ドイツ帝国
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- 1871年1月、普仏戦争(新しいタブで開きます)のさなかにヴェルサイユ宮殿で成立が宣言された、プロイセン王を皇帝とする国。
- 宰相ビスマルク(新しいタブで開きます)が約20年政治を率い、社会主義者鎮圧法と社会政策、同盟による外交を進めた。
- ヴィルヘルム2世の世界政策でイギリスと対立し、1918年のドイツ革命で終わった。
詳しく
背景
1871年1月、普仏戦争のさなかにヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立が宣言された。普墺戦争(新しいタブで開きます)のあとプロイセン中心にできた北ドイツ連邦に、南ドイツの4か国が加わった国である。22の君主国(王などの国)と3つの自由市(都市が治める国)の連邦で、面積・人口の3分の2近くを占めるプロイセンが帝国を動かした。皇帝はプロイセン王が、帝国宰相も多くはプロイセン首相が兼ねた。
帝国議会は、財産に関係なく男性が投票できる選挙で選ばれる。しかし成立時のしくみでは、宰相は皇帝が選び、議会が反対してもやめさせられなかった。
流れ
初代の帝国宰相ビスマルクは、約20年にわたって政治を率いた。国内では、カトリック教会とその政党をおさえようとした文化闘争に失敗する。社会主義とは、工場や土地などを社会全体で持つことで、貧富の差をなくそうとする考えである。1878年には社会主義者鎮圧法でその運動を取りしまり、そのいっぽうで労働者のための社会政策も進めた。この組み合わせは「アメとムチ」とよばれる。
外交では、フランスを孤立させ、ヨーロッパの国々の力の関係を保とうとした。1873年にオーストリア・ロシアと三帝同盟を、1882年にはオーストリア・イタリアと三国同盟を結んでいる。
結果
1890年、ビスマルクは皇帝ヴィルヘルム2世と対立して辞めさせられ、皇帝がみずから政治を動かした。第一次世界大戦の前には工業生産でイギリスを追い抜き、アメリカに次ぐ世界第2位となる。皇帝は「世界政策」で海外へ勢力を広げようと海軍を強め、イギリスなどとの対立が深まる。1914年には第一次世界大戦が始まる。1918年秋に敗戦が決定的になると、11月のドイツ革命で皇帝が位を退き、ドイツ帝国は終わった。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/german-empire/?from=print#quiz
1871年1月、プロイセン王を皇帝とするドイツ帝国の成立が宣言された宮殿は?
- ◯ シェーンブルン宮殿
- ◯ テュイルリー宮殿
- ◯ バッキンガム宮殿
- ◯ ヴェルサイユ宮殿
正解:ヴェルサイユ宮殿
普仏戦争(新しいタブで開きます)のさなかの1871年1月、フランスのヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立が宣言された。プロイセン王が、ドイツ皇帝の位についた。ドイツ帝国で、皇帝を兼ねたのはどの国の王か?
- ◯ オーストリア
- ◯ ザクセン
- ◯ プロイセン
- ◯ バイエルン
正解:プロイセン
ドイツ帝国では、皇帝はプロイセン王が兼ね、帝国宰相(政府の仕事をまとめる最高の役職)もたいていプロイセン首相が兼ねた。プロイセンは面積と人口の3分の2近くを占めていた。ビスマルクが辞職したあと、みずから政治を動かし、海外へ勢力を広げる「世界政策」を進めたドイツ皇帝は?
- ◯ フランツ=ヨーゼフ1世
- ◯ ナポレオン3世
- ◯ ヴィルヘルム2世
- ◯ ヴィルヘルム1世
正解:ヴィルヘルム2世
1890年にビスマルク(新しいタブで開きます)が辞職に追いこまれると、ヴィルヘルム2世がみずから政治を動かした。大きな海軍をつくって世界政策を進め、イギリスとの対立が深まった。
単元のポイント
- 帝国宰相 ドイツ帝国で政府の仕事をまとめた最高の役職。皇帝が任命し、たいていプロイセン首相が兼ねた。初代はビスマルクである
- 社会主義者鎮圧法 1878年、ビスマルクが社会主義の運動を取りしまるためにつくった法律。1890年にビスマルクが辞職したあとに廃止された
- 世界政策 1890年代からヴィルヘルム2世が進めた、海外へ勢力を広げる政策。大きな海軍をつくったため、イギリスとの対立が深まった