フランクフルト国民議会
30秒でつかむ
- 1848年の三月革命(新しいタブで開きます)の後、ドイツの統一(新しいタブで開きます)と憲法づくりのためにフランクフルトで開かれた議会。
- 統一したドイツにオーストリアを入れる大ドイツ主義と、除く小ドイツ主義で意見が分かれた。
- 1849年にプロイセン王を皇帝に選んだが断られ、統一は実現しなかった。
詳しく
背景
1848年3月、ウィーンとベルリンで三月革命が起こった。当時のドイツは、オーストリアやプロイセンなど、大小たくさんの国に分かれていた。統一を求める声が高まり、各国で議員を選ぶ選挙が行われる。5月18日、フランクフルトの教会でフランクフルト国民議会が開かれる。ドイツ全体から選ばれた議員が集まる、初めての議会だった。
流れ
議会の仕事は、統一したドイツの憲法をつくることだった。議員には大学教授などの学者も多く、議論に長い時間がかかった。とくに意見が分かれたのは、統一したドイツにオーストリアを入れるかどうかである。オーストリアのうち、ドイツ人が多く住む地域も加えてまとまろうとする考えを、大ドイツ主義という。これに対し、オーストリアを除いてプロイセンを中心にまとまろうとする考えを小ドイツ主義とよぶ。
オーストリア政府は、自分の国の領土を分ける大ドイツ主義の案を受け入れなかった。そこで議会は、小ドイツ主義の道を選ぶ。
結果
1849年3月、議会はドイツ国憲法を定めた。そして、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世をドイツ皇帝に選ぶ。しかし王は、皇帝の位につくことを断った。議会は力を失った。残った議員も場所を移して会議を続けたが、6月に武力で解散させられた。統一は実現しなかったものの、この憲法の多くの決まりは、のちのドイツの憲法に取り入れられている。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/frankfurt-parliament/?from=print#quiz
1848年に開かれたフランクフルト国民議会の、主な目的は何か?
- ◯ ナポレオン戦争後の国境を決めること
- ◯ 統一したドイツの憲法をつくること
- ◯ フランスとの戦争を始めること
- ◯ ドイツ関税同盟を結ぶこと
正解:統一したドイツの憲法をつくること
フランクフルト国民議会は、三月革命(新しいタブで開きます)のあと、統一したドイツの憲法をつくるために開かれた。ナポレオン(新しいタブで開きます)戦争後の国境を話し合ったのは、1814〜15年のウィーン会議(新しいタブで開きます)である。オーストリアを除き、プロイセンを中心にドイツを統一しようとする考えを何というか?
- ◯ 重商主義
- ◯ 小ドイツ主義
- ◯ 正統主義
- ◯ 大ドイツ主義
正解:小ドイツ主義
オーストリアのうち、ドイツ人が多く住む地域も加えてまとまろうとする考えが、大ドイツ主義である。オーストリアを除き、プロイセンを中心にまとまろうとする考えを小ドイツ主義とよぶ。議会は最後には小ドイツ主義を選んだ。1849年、フランクフルト国民議会からドイツ皇帝に選ばれたが、皇帝になることを断った人物は?
- ◯ ビスマルク
- ◯ ヴィルヘルム1世
- ◯ フリードリヒ・ヴィルヘルム4世
- ◯ メッテルニヒ
正解:フリードリヒ・ヴィルヘルム4世
議会はプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世を皇帝に選んだが、王はこれを断った。プロイセンなどの政府も自分の国の議員を議会から呼びもどし、議会による統一は実現しなかった。
単元のポイント
- 三月革命(新しいタブで開きます) 1848年3月、ウィーンとベルリンで起こった革命。オーストリアで長く政治を動かしてきた宰相メッテルニヒ(新しいタブで開きます)が、その地位を追われた
- 大ドイツ主義 オーストリアのうち、ドイツ人が多く住む地域も加えて、ドイツの統一を進めようとする考え
- 小ドイツ主義 オーストリアを除き、プロイセンを中心にドイツの統一を進めようとする考え