑(しょけい)され、王妃(おうひ)も10月(がつ)に裁判(さいばん)にかけられた。1793年(ねん)10月(がつ)16日(にち)、37歳(さい)のマリー・アントワネットは処刑(しょけい)される。

処刑の日に運ばれていく元王妃を、ダヴィドが描きとめたスケッチ(1793年・ルーヴル美術館所蔵)『Portrait de Marie-Antoinette reine de France, conduite au supplice』 ジャック=ルイ・ダヴィド(ルーヴル美術館所蔵)/パブリックドメイン

主な出来事

  1. オーストリアのハプスブルク家(け)に生(う)まれる
  2. フランスの王(おう)太子(たいし)ルイと結婚(けっこん)する
  3. ルイ16世(せい)が即位(そくい)し、王妃(おうひ)となる
  4. 首飾(くびかざ)り事件(じけん)が起(お)こる
  5. 国王(こくおう)一家(いっか)がパリへ移(うつ)される
  6. ヴァレンヌ逃亡事件(とうぼうじけん)
  7. 八月十日事件(はちがつとおかじけん)で王権(おうけん)が停止(ていし)される
  8. 国王(こくおう)一家(いっか)とともにタンプル塔(とう)に閉(と)じこめられる
  9. 夫(おっと)のルイ16世(せい)が処刑(しょけい)される
  10. 処刑(しょけい)される

確認問題

問題 1 / 4マリー・アントワネットの母(はは)で、オーストリアの女帝(じょてい)だった人物(じんぶつ)は誰(だれ)か。

確認問題(解答用紙)

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https://manazoo.com/history/marie-antoinette/?from=print#quiz

  1. マリー・アントワネットの母(はは)で、オーストリアの女帝(じょてい)だった人物(じんぶつ)は誰(だれ)か。

    • ◯ エリザベス1世(せい)
    • ◯ マリア=テレジア
    • ◯ マリ=ルイーズ
    • ◯ エカチェリーナ2世(せい)

    正解:マリア=テレジア
    マリー・アントワネットは、オーストリアのハプスブルク家(け)の女帝(じょてい)マリア=テレジアの末娘(すえむすめ)である。マリ=ルイーズは、のちにナポレオン(新しいタブで開きます)と結婚(けっこん)したオーストリアの皇女(こうじょ)である。

  2. 1785年(ねん)に起(お)こり、王妃(おうひ)の名(な)が詐欺(さぎ)に利用(りよう)されて評判(ひょうばん)が大(おお)きく傷(きず)ついた事件(じけん)は何(なに)か。

    • ◯ 首飾(くびかざ)り事件(じけん)
    • ◯ 球戯場(きゅうぎじょう)の誓(ちか)い
    • ◯ 八月十日事件(はちがつとおかじけん)
    • ◯ ヴァレンヌ逃亡事件(とうぼうじけん)

    正解:首飾り事件
    首飾(くびかざ)り事件(じけん)では、ラ・モット伯(はく)夫人(ふじん)が枢機卿(すうききょう)ロアンをだまし、王妃(おうひ)に贈(おく)ると偽(いつわ)って高価(こうか)な首飾(くびかざ)りを手(て)に入(い)れた。王妃(おうひ)自身(じしん)はこの詐欺(さぎ)に関(かか)わっていなかったが、事件(じけん)は宮廷(きゅうてい)への不信(ふしん)を強(つよ)めた。

  3. 1791年(ねん)6月(がつ)、国王(こくおう)一家(いっか)が変装(へんそう)して国外(こくがい)へ逃(に)げようとし、国境(こっきょう)に近(ちか)い町(まち)で見(み)つかって連(つ)れ戻(もど)された事件(じけん)は何(なに)か。

    • ◯ 首飾(くびかざ)り事件(じけん)
    • ◯ ヴァレンヌ逃亡事件(とうぼうじけん)
    • ◯ バスティーユ牢獄(ろうごく)の襲撃(しゅうげき)
    • ◯ ブリュメール18日(にち)のクーデタ

    正解:ヴァレンヌ逃亡事件
    国王(こくおう)一家(いっか)はヴァレンヌで見(み)つかり、パリへ連(つ)れ戻(もど)された。このヴァレンヌ逃亡事件(とうぼうじけん)(新しいタブで開きます)のあと、王妃(おうひ)が祖国(そこく)オーストリアと通(つう)じているという疑(うたが)いはいっそう強(つよ)まった。

  4. 革命(かくめい)のなかでマリー・アントワネットは、ある国(くに)とひそかに通(つう)じて革命(かくめい)をつぶそうとしていると疑(うたが)われた。その国(くに)はどこか。

    • ◯ オーストリア
    • ◯ ロシア
    • ◯ スペイン
    • ◯ イギリス

    正解:オーストリア
    オーストリアはマリー・アントワネットの祖国(そこく)である。ヴァレンヌ逃亡事件(とうぼうじけん)のあと、その疑(うたが)いはいっそう強(つよ)まった。

単元のポイント

  • マリア=テレジア オーストリアの女帝(じょてい)。マリー・アントワネットの母(はは)
  • 首飾(くびかざ)り事件(じけん) 1785年(ねん)、王妃(おうひ)の名(な)を利用(りよう)した詐欺(さぎ)事件(じけん)。王妃(おうひ)の評判(ひょうばん)を大(おお)きく傷(きず)つけた
  • ヴァレンヌ逃亡事件(とうぼうじけん)(新しいタブで開きます) 1791年(ねん)6月(がつ)、国王(こくおう)一家(いっか)が国外(こくがい)へ逃(に)げようとして連(つ)れ戻(もど)された事件(じけん)
  • 八月十日事件(はちがつとおかじけん) 1792年(ねん)、パリの民衆(みんしゅう)と義勇(ぎゆう)兵(へい)が王宮(おうきゅう)を襲(おそ)い、王権(おうけん)が停止(ていし)された
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単元のポイント
  • マリア=テレジア オーストリアの女帝(じょてい)。マリー・アントワネットの母(はは)
  • 首飾(くびかざ)り事件(じけん) 1785年(ねん)、王妃(おうひ)の名(な)を利用(りよう)した詐欺(さぎ)事件(じけん)。王妃(おうひ)の評判(ひょうばん)を大(おお)きく傷(きず)つけた
  • ヴァレンヌ逃亡事件(とうぼうじけん)(新しいタブで開きます) 1791年(ねん)6月(がつ)、国王(こくおう)一家(いっか)が国外(こくがい)へ逃(に)げようとして連(つ)れ戻(もど)された事件(じけん)
  • 八月十日事件(はちがつとおかじけん) 1792年(ねん)、パリの民衆(みんしゅう)と義勇(ぎゆう)兵(へい)が王宮(おうきゅう)を襲(おそ)い、王権(おうけん)が停止(ていし)された