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スペイン内戦(ないせん)

1936〜1939年・スペイン

フクロウ先生スペインの国内(こくない)の争(あらそ)いに、どの国(くに)がどう関(かか)わったか。助(たす)けた国(くに)と手(て)を出(だ)さなかった国(くに)を分(わ)けると、第(だい)二次(にじ)世界(せかい)大戦(たいせん)の前(まえ)の力関係(ちからかんけい)が見(み)えてくる。

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  1. 1936年(ねん)に社会党(しゃかいとう)や共和(きょうわ)派(は)などの人民戦線(じんみんせんせん)の政府(せいふ)が生(う)まれると、7月(がつ)にフランコ将軍(しょうぐん)らの軍人(ぐんじん)が反乱(はんらん)を起(お)こした。反乱(はんらん)軍(ぐん)はすぐには全国(ぜんこく)を押(お)さえられず、国(くに)が2つに割(わ)れて戦(たたか)う内戦(ないせん)になった。
  2. ドイツとイタリアは反乱(はんらん)軍(ぐん)を助(たす)け、ソ連(れん)(新しいタブで開きます)は政府側(せいふがわ)に武器(ぶき)を送(おく)った。イギリスとフランスは不干渉(ふかんしょう)の方針(ほうしん)をとり、各国(かっこく)の義勇兵(ぎゆうへい)が国際(こくさい)旅団(りょだん)として政府側(せいふがわ)で戦(たたか)った。
  3. 1939年(ねん)春(はる)に反乱(はんらん)軍(ぐん)が首都(しゅと)マドリードに入(はい)り、内戦(ないせん)は終(お)わった。フランコの独裁(どくさい)は、1975年(ねん)に彼(かれ)が亡(な)くなるまで続(つづ)いた。この内戦(ないせん)は、ドイツとイタリアが新(あたら)しい戦(たたか)い方(かた)を試(ため)す場(ば)にもなった。
いつ
1936年(ねん)7月(がつ)〜1939年(ねん)4月(がつ)
どこ
スペイン
誰
フランコ、ヒトラー(新しいタブで開きます)、ムッソリーニ
何
軍人(ぐんじん)の反乱(はんらん)から始(はじ)まった内戦(ないせん)に、外国(がいこく)が介入(かいにゅう)した

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詳しく

背景(はいけい)

1931年(ねん)に王政(おうせい)が倒(たお)れて共和国(きょうわこく)となったスペインは、国(くに)の進(すす)む道(みち)をめぐって大(おお)きく割(わ)れていた。一方(いっぽう)にいたのは、軍(ぐん)の有力者(ゆうりょくしゃ)や大(おお)きな土地(とち)を持(も)つ地主(じぬし)、キリスト教(きょう)のカトリック教会(きょうかい)を信(しん)じる人々(ひとびと)の多(おお)くである。もう一方(いっぽう)には、都市(とし)の労働者(ろうどうしゃ)や農場(のうじょう)で雇(やと)われて働(はたら)く人々(ひとびと)の多(おお)くがいた。1934年(ねん)には鉱山(こうざん)労働者(ろうどうしゃ)が政府(せいふ)に対(たい)して立(た)ち上(あ)がり、フランコ将軍(しょうぐん)らの軍(ぐん)に武力(ぶりょく)で抑(おさ)えこまれる。1936年(ねん)2月(がつ)の選挙(せんきょ)では、社会党(しゃかいとう)や共産党(きょうさんとう)、共和(きょうわ)派(は)が手(て)を組(く)み、人民戦線(じんみんせんせん)の政府(せいふ)が生(う)まれた。人民戦線(じんみんせんせん)とは、独裁(どくさい)を進(すす)めるファシズム(新しいタブで開きます)に反対(はんたい)して広(ひろ)く協力(きょうりょく)する動(うご)きである。このころのヨーロッパでは、ドイツやイタリアのように、ファシズムをかかげる政権(せいけん)が力(ちから)を強(つよ)めていた。

流(なが)れ

1936年(ねん)7月(がつ)17日(にち)、フランコらの軍人(ぐんじん)が共和国(きょうわこく)の政府(せいふ)を倒(たお)そうと反乱(はんらん)を起(お)こした。しかし反乱(はんらん)軍(ぐん)はすぐには全国(ぜんこく)を押(お)さえられず、スペインは2つに割(わ)れて戦(たたか)うスペイン内戦(ないせん)に入(はい)る。10月(がつ)1日(ついたち)、フランコは北部(ほくぶ)の都市(とし)ブルゴスで反乱軍側(はんらんぐんがわ)のトップである国家(こっか)元首(げんしゅ)に就(つ)いた。

