
フランクリン・ローズヴェルト
フクロウ先生大統領に4回選ばれたのは、アメリカの歴史でこの人だけだ。恐慌と大戦という2つの大きな危機の時代を率いた。
30秒でつかむ
- 1882年、ニューヨーク州の名門の家に生まれる。ウィルソン(新しいタブで開きます)大統領のもとで海軍の要職をつとめ、病気で両足が不自由になったあとも政治を続けて州知事になった。
- 1932年の大統領選挙に勝ち、翌年に就任した。世界恐慌(新しいタブで開きます)のなか、国が経済に深く関わるニューディール(新しいタブで開きます)を進め、ラジオで国民に直接語りかけている。
- 第二次世界大戦ではイギリスを支え、1941年12月の真珠湾攻撃のあと参戦した。4回選ばれた唯一の大統領であり、大戦が終わる前の1945年4月に亡くなっている。
- いつ
- 1882〜1945年
- どこ
- アメリカ
- 誰
- 本人(民主党の政治家)
- 何
- 大統領として世界恐慌と第二次世界大戦の時代を率いた
詳しく
背景
フランクリン・ローズヴェルトは1882年、ニューヨーク州ハイドパークの名門の家に生まれた。ハーヴァード大学で学んだ。20世紀の初めに大統領をつとめたセオドア・ローズヴェルトとは、遠い親戚にあたる。民主党の政治家となり、1913年から海軍次官補という海軍の役職をつとめた。そのときの大統領は、第一次世界大戦(新しいタブで開きます)を戦ったウィルソンである。1920年には副大統領に立候補したが、選挙で敗れる。翌年、手足にまひが残ることがあるポリオという病気にかかり、両足が不自由になった。それでも政治の世界にもどり、1929年からニューヨーク州の知事をつとめている。
流れ
1932年、世界恐慌のさなかの大統領選挙で、ローズヴェルトはそのときの大統領フーヴァーを破った。翌1933年3月4日の就任演説では、「恐れなければならない唯一のものは、恐れそのものだ」と国民を励ましている。就任すると、国が経済に深く関わるニューディールを始めた。銀行を立て直し、農産物の値段を支える政策である。公共の仕事をつくって、失業者も雇った。ラジオで国民に直接語りかける炉辺談話も行い、政策への理解を求めた。1935年には、仕事を失った人を支える失業保険や、お年寄りへの年金を定めた社会保障法も成立させている。
外交では1933年にソ連(新しいタブで開きます)を国として認めた。中南米(ラテンアメリカ)の国々には、武力で口を出すのをやめて仲よくつきあう善隣外交を進めた。1936年の選挙でも、大差で再選された。
結果
1939年に第二次世界大戦が始まっても、アメリカは参戦しなかった。ローズヴェルトは1940年に3回目の当選をはたす。1941年3月には、武器を貸し出せる武器貸与法で、イギリスなどを助けた。8月にはイギリス首相チャーチルと会い、戦後の世界づくりの方針を大西洋憲章にまとめた。12月に日本がハワイの真珠湾を攻撃すると、アメリカは参戦する。1944年には4回目の当選をはたした。1945年2月、イギリス・ソ連の首脳と戦後のことを話しあうヤルタ会談に出た。しかし4月12日に急死し、大戦の終わりを見なかった。
主な出来事
- ニューヨーク州ハイドパークで生まれる
- ウィルソン政権の海軍次官補になる
- ポリオにかかる
- ニューヨーク州知事になる
- 大統領選挙で勝つ
- 第32代大統領に就任し、ニューディールを始める
- ソ連を承認する
- 武器貸与法が成立する
- チャーチルと大西洋憲章を発表する
- 真珠湾攻撃のあと、アメリカが参戦する
- ヤルタ会談に出る
- ジョージア州ウォームスプリングズで亡くなる
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/franklin-roosevelt/?from=print#quiz
1933年に大統領となったローズヴェルトが、世界恐慌から立ち直るために進めた政策を何というか。
- ◯ ニューディール
- ◯ 新経済政策
- ◯ 十四か条
- ◯ 五カ年計画
正解:ニューディール
ローズヴェルトは、国が経済に深く関わるニューディール(新しいタブで開きます)を進めた。銀行を立て直し、農産物の値段を支え、公共の仕事をつくって失業者を雇う政策である。ローズヴェルトが、ラジオで国民に直接語りかけた放送を何というか。
- ◯ 炉辺談話
- ◯ 十四か条
- ◯ 就任演説
- ◯ 大西洋憲章
正解:炉辺談話
ローズヴェルトは炉辺談話とよばれるラジオ放送で国民に直接語りかけ、政策への理解を求めた。ローズヴェルトが、ラテンアメリカの国々に武力で口を出すのをやめ、仲よくつきあおうとした外交を何というか。
- ◯ 棍棒外交
- ◯ 宥和政策
- ◯ 砲艦外交
- ◯ 善隣外交
正解:善隣外交
ローズヴェルトは、ラテンアメリカの国々に武力で口を出すのをやめ、仲よくつきあう善隣外交を進めた。1941年8月、ローズヴェルトとチャーチルが会い、戦後の世界づくりの方針をまとめたものを何というか。
- ◯ 十四か条
- ◯ ヤルタ協定
- ◯ 大西洋憲章
- ◯ ヴェルサイユ条約
正解:大西洋憲章
1941年8月、ローズヴェルトとチャーチルは話し合い、戦争が終わったあとの世界づくりの方針を大西洋憲章にまとめた。アメリカが参戦する前のことである。
単元のポイント
- 海軍次官補 アメリカ海軍の役職の一つ。ウィルソン大統領のもとで1913年から1920年までつとめた
- ポリオ ウイルスが起こす病気で、手足が動かなくなることがある。小児まひともいう
- ニューディール(新しいタブで開きます) 世界恐慌から立ち直るために、国が経済に深く関わった政策
- 炉辺談話 ラジオで国民に直接語りかけた放送
- 善隣外交 中南米(ラテンアメリカ)の国々に武力で口を出すのをやめ、仲よくつきあおうとした外交
- 武器貸与法 参戦する前のアメリカが、イギリスなどに武器を貸したり送ったりできるようにした法律(1941年3月)
- 大西洋憲章 1941年8月、ローズヴェルトとイギリス首相チャーチルが発表した、戦争が終わったあとの世界づくりの方針
- ヤルタ会談 1945年2月、ローズヴェルト・チャーチル・スターリンがクリミア半島のヤルタで開いた会談。戦後のことなどを話しあった