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ミュンヘン会談(かいだん)

1938年・ドイツのミュンヘン

フクロウ先生譲(ゆず)れば戦争(せんそう)を止(と)められる。そう考(かんが)えて結(むす)んだ約束(やくそく)は、半年(はんとし)で破(やぶ)られた。会談(かいだん)に呼(よ)ばれなかった国(くに)があることにも注目(ちゅうもく)したい。

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  1. 1938年(ねん)、ドイツはオーストリアを自国(じこく)に組(く)み入(い)れ、ドイツ系(けい)の住民(じゅうみん)が多(おお)いチェコスロバキアのズデーテン地方(ちほう)を求(もと)めた。戦争(せんそう)を恐(おそ)れたイギリスとフランスは、譲(ゆず)ることで止(と)めようとした。
  2. 9月(がつ)29日(にち)、ドイツ・イギリス・フランス・イタリアの首脳(しゅのう)がミュンヘンで会談(かいだん)を開(ひら)く。チェコスロバキアの代表(だいひょう)が加(くわ)わらないまま、ズデーテン地方(ちほう)をドイツへ渡(わた)すと決(き)めた。
  3. 戦争(せんそう)が避(さ)けられたとして、イギリスの首相(しゅしょう)は国内(こくない)で歓迎(かんげい)された。しかしドイツは1939年(ねん)3月(がつ)にチェコスロバキアを解体(かいたい)する。9月(がつ)にはポーランドへ攻(せ)めこみ、第(だい)二次(にじ)世界(せかい)大戦(たいせん)(新しいタブで開きます)が始(はじ)まった。
いつ
1938年(ねん)9月(がつ)29〜30日(にち)
どこ
ドイツのミュンヘン
誰
ヒトラー(新しいタブで開きます)、チェンバレン、ダラディエ、ムッソリーニ
何
ズデーテン地方(ちほう)をドイツへ渡(わた)すと決(き)めた会談(かいだん)

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詳しく

背景(はいけい)

ドイツを率(ひき)いたのは、国(くに)の力(ちから)を1人(ひとり)でにぎる独裁者(どくさいしゃ)ヒトラーである。ドイツは第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)(新しいタブで開きます)後(ご)のヴェルサイユ条約(じょうやく)(新しいタブで開きます)が定(さだ)めた軍備(ぐんび)などの制限(せいげん)を次々(つぎつぎ)に破(やぶ)った。1935年(ねん)には条約(じょうやく)を破(やぶ)って再軍備(さいぐんび)、つまり軍備(ぐんび)を増(ふ)やすことを宣言(せんげん)し、1936年(ねん)にはドイツ西部(せいぶ)のラインラントへ軍(ぐん)を進(すす)める。1938年(ねん)3月(がつ)には、隣(となり)のオーストリアを併合(へいごう)して自国(じこく)に組(く)み入(い)れた。次(つぎ)にねらったのが、隣国(りんごく)チェコスロバキアのズデーテン地方(ちほう)である。ここにはドイツ系(けい)の住民(じゅうみん)が約(やく)300万人(まんにん)住(す)んでいた。イギリスとフランスでは、第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)の記憶(きおく)から、戦争(せんそう)を恐(おそ)れる声(こえ)が強(つよ)かった。そこで両国(りょうこく)は、要求(ようきゅう)をある程度(ていど)認(みと)めて戦争(せんそう)を避(さ)ける宥和政策(ゆうわせいさく)をとった。

流(なが)れ

1938年(ねん)9月(がつ)、イギリスの首相(しゅしょう)チェンバレンはドイツへ飛(と)び、ヒトラーと話(はな)し合(あ)った。イギリスとフランスは、チェコスロバキアに相談(そうだん)せず、ドイツ系(けい)の住民(じゅうみん)が半分(はんぶん)をこえる地域(ちいき)を渡(わた)す案(あん)をまとめる。チェコスロバキアはいったん拒(こば)んだが、両国(りょうこく)の圧力(あつりょく)で9月(がつ)21日(にち)に受(う)け入(い)れた。ところが22日(にち)の話(はな)し合(あ)いで、ヒトラーは要求(ようきゅう)を強(つよ)めた。ドイツ軍(ぐん)がすぐに占領(せんりょう)するというのである。チェコスロバキアとフランスは軍(ぐん)の準備(じゅんび)を始(はじ)めた。

