1848年革命
フクロウ先生パリからウィーン・ベルリン、そして各地の民族運動へ。革命が連鎖していく順番をつかもう。多くは失敗したけれど、何が残ったかも大事だ。
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- 1848年2月、パリで二月革命が起こって七月王政(新しいタブで開きます)が倒れ、第二共和政が成立した。
- 革命が各地に広がるなか、3月にはウィーンとベルリンで三月革命が起こり、メッテルニヒ(新しいタブで開きます)も失脚してウィーン体制(新しいタブで開きます)は崩れた。5月にはドイツの統一(新しいタブで開きます)を話し合うフランクフルト国民議会(新しいタブで開きます)も開かれる。
- ハンガリーやイタリアなどでも民族運動が高まり「諸国民の春」とよばれたが、1849年までに多くは鎮圧された。
- いつ
- 1848〜49年
- どこ
- ヨーロッパ各地(パリ・ウィーン・ベルリンなど)
- 誰
- ルイ=フィリップ(新しいタブで開きます)・ギゾー(新しいタブで開きます)・ルイ=ブラン・メッテルニヒ・コシュート・ルイ=ナポレオン(新しいタブで開きます)
- 何
- 各地の革命でウィーン体制は崩れたが、多くの運動は鎮圧された
詳しく
背景
七月王政のもとで、選挙権は高い税を納める一部の人々に限られ、政治は銀行家などの上層ブルジョワジーが動かしていた。首相ギゾーは選挙権の拡大を求める声を退け、反対派は各地で改革宴会を開いて選挙法の改正をうったえる。1845〜46年の凶作で食料の値段が上がり、職を失う人も増えた。産業革命(新しいタブで開きます)が進むなかで、労働者の生活の改善を求める社会主義の考えも広がっていた。ヨーロッパ各地でも、ウィーン体制に抑えられてきた自由主義(新しいタブで開きます)やナショナリズム(新しいタブで開きます)を求める声が高まっていた。
流れ
1848年2月、政府がパリの改革宴会を禁止すると、学生や労働者がバリケードを築いて軍と衝突した。ギゾーは辞任し、国王ルイ=フィリップも退位して亡命する。臨時政府は共和政を宣言し(第二共和政)、社会主義者のルイ=ブランも加わった。失業対策として国立作業場が設けられ、男性の普通選挙(新しいタブで開きます)も導入された(二月革命)。
3月、ウィーンで学生や市民が蜂起し、メッテルニヒは失脚してイギリスへ逃れる。ベルリンでも市民と軍隊が市街戦をくり広げ、プロイセン国王は言論の自由などを認め、自由主義者を首相に任じた(三月革命)。5月にはドイツ統一と憲法を話し合うフランクフルト国民議会が開かれている。
多民族国家オーストリアでは、ハンガリーでコシュートらが自治を要求し、ベーメンでもチェコ人が自治などを求めた。北イタリアではミラノの市民がオーストリア軍と戦い、サルデーニャ王国(新しいタブで開きます)もオーストリアとの戦争を始める。各地の動きは諸国民の春とよばれる。
しかし革命は長続きしなかった。パリでは国立作業場の解散に反発した労働者が6月に蜂起したが、軍に鎮圧された(六月蜂起)。12月の大統領選挙でナポレオン(新しいタブで開きます)の甥ルイ=ナポレオンが当選する。オーストリアは各地の運動を武力で抑え、1849年にはロシア軍の助けでハンガリーの独立運動を鎮圧した。フランクフルト国民議会は1849年に憲法を採択したが、プロイセン国王が皇帝の位を断ったため、施行されなかった。
結果
1848年革命の多くは失敗に終わり、各地で保守的な政府が力を取りもどした。それでも、メッテルニヒの失脚によってウィーン体制は崩れ、ドイツでは、19世紀初めに始まった農民解放などの改革が、この革命で法のうえで仕上げられる。その後のドイツやイタリアの統一(新しいタブで開きます)では、プロイセンやサルデーニャ王国の政府が主導的な役割を担っていく。フランスでは、ルイ=ナポレオンが1851年にクーデタを起こし、翌年に皇帝ナポレオン3世となった(第二帝政(新しいタブで開きます))。
主な出来事
- ルイ=フィリップが退位し、臨時政府が成立(二月革命)
- ウィーンで蜂起、メッテルニヒが失脚
- ベルリンで市街戦
- フランクフルト国民議会が開会
- パリで六月蜂起
- ルイ=ナポレオンが大統領に当選
- プロイセン国王が皇帝の位を断る
- ハンガリーの革命軍が降伏
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/revolutions-of-1848/?from=print#quiz
1848年の二月革命で倒れた王政は?
- ◯ 復古王政
- ◯ 絶対王政
- ◯ 七月王政
- ◯ 第二帝政
正解:七月王政
二月革命で国王ルイ=フィリップ(新しいタブで開きます)が退位し、1830年から続いた七月王政(新しいタブで開きます)が倒れた。復古王政(新しいタブで開きます)は七月革命(新しいタブで開きます)で倒れた王政、第二帝政(新しいタブで開きます)は1852年に始まるナポレオン3世(新しいタブで開きます)の帝政である。ドイツの統一と憲法の制定について話し合うため、1848年に開かれた議会は?
- ◯ 三部会
- ◯ ウィーン会議
- ◯ フランクフルト国民議会
- ◯ 国民公会
正解:フランクフルト国民議会
三月革命のあと、ドイツ各地の代表がフランクフルトに集まった。翌年に憲法を採択したが、プロイセン国王が皇帝の位を断り、統一は実現しなかった。1848年6月、パリの労働者が蜂起したきっかけは?
- ◯ 七月勅令の発布
- ◯ 国立作業場の解散
- ◯ 改革宴会の禁止
- ◯ 国王一家の逃亡
正解:国立作業場の解散
国立作業場の解散と、労働者を地方の事業や軍隊へ移す方針に反発して、パリの労働者が蜂起したが鎮圧された。改革宴会の禁止は、2月の二月革命のきっかけである。次の出来事を起きた順に並べよう。
- ( )二月革命
- ( )六月蜂起
- ( )三月革命
- ( )ハンガリー革命の鎮圧
正解:二月革命 → 三月革命 → 六月蜂起 → ハンガリー革命の鎮圧
二月革命(1848年2月)→三月革命(3月)→六月蜂起(6月)→ハンガリー革命の鎮圧(1849年8月)。
単元のポイント
- 二月革命 1848年2月、パリで七月王政が倒れ、第二共和政が始まった
- 国立作業場 臨時政府が失業者のために設けた仕事場。その解散が六月蜂起の引き金となった
- 三月革命 1848年3月、ウィーンとベルリンで起きた革命。メッテルニヒが失脚した
- フランクフルト国民議会(新しいタブで開きます) 1848〜49年に、ドイツの統一と憲法を話し合った議会
- 諸国民の春 1848年にヨーロッパ各地で続いた革命と民族運動のよび名。「諸民族の春」ともいう