ドイツとイタリアは、兵士(へいし)や戦車(せんしゃ)、飛行機(ひこうき)を送(おく)って反乱(はんらん)軍(ぐん)を助(たす)けた。ソ連(れん)は政府側(せいふがわ)に武器(ぶき)を送(おく)っている。一方(いっぽう)、イギリスはスペイン政府(せいふ)の支援(しえん)の求(もと)めを断(ことわ)り、フランスも支援(しえん)の約束(やくそく)をやめて不干渉(ふかんしょう)政策(せいさく)をとった。武器(ぶき)を送(おく)るなどの手助(てだす)けを控(ひか)える方針(ほうしん)である。1936年(ねん)8月(がつ)には不干渉(ふかんしょう)の取(と)り決(き)めが結(むす)ばれたが、ドイツ・イタリア・ソ連(れん)は守(まも)らなかった。外国(がいこく)からは、自分(じぶん)から進(すす)んで戦(たたか)う義勇兵(ぎゆうへい)が約(やく)4万人(まんにん)集(あつ)まり、国際(こくさい)旅団(りょだん)として政府側(せいふがわ)で戦(たたか)う。

反乱(はんらん)軍(ぐん)は1936年(ねん)11月(がつ)に首都(しゅと)マドリードへ迫(せま)ったが、攻(せ)め落(お)とせなかった。1939年(ねん)3月(がつ)28日(にち)に反乱(はんらん)軍(ぐん)がマドリードへ入(はい)り、4月(がつ)1日(ついたち)に内戦(ないせん)は終(お)わった。

国家元首に就いたころのフランコ(1936年10月、ブルゴス)『Francisco Franco, octubre de 1936, Burgos』 撮影者不明(Keystone)/パブリックドメイン

結果(けっか)

内戦(ないせん)の死者(ししゃ)は約(やく)50万人(まんにん)といわれる。勝(か)ったフランコは、国(くに)の力(ちから)を1人(ひとり)でにぎる独裁(どくさい)を全国(ぜんこく)に広(ひろ)げ、1975年(ねん)に亡(な)くなるまで続(つづ)けた。ドイツとイタリアにとって、スペインは新(あたら)しい戦車(せんしゃ)や飛行機(ひこうき)の戦(たたか)い方(かた)を試(ため)す場(ば)でもあった。1937年(ねん)4月(がつ)26日(にち)には両国(りょうこく)の飛行機(ひこうき)がスペイン北部(ほくぶ)のバスク地方(ちほう)の町(まち)ゲルニカを爆撃(ばくげき)し、200人(にん)以上(いじょう)の市民(しみん)が亡(な)くなった。画家(がか)のピカソは同(おな)じ年(とし)に、絵画(かいが)『ゲルニカ』を描(えが)いている。世界(せかい)各地(かくち)で自由(じゆう)を重(おも)んじる人々(ひとびと)や社会(しゃかい)主義(しゅぎ)を支持(しじ)する人々(ひとびと)の多(おお)くは、この内戦(ないせん)を第(だい)二次(にじ)世界(せかい)大戦(たいせん)(新しいタブで開きます)の予行(よこう)演習(えんしゅう)のように受(う)けとめた。

爆撃のあとのゲルニカの町(1937年)『Bundesarchiv Bild 183-H25224, Guernica, Ruinen』 撮影者不明(ドイツ連邦公文書館)/CC BY-SA 3.0 DE

主な出来事

  1. 総選挙(そうせんきょ)で人民戦線(じんみんせんせん)が勝(か)つ
  2. 人民戦線(じんみんせんせん)の内閣(ないかく)ができる
  3. フランコらの軍人(ぐんじん)が反乱(はんらん)を起(お)こす
  4. 不干渉(ふかんしょう)の協定(きょうてい)が結(むす)ばれる
  5. フランコがブルゴスで反乱軍側(はんらんぐんがわ)の国家(こっか)元首(げんしゅ)に就(つ)く
  6. 反乱(はんらん)軍(ぐん)がマドリードへ迫(せま)るが、落(お)とせない
  7. ドイツとイタリアの飛行機(ひこうき)がゲルニカを爆撃(ばくげき)する
  8. 反乱(はんらん)軍(ぐん)が地中海(ちちゅうかい)に達(たっ)し、政府側(せいふがわ)の地域(ちいき)を2つに分(わ)ける
  9. 反乱(はんらん)軍(ぐん)がマドリードへ入(はい)る
  10. 内戦(ないせん)が終(お)わる

確認問題

問題 1 / 41936年(ねん)にスペインの政府(せいふ)に反乱(はんらん)を起(お)こし、内戦(ないせん)に勝(か)って独裁(どくさい)を続(つづ)けた将軍(しょうぐん)はだれか。

確認問題(解答用紙)

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  1. 1936年(ねん)にスペインの政府(せいふ)に反乱(はんらん)を起(お)こし、内戦(ないせん)に勝(か)って独裁(どくさい)を続(つづ)けた将軍(しょうぐん)はだれか。

    • ◯ ムッソリーニ
    • ◯ チャーチル
    • ◯ フランコ
    • ◯ ダラディエ

    正解:フランコ
    フランコは反乱(はんらん)軍(ぐん)を率(ひき)いて内戦(ないせん)に勝(か)ち、1975年(ねん)に亡(な)くなるまで独裁(どくさい)を続(つづ)けた。