チェンバレンの提案(ていあん)で、9月(がつ)29日(にち)にドイツのミュンヘンで4か国(こく)の会談(かいだん)が開(ひら)かれる。集(あつ)まったのはヒトラー、チェンバレン、フランス首相(しゅしょう)ダラディエ、イタリアの独裁者(どくさいしゃ)ムッソリーニだ。チェコスロバキアの代表(だいひょう)は部屋(へや)に入(い)れてもらえず、ソ連(れん)(新しいタブで開きます)も話(はな)し合(あ)いから外(はず)された。30日(にち)に結(むす)ばれたミュンヘン協定(きょうてい)では、ドイツ軍(ぐん)が10月(がつ)10日(とおか)までにズデーテン地方(ちほう)を占領(せんりょう)すると定(さだ)められた。自国(じこく)だけで戦(たたか)うか従(したが)うかをイギリスとフランスに迫(せま)られ、チェコスロバキアは受(う)け入(い)れた。

会談に集まった各国の首脳(1938年9月)『Bundesarchiv Bild 183-R69173, Münchener Abkommen, Staatschefs』 撮影者不明(ドイツ連邦公文書館)/CC BY-SA 3.0 DE

結果(けっか)

帰国(きこく)したチェンバレンは、戦争(せんそう)が避(さ)けられたとして人々(ひとびと)に歓迎(かんげい)された。しかしイギリスの政治家(せいじか)チャーチルは、この決定(けってい)を厳(きび)しく批判(ひはん)する。1939年(ねん)3月(がつ)、ドイツはチェコ地方(ちほう)を占領(せんりょう)し、スロバキアも従(したが)わせて、チェコスロバキアを解体(かいたい)した。これを見(み)たイギリスは、ポーランドを守(まも)ると約束(やくそく)する。9月(がつ)1日(ついたち)にドイツがポーランドへ攻(せ)めこみ、第(だい)二次(にじ)世界(せかい)大戦(たいせん)が始(はじ)まる。3日(みっか)にはイギリスとフランスがドイツに戦争(せんそう)を宣言(せんげん)した。この協定(きょうてい)は宥和政策(ゆうわせいさく)の大(おお)きな失敗(しっぱい)とされるが、イギリスが戦(たたか)いの準備(じゅんび)をする時間(じかん)を稼(かせ)いだとする見方(みかた)もある。

主な出来事

  1. ドイツがオーストリアを併合(へいごう)する
  2. チェコスロバキアがズデーテン地方(ちほう)を渡(わた)す案(あん)を受(う)け入(い)れさせられる
  3. ヒトラーがさらに強(つよ)い要求(ようきゅう)を出(だ)す
  4. ミュンヘン会談(かいだん)が開(ひら)かれる
  5. ミュンヘン協定(きょうてい)が結(むす)ばれる
  6. ドイツ軍(ぐん)がズデーテン地方(ちほう)へ入(はい)る
  7. ドイツがチェコスロバキアを解体(かいたい)する
  8. ドイツがポーランドへ侵攻(しんこう)する

確認問題

問題 1 / 4ミュンヘン会談(かいだん)でドイツへ渡(わた)すと決(き)められた地域(ちいき)はどこか。

確認問題(解答用紙)

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  1. ミュンヘン会談(かいだん)でドイツへ渡(わた)すと決(き)められた地域(ちいき)はどこか。

    • ◯ ズデーテン地方(ちほう)
    • ◯ ラインラント
    • ◯ ダンツィヒ
    • ◯ アルザス=ロレーヌ

    正解:ズデーテン地方
    ズデーテン地方(ちほう)はチェコスロバキアの一部(いちぶ)で、ドイツ系(けい)の住民(じゅうみん)が約(やく)300万人(まんにん)住(す)んでいた。

  2. ドイツの要求(ようきゅう)をある程度(ていど)認(みと)めて戦争(せんそう)を避(さ)けようとした、イギリスとフランスの外交(がいこう)を何(なん)というか。

