ドイツの統一
フクロウ先生ビスマルクは、議会での話し合いではなく「鉄と血」で統一を進めると言い切った。デンマーク・オーストリア・フランスとの3つの戦争を、順番に整理しよう。
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- ウィーン会議(新しいタブで開きます)のあとのドイツは多くの国に分かれていたが、1834年にプロイセンを中心とするドイツ関税同盟が発足し、まず経済の面でまとまり始めた。
- 1862年にプロイセン首相となったビスマルク(新しいタブで開きます)は、議会の反対をおさえて軍備を拡張し、デンマーク(1864年)とオーストリア(1866年)との戦争に勝った。
- 1870年に始まった普仏戦争(新しいタブで開きます)のさなか、1871年1月にヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国(新しいタブで開きます)の成立が宣言され、プロイセン王ヴィルヘルム1世(新しいタブで開きます)がドイツ皇帝となった。
- いつ
- 1866〜71年(統一をめざす動きは19世紀前半から。デンマークとの戦争は1864年)
- どこ
- ドイツ・オーストリア・フランス
- 誰
- ビスマルク・ヴィルヘルム1世・ナポレオン3世(新しいタブで開きます)
- 何
- プロイセンが中心となり、ドイツ帝国として統一した
詳しく
背景
ウィーン会議のあと、ドイツは多くの君主国と自由市からなるドイツ連邦(新しいタブで開きます)にまとめられたが、一つの国ではなかった。1834年には、プロイセンを中心にドイツ関税同盟が発足し、まず経済の面での統一が進む。
1848年の三月革命(新しいタブで開きます)では、フランクフルト国民議会(新しいタブで開きます)がドイツの統一と憲法づくりを話し合ったが、統一は実現しなかった。このとき、オーストリアを除いてプロイセンを中心にまとまる小ドイツ主義と、オーストリアを含める大ドイツ主義が対立している。その後、産業が発展するにつれて、プロイセンの力による統一を望む声が強まっていった。
流れ
1862年、プロイセンの首相となったビスマルクは、「いまの問題は演説や多数決ではなく、鉄と血によって解決される」と議会で述べ、議会の反対をおさえて軍備の拡張を進めた(鉄血政策)。1864年、プロイセンはオーストリアとともにデンマークと戦い、シュレスヴィヒとホルシュタインをデンマークから切り離す。ところが、この二つの地域の管理をめぐって、プロイセンとオーストリアが対立した。1866年の普墺戦争(新しいタブで開きます)で、プロイセンはわずか7週間でオーストリアを破った。
オーストリアはドイツの統一から外され、1867年には、プロイセンを盟主とする北ドイツ連邦が成立した。フランスのナポレオン3世は、強い統一国家が隣に生まれることを警戒していたのである。1870年、スペインの王位をめぐる問題でビスマルクがフランスを挑発すると、フランスはプロイセンに宣戦し、普仏戦争が始まった。南ドイツの国々もプロイセンの側で戦い、9月にはスダン(セダン)でナポレオン3世を降伏させた。
結果
まだ戦争が続くなかの1871年1月18日、ヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立が宣言され、プロイセン王ヴィルヘルム1世が皇帝となった。北ドイツ連邦に南ドイツの国々が加わるかたちで、ドイツの統一が実現したのである。ビスマルクは帝国の宰相となった。5月の講和で、フランスはアルザス・ロレーヌの大半をドイツにゆずり、50億フランの賠償金を支払うことになった。フランスでは戦争中に第二帝政(新しいタブで開きます)が倒れ、共和政が成立した。
主な出来事
- ドイツ関税同盟が発足する
- 三月革命。フランクフルト国民議会が開かれる
- ビスマルクがプロイセン首相となる
- プロイセンとオーストリアがデンマークと戦う
- 普墺戦争(新しいタブで開きます)
- 北ドイツ連邦が成立する
- 普仏戦争が始まる
- スダンの戦いでナポレオン3世が降伏する
- ドイツ帝国の成立が宣言される
- 講和条約で、アルザス・ロレーヌの大半がドイツ領になる
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/german-unification/?from=print#quiz
1862年にプロイセンの首相となり、議会の反対をおさえて軍備の拡張を進めた人物は?
- ◯ ナポレオン3世
- ◯ メッテルニヒ
- ◯ ヴィルヘルム1世
- ◯ ビスマルク
正解:ビスマルク
ビスマルク(新しいタブで開きます)は「鉄と血」で統一を進めると述べ、鉄血宰相とよばれた。ヴィルヘルム1世(新しいタブで開きます)はビスマルクを首相に任じたプロイセン王で、メッテルニヒ(新しいタブで開きます)はウィーン体制(新しいタブで開きます)を主導したオーストリアの政治家である。1871年、ドイツ帝国の成立が宣言された場所は?
- ◯ ベルリンの王宮
- ◯ ウィーンのシェーンブルン宮殿
- ◯ ヴェルサイユ宮殿
- ◯ フランクフルトの聖パウロ教会
正解:ヴェルサイユ宮殿
普仏戦争(新しいタブで開きます)のさなか、占領していたフランスのヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国(新しいタブで開きます)の成立が宣言され、ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝となった。フランクフルトの聖パウロ教会は、1848年にフランクフルト国民議会(新しいタブで開きます)が開かれた場所である。普仏戦争に敗れたフランスが、ドイツにその大半をゆずった地方は?
- ◯ アルザス・ロレーヌ
- ◯ ボヘミア
- ◯ シュレスヴィヒ・ホルシュタイン
- ◯ ロンバルディア
正解:アルザス・ロレーヌ
フランスはアルザス・ロレーヌの大半をゆずり、50億フランの賠償金を支払うことになった。シュレスヴィヒ・ホルシュタインは1864年にデンマークから切り離された地域で、ロンバルディアは1859年にサルデーニャ王国(新しいタブで開きます)が得た地域である。次の出来事を起きた順に並べよう。
- ( )普墺戦争
- ( )ドイツ関税同盟の発足
- ( )ドイツ帝国の成立
- ( )デンマークとの戦争
正解:ドイツ関税同盟の発足 → デンマークとの戦争 → 普墺戦争 → ドイツ帝国の成立
ドイツ関税同盟の発足(1834年)→デンマークとの戦争(1864年)→普墺戦争(新しいタブで開きます)(1866年)→ドイツ帝国の成立(1871年)。
単元のポイント
- ドイツ関税同盟 1834年、プロイセンを中心に発足した。加盟国のあいだの関税をなくし、ドイツの経済的な統一を進めた
- 小ドイツ主義 オーストリアを除き、プロイセンを中心にドイツを統一しようとする考え方。オーストリアを含める考え方を大ドイツ主義という
- 鉄血政策 ビスマルクが進めた、軍備を拡張して武力でドイツを統一しようとする政策。「鉄と血」は兵器と兵力をさす
- 北ドイツ連邦 普墺戦争のあとの1867年に成立した、プロイセンを盟主とする北ドイツの国々の連邦
- ドイツ帝国(新しいタブで開きます) 1871年に成立した統一国家。プロイセン王ヴィルヘルム1世が皇帝となり、ビスマルクが帝国宰相となった