山岳派
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- 1792年に開かれた国民公会(新しいタブで開きます)で、議場のいちばん高い席に座った、革命をさらに進めようとする議員たち。
- パリの民衆と手を組み、1793年6月にジロンド派(新しいタブで開きます)の主な議員を追い出して国民公会の実権を握った。
- 公安委員会(新しいタブで開きます)に権力を集めて恐怖政治(新しいタブで開きます)を行ったが、1794年7月にロベスピエール(新しいタブで開きます)が倒されて力を失った。
詳しく
背景
1792年9月に開かれた国民公会で、議場のいちばん高い席に座った議員たちを山岳派とよぶ。革命をさらに進めようとする左派のグループである。主な指導者はロベスピエール・ダントン(新しいタブで開きます)・マラーらで、1793年夏からはロベスピエールの力が強くなった。
山岳派の議員はパリの政治団体ジャコバン=クラブ(新しいタブで開きます)と強く結びつき、この時期にはジャコバン派ともよばれる(ジャコバン派は本来、クラブの会員を指す)。今の政党のような名簿や規約はなく、人数ははじめ100人あまり、1793年には300人ほどだったと考えられている。
流れ
山岳派は、パリの手工業者や小さな店の主人など、サン=キュロットとよばれる民衆と手を組んだ。革命を守るには、民衆や農民の力が欠かせないと考えたのである。
これに対し、議会の右側に座ったジロンド派は、物の値段をおさえる経済統制など、民衆の求めに反対した。両派は国王ルイ16世(新しいタブで開きます)の裁判をめぐっても激しく争い、1793年1月に国王は処刑される。同じ年の6月、パリの民衆が国民公会を取り囲むなかでジロンド派の主な議員が追い出されると、山岳派が実権を握った(山岳派独裁)。山岳派は公安委員会に権力を集めた。
結果
戦争や国内の反乱が続くなか、山岳派は革命の敵とみなした人々を次々に処刑する恐怖政治を行う。その一方で、農民が領主に負っていた封建的な負担を、補償金なしで完全になくした。品物の値段に上限も設けている。しかし山岳派の中で争いが起こり、ロベスピエールは対立したダントンらを処刑した。1794年7月27日(テルミドール9日)にロベスピエールが倒され、翌28日に処刑されると、山岳派は力を失った。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/montagnards/?from=print#quiz
山岳派という名前の由来として正しいものは?
- ◯ 山の多い地方から選ばれた議員が多かったこと
- ◯ 国民公会の議場で、いちばん高い位置に席を占めたこと
- ◯ 山の中にこもって国王の軍隊と戦ったこと
- ◯ アルプス山脈のふもとで集会を開いたこと
正解:国民公会の議場で、いちばん高い位置に席を占めたこと
山岳派の議員たちは、国民公会(新しいタブで開きます)の議場のいちばん高い席に座った。そこから山岳派とよばれるようになった。1793年6月、パリの民衆が国民公会を取り囲むなかで、山岳派が主な議員を議会から追い出した党派は?
- ◯ フイヤン派
- ◯ 王党派
- ◯ テルミドール派
- ◯ ジロンド派
正解:ジロンド派
山岳派は、物の値段をおさえる経済統制など、民衆の求めに反対するジロンド派(新しいタブで開きます)と争った。1793年6月にはジロンド派の中心の議員を国民公会から追い出し、権力を握って恐怖政治(新しいタブで開きます)を行った。1794年7月、テルミドール9日のクーデタ(新しいタブで開きます)で倒されて処刑された山岳派の指導者は?
- ◯ ナポレオン
- ◯ ロベスピエール
- ◯ ダントン
- ◯ ルイ16世
正解:ロベスピエール
ロベスピエール(新しいタブで開きます)は、1794年7月27日(テルミドール9日)に倒され、翌28日に処刑された。ダントン(新しいタブで開きます)は、それより前にロベスピエールと対立して処刑されている。
単元のポイント
- 国民公会(新しいタブで開きます) 1792年9月に開かれたフランスの議会。財産による制限をなくした男性の選挙(男子普通選挙(新しいタブで開きます))で選ばれた議員が集まり、王政を廃止して、王のいない共和政を始めた
- サン=キュロット パリの手工業者や小さな店の主人などの民衆。山岳派と手を組み、ジロンド派の追放をあと押しした
- 公安委員会(新しいタブで開きます) 国民公会の中に置かれた委員会。山岳派独裁のもとで権力が集まり、恐怖政治の中心となった