    • ◯ 宥和政策(ゆうわせいさく)
    • ◯ 不干渉(ふかんしょう)政策(せいさく)
    • ◯ 孤立(こりつ)主義(しゅぎ)
    • ◯ ブロック経済(けいざい)

    正解:宥和政策
    イギリス首相(しゅしょう)チェンバレンらが進(すす)めた。ミュンヘン会談(かいだん)は、その代表(だいひょう)的(てき)な例(れい)とされる。

  3. ミュンヘン会談(かいだん)に代表(だいひょう)が加(くわ)われなかった国(くに)はどれか。

    • ◯ イタリア
    • ◯ フランス
    • ◯ イギリス
    • ◯ チェコスロバキア

    正解:チェコスロバキア
    自国(じこく)の領土(りょうど)のことなのに、チェコスロバキアの代表(だいひょう)は話(はな)し合(あ)いの部屋(へや)に入(い)れてもらえなかった。

  4. ミュンヘン会談(かいだん)のあとの動(うご)きとして、正(ただ)しいものはどれか。

    • ◯ ドイツがズデーテン地方(ちほう)をチェコスロバキアへ返(かえ)した
    • ◯ イギリスがドイツと軍事(ぐんじ)同盟(どうめい)を結(むす)んだ
    • ◯ ドイツがチェコスロバキアを解体(かいたい)した
    • ◯ ソ連(れん)がズデーテン地方(ちほう)を占領(せんりょう)した

    正解:ドイツがチェコスロバキアを解体した
    協定(きょうてい)から半年(はんとし)ほどの1939年(ねん)3月(がつ)のことである。9月(がつ)にはポーランドへの侵攻(しんこう)で第(だい)二次(にじ)世界(せかい)大戦(たいせん)(新しいタブで開きます)が始(はじ)まった。

単元のポイント

  • 再軍備(さいぐんび) 条約(じょうやく)で減(へ)らされた軍備(ぐんび)を、ふたたび増(ふ)やすこと
  • ズデーテン地方(ちほう) チェコスロバキアの西部(せいぶ)で、ドイツ系(けい)の住民(じゅうみん)が多(おお)かった地域(ちいき)
  • 宥和政策(ゆうわせいさく) 相手(あいて)の要求(ようきゅう)をある程度(ていど)認(みと)めて、戦争(せんそう)を避(さ)けようとする外交(がいこう)
  • チェンバレン ミュンヘン会談(かいだん)に出(で)たイギリスの首相(しゅしょう)。宥和政策(ゆうわせいさく)を進(すす)めた
  • ダラディエ ミュンヘン会談(かいだん)に出(で)たフランスの首相(しゅしょう)
  • ミュンヘン協定(きょうてい) 会談(かいだん)で結(むす)ばれた、ズデーテン地方(ちほう)をドイツへ渡(わた)す取(と)り決(き)め
  • チャーチル イギリスの政治家(せいじか)。ミュンヘン協定(きょうてい)を強(つよ)く批判(ひはん)した
問題を解く
単元のポイント
  • 再軍備(さいぐんび) 条約(じょうやく)で減(へ)らされた軍備(ぐんび)を、ふたたび増(ふ)やすこと
  • ズデーテン地方(ちほう) チェコスロバキアの西部(せいぶ)で、ドイツ系(けい)の住民(じゅうみん)が多(おお)かった地域(ちいき)
  • 宥和政策(ゆうわせいさく) 相手(あいて)の要求(ようきゅう)をある程度(ていど)認(みと)めて、戦争(せんそう)を避(さ)けようとする外交(がいこう)
  • チェンバレン ミュンヘン会談(かいだん)に出(で)たイギリスの首相(しゅしょう)。宥和政策(ゆうわせいさく)を進(すす)めた
  • ダラディエ ミュンヘン会談(かいだん)に出(で)たフランスの首相(しゅしょう)
  • ミュンヘン協定(きょうてい) 会談(かいだん)で結(むす)ばれた、ズデーテン地方(ちほう)をドイツへ渡(わた)す取(と)り決(き)め
  • チャーチル イギリスの政治家(せいじか)。ミュンヘン協定(きょうてい)を強(つよ)く批判(ひはん)した