公安委員会
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- 1793年4月、フランス革命(新しいタブで開きます)のさなかに国民公会(新しいタブで開きます)が、戦争と反乱に対応するため公安委員会をつくった。
- 穏健なジロンド派(新しいタブで開きます)が議会を追われた後、委員会は改められ、山岳派(新しいタブで開きます)のロベスピエール(新しいタブで開きます)を中心に恐怖政治(新しいタブで開きます)を進めた。
- 1794年7月のテルミドール9日のクーデタ(新しいタブで開きます)でロベスピエールらが倒れ、1795年に廃止された。
詳しく
背景
1792年9月、フランスで新しい議会として国民公会が開かれ、王政を廃止した。フランスはすでに外国と戦争をしていた。さらに翌1793年1月に国王ルイ16世(新しいタブで開きます)が処刑されると、戦う相手はヨーロッパのほとんどの国に広がる。国内でも西部のヴァンデ地方で、王を支持する人々が大きな反乱を起こした。こうした危機にすばやく対応するため、国民公会は1793年4月6日、公安委員会を設けた。
流れ
公安委員会の委員は国民公会の議員から選ばれ、最初は9人で、山岳派のダントン(新しいタブで開きます)らが中心だった。山岳派は、急進的な改革を求めたグループである。1793年6月、パリの民衆の圧力で穏健なジロンド派の議員が議会から追われると、委員会の顔ぶれは改められる。7月には山岳派の指導者ロベスピエールが加わり、委員はのちに12人となった。委員たちは軍事・食料・外交などを分けて受け持ち、役所よりも強い権限で政治を動かした。
1793年秋から翌年夏にかけて、公安委員会は事実上の政府として恐怖政治を進めた。これは、反対する人々を力でおさえつける政治である。革命に反対していると疑われた人々は捕らえられ、多くが処刑される。
結果
やがて公安委員会の中で、ロベスピエール派とほかの委員との対立が強まった。警察の仕事を受け持つ保安委員会とも争うようになる。1794年7月、ロベスピエールに反対する議員たちがテルミドール9日のクーデタを起こした。ロベスピエールや仲間のサン=ジュストらは捕らえられ、処刑された。その後、公安委員会の権限は軍事と外交などに狭められ、1795年10月に国民公会が解散すると、委員会も廃止された。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/committee-of-public-safety/?from=print#quiz
1793年4月、フランス革命中に公安委員会をつくった議会は?
- ◯ 立法議会
- ◯ 国民議会
- ◯ 三部会
- ◯ 国民公会
正解:国民公会
公安委員会は、1792年9月に開かれた国民公会(新しいタブで開きます)が、1793年4月に議会の中につくった組織である。戦争と反乱の危機に、すばやく対応するためにつくられた。公安委員会に加わり、その中心となって恐怖政治を進めた人物は?
- ◯ ルイ16世
- ◯ ナポレオン
- ◯ ロベスピエール
- ◯ ミラボー
正解:ロベスピエール
1793年7月、急進的な改革を求めた山岳派(新しいタブで開きます)のロベスピエール(新しいタブで開きます)が公安委員会に加わった。委員会は国民公会のもとで事実上の政府として国を動かし、ロベスピエールを中心に恐怖政治(新しいタブで開きます)を進めた。公安委員会の力が弱まるきっかけとなった、1794年7月の出来事は?
- ◯ バスティーユ牢獄の襲撃
- ◯ ヴァレンヌ逃亡事件
- ◯ テルミドール9日のクーデタ
- ◯ ブリュメール18日のクーデタ
正解:テルミドール9日のクーデタ
1794年7月のテルミドール9日のクーデタ(新しいタブで開きます)で、ロベスピエールらが捕らえられて処刑された。その後、公安委員会の権限は狭められ、1795年10月に廃止された。
単元のポイント
- 国民公会(新しいタブで開きます) 1792年9月に開かれたフランスの議会。王政を廃止して共和政を始めた。公安委員会は、この議会の中に置かれた
- 保安委員会 国民公会の中にあった別の委員会で、警察の仕事を受け持った。警察の権限をめぐって公安委員会と対立した
- 恐怖政治(新しいタブで開きます) 1793〜94年、革命政府が反対する人々を捕らえたり処刑したりして、力でおさえた政治