  2. スペイン内戦(ないせん)で反乱(はんらん)軍(ぐん)を助(たす)けた国(くに)の組(く)み合(あ)わせとして、正(ただ)しいものはどれか。

    • ◯ ドイツとイタリア
    • ◯ イギリスとフランス
    • ◯ アメリカとソ連(れん)
    • ◯ ソ連(れん)とメキシコ

    正解:ドイツとイタリア
    ドイツとイタリアは兵士(へいし)や戦車(せんしゃ)、飛行機(ひこうき)を送(おく)った。ソ連(れん)(新しいタブで開きます)は政府側(せいふがわ)に武器(ぶき)を送(おく)った。

  3. イギリスとフランスがスペイン内戦(ないせん)でとった方針(ほうしん)を何(なん)というか。

    • ◯ 中立(ちゅうりつ)政策(せいさく)
    • ◯ 宥和政策(ゆうわせいさく)
    • ◯ 不干渉(ふかんしょう)政策(せいさく)
    • ◯ 集団安全保障(しゅうだんあんぜんほしょう)

    正解:不干渉政策
    武器(ぶき)を送(おく)るなどの手助(てだす)けを控(ひか)える方針(ほうしん)である。ドイツ・イタリア・ソ連(れん)はこの取(と)り決(き)めに加(くわ)わったが、守(まも)らなかった。

  4. 1937年(ねん)にドイツとイタリアの飛行機(ひこうき)に爆撃(ばくげき)され、ピカソの絵(え)の題名(だいめい)にもなったバスク地方(ちほう)の町(まち)はどこか。

    • ◯ ゲルニカ
    • ◯ バルセロナ
    • ◯ マドリード
    • ◯ ブルゴス

    正解:ゲルニカ
    爆撃(ばくげき)では200人(にん)以上(いじょう)の市民(しみん)が亡(な)くなった。ピカソは同(おな)じ年(とし)に絵画(かいが)『ゲルニカ』を描(えが)いた。

単元のポイント

  • 人民戦線(じんみんせんせん) ファシズムに反対(はんたい)するために、社会党(しゃかいとう)や共産党(きょうさんとう)、共和(きょうわ)派(は)などが手(て)を組(く)んだ動(うご)き
  • フランコ 反乱(はんらん)軍(ぐん)を率(ひき)いた将軍(しょうぐん)。内戦(ないせん)に勝(か)ち、1975年(ねん)に亡(な)くなるまで独裁(どくさい)を続(つづ)けた
  • 不干渉(ふかんしょう)政策(せいさく) よその国(くに)の争(あらそ)いに、武器(ぶき)を送(おく)るなどの手助(てだす)けをしないという方針(ほうしん)
  • 国際(こくさい)旅団(りょだん) 外国(がいこく)から集(あつ)まり、政府側(せいふがわ)で戦(たたか)った義勇兵(ぎゆうへい)の部隊(ぶたい)
  • 義勇兵(ぎゆうへい) 国(くに)に命(めい)じられず、自分(じぶん)から進(すす)んで戦(たたか)いに加(くわ)わる兵士(へいし)
  • ゲルニカ 1937年(ねん)にドイツとイタリアの飛行機(ひこうき)に爆撃(ばくげき)された、スペイン北部(ほくぶ)のバスク地方(ちほう)の町(まち)
  • ピカソ 絵画(かいが)『ゲルニカ』を1937年(ねん)に描(えが)いた画家(がか)
問題を解く
単元のポイント
  • 人民戦線(じんみんせんせん) ファシズムに反対(はんたい)するために、社会党(しゃかいとう)や共産党(きょうさんとう)、共和(きょうわ)派(は)などが手(て)を組(く)んだ動(うご)き
  • フランコ 反乱(はんらん)軍(ぐん)を率(ひき)いた将軍(しょうぐん)。内戦(ないせん)に勝(か)ち、1975年(ねん)に亡(な)くなるまで独裁(どくさい)を続(つづ)けた
  • 不干渉(ふかんしょう)政策(せいさく) よその国(くに)の争(あらそ)いに、武器(ぶき)を送(おく)るなどの手助(てだす)けをしないという方針(ほうしん)
  • 国際(こくさい)旅団(りょだん) 外国(がいこく)から集(あつ)まり、政府側(せいふがわ)で戦(たたか)った義勇兵(ぎゆうへい)の部隊(ぶたい)
  • 義勇兵(ぎゆうへい) 国(くに)に命(めい)じられず、自分(じぶん)から進(すす)んで戦(たたか)いに加(くわ)わる兵士(へいし)
  • ゲルニカ 1937年(ねん)にドイツとイタリアの飛行機(ひこうき)に爆撃(ばくげき)された、スペイン北部(ほくぶ)のバスク地方(ちほう)の町(まち)
  • ピカソ 絵画(かいが)『ゲルニカ』を1937年(ねん)に描(えが)いた画家(がか)