恐怖政治
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- 1793年、戦争と反乱で追いつめられたフランスで、山岳派(新しいタブで開きます)が公安委員会(新しいタブで開きます)に権力を集めた。
- 革命の敵と疑われた人々を大量にとらえ、革命裁判所(新しいタブで開きます)が王妃やジロンド派(新しいタブで開きます)の人々を処刑した。
- 1794年7月のテルミドール9日のクーデタ(新しいタブで開きます)でロベスピエール(新しいタブで開きます)らが倒れ、恐怖政治は終わった。
詳しく
背景
1793年のフランスは、外国との戦争と国内の反乱で追いつめられていた。1792年からオーストリアやプロイセンと戦っていたところへ、1793年にはイギリスなども加わる。国内では、西部のヴァンデー地方で農民が反乱を起こした。
議会の国民公会(新しいタブで開きます)で力を握った山岳派(ジャコバン派(新しいタブで開きます))は、対立していたジロンド派の議員を追放した。そして、国民公会の中の公安委員会に権力を集めた。この体制のもとで、革命の敵と疑われた人々を大量にとらえ、処刑した政治を恐怖政治とよぶ。
流れ
1793年9月には反革命(新しいタブで開きます)容疑者法が定められ、革命の敵と疑われた人々が大量にとらえられた。革命裁判所は、王妃マリー・アントワネット(新しいタブで開きます)やジロンド派の人々を次々に処刑台へ送った。また、民衆の暮らしを守るため、食料など暮らしに欠かせない品物の値段に上限を決める最高価格令も出されている。
1794年春には、対立するようになった同じ山岳派のエベール派とダントン(新しいタブで開きます)派の指導者たちも、革命裁判所で処刑された。処刑が続くなかで、国民公会には不安が広がっていく。
結果
1794年7月27日(テルミドール9日)のクーデタでロベスピエールらが倒れ、恐怖政治は終わった。裁判なしに殺された人や獄中で亡くなった人も含め、死者は3万5000〜4万人と推定されている。その後、公安委員会の力は弱められ、革命裁判所も1795年に廃止された。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/reign-of-terror/?from=print#quiz
恐怖政治の時期に、国民公会の中で事実上の政府として権力を集めた組織は?
- ◯ 公安委員会
- ◯ 三部会
- ◯ 国民議会
- ◯ 総裁政府
正解:公安委員会
1793年4月、国民公会(新しいタブで開きます)が公安委員会(新しいタブで開きます)をつくった。ロベスピエール(新しいタブで開きます)が加わってからは、恐怖政治を進める中心になった。1794年7月、ロベスピエールらが倒され、恐怖政治が終わった出来事は?
- ◯ テルミドール9日のクーデタ
- ◯ ブリュメール18日のクーデタ
- ◯ バスティーユ牢獄の襲撃
- ◯ 球戯場の誓い
正解:テルミドール9日のクーデタ
1794年7月27日、国民公会の多数派がロベスピエールらを倒した。これがテルミドール9日のクーデタ(新しいタブで開きます)である。ブリュメール18日のクーデタ(新しいタブで開きます)は、1799年にナポレオン(新しいタブで開きます)が権力を握った出来事である。恐怖政治が始まった背景として正しいものは?
- ◯ ナポレオンが皇帝になり、反対派をおさえようとした
- ◯ 三部会で、身分ごとの投票をめぐる対立が起きた
- ◯ 外国との戦争と国内の反乱で、革命が危うくなっていた
正解:外国との戦争と国内の反乱で、革命が危うくなっていた
1793年のフランスは、外国との戦争と国内の反乱をかかえていた。ロベスピエールら山岳派(新しいタブで開きます)は、革命を守るためとして権力を公安委員会に集め、反対派をきびしくおさえた。
単元のポイント
- 公安委員会(新しいタブで開きます) 1793年4月に国民公会がつくった委員会。ロベスピエールが加わってからは、事実上の政府として恐怖政治を進めた
- 革命裁判所(新しいタブで開きます) 1793年3月に国民公会がパリに設けた裁判所。反革命の疑いをかけられた人々を、簡単な手続きで裁いた
- 反革命容疑者法 1793年9月に国民公会が定めた法律。「容疑者」の範囲を広く決め、革命の敵と疑われた人を逮捕できるようにした