テルミドール9日のクーデタ
フクロウ先生クーデタを起こした議員たちは、はじめ独裁をゆるめることだけを目指していた。それなのに、なぜ革命の流れそのものが大きく変わったのかを考えてみよう。
30秒でつかむ
- 1793年から、ロベスピエール(新しいタブで開きます)ら山岳派(新しいタブで開きます)が公安委員会(新しいタブで開きます)を中心に恐怖政治(新しいタブで開きます)を行い、反対派を次々に処刑した。
- 1794年7月27日、恐怖政治に不安をいだいた国民公会(新しいタブで開きます)の多数派がロベスピエール派を逮捕し、翌日処刑した。
- クーデタのあと経済の統制は廃止され、政治団体のジャコバン=クラブも閉鎖される。1795年には新しい憲法のもとで総裁政府(新しいタブで開きます)がつくられた。
- いつ
- 1794年7月27日(革命暦2年テルミドール9日)
- どこ
- フランス(パリの国民公会)
- 誰
- ロベスピエール派(ロベスピエール、サン=ジュスト、クートン)と、国民公会の反対派(バラス、タリアンら)
- 何
- 国民公会の多数派がロベスピエール派を倒し、恐怖政治が終わった
詳しく
背景
1793年6月、議会である国民公会から、対立するジロンド派(新しいタブで開きます)が追い出された。権力を握ったのは、改革を急いで進めようとする議員たちの山岳派である。国民公会の中で政治を動かす公安委員会に力が集まり、ロベスピエールはその中心となる。革命政府は、反対するとみなした人々を革命裁判所(新しいタブで開きます)などで次々に処刑した(恐怖政治)。1794年春には山岳派の中でも争いが起こった。ロベスピエール派は、より激しい改革を求めるエベール派と穏やかなダントン(新しいタブで開きます)派を相次いで処刑している。6月には新しい国民の信仰をつくろうとして最高存在の祭典を開いたが、ロベスピエールはかえって孤立を深めていく。
流れ
1794年、フルーリュスの戦いでフランス軍が勝ち、外国との戦争は有利になった。国内の反乱もしずまり、革命がつぶされる危険は小さくなる。すると、非常時の独裁をゆるめてほしいという声が強まった。公安委員会の中でも、ロベスピエール派とほかの委員との対立が表に出ていた。国民公会の多数派は、恐怖政治がこの先も続くことに不安をいだくようになる。
1794年7月27日は、革命のときにつくられた新しい暦(革命暦)では第2年テルミドール9日にあたる。国民公会で、反対派の議員たちがいっせいにロベスピエールを非難した。ロベスピエール派はその夜、パリ市庁舎で逮捕される。翌28日、ロベスピエールは同志のサン=ジュストやクートンとともに処刑された。ロベスピエール派から権力をうばったこのできごとを、テルミドール9日のクーデタとよぶ。このクーデタを起こしたのは、バラスやタリアンら、国民公会の反対派の議員たちであった。
結果
クーデタを起こした人々は、はじめ独裁をゆるめることだけを目指していた。しかし、その後の変化は止まらなかった。1794年11月には、山岳派の拠点だった政治団体のジャコバン=クラブが閉鎖される。12月には、物価の上限を決めた法律も廃止された。各地では、クラブの人々などへの仕返しの暴力(白色テロ)が広がった。1795年8月の新しい憲法は、財産による制限のある選挙を定めた。10月には、5人の総裁と、2つの議院に分かれた議会からなる総裁政府が生まれている。この流れ全体をテルミドールの反動ともいう。
主な出来事
- 山岳派がジロンド派を追い出す
- エベール派が処刑される
- ダントン派が処刑される
- 最高存在の祭典が開かれる
- テルミドール9日のクーデタ
- ロベスピエールらが処刑される
- 共和暦3年の憲法が定められる
- 国民公会が解散し、総裁政府が始まる
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/thermidor-coup/?from=print#quiz
1794年7月27日、国民公会の多数派がロベスピエール派を倒したできごとを何というか。
- ◯ ヴァレンヌ逃亡事件
- ◯ テルミドール9日のクーデタ
- ◯ ブリュメール18日のクーデタ
- ◯ 八月十日事件
正解:テルミドール9日のクーデタ
当時の新しい暦(革命暦)でテルミドール9日にあたる日に起きたため、テルミドール9日のクーデタという。ブリュメール18日のクーデタ(新しいタブで開きます)は、1799年にナポレオン(新しいタブで開きます)が総裁政府(新しいタブで開きます)を倒したできごとである。恐怖政治の時期に力が集まり、政府の中心となった組織はどれか。
- ◯ 統領政府
- ◯ 三部会
- ◯ 総裁政府
- ◯ 公安委員会
正解:公安委員会
国民公会(新しいタブで開きます)の中の公安委員会(新しいタブで開きます)に力が集まり、ロベスピエール(新しいタブで開きます)はその中心となった。総裁政府は、クーデタのあとの1795年に生まれた政府である。1794年、ロベスピエール派の独裁をゆるめてほしいという声が強まった理由として正しいものはどれか。
- ◯ フルーリュスの戦いに勝ち、戦争が有利になった
- ◯ ナポレオンがエジプトから帰国した
- ◯ 国王一家が国外へ逃げようとして捕らえられた
- ◯ 三部会で第三身分が国民議会をつくった
正解:フルーリュスの戦いに勝ち、戦争が有利になった
外国との戦争でフルーリュスの戦いに勝ち、形勢が有利になると、非常時の独裁をゆるめてほしいという声が強まった。国王一家の逃亡は1791年、ナポレオンの帰国は1799年、国民議会(新しいタブで開きます)の成立は1789年のできごとである。クーデタのあとの1795年の憲法によってできた、5人の総裁と二院制の議会からなる政府を何というか。
- ◯ 統領政府
- ◯ 総裁政府
- ◯ 国民議会
- ◯ 公安委員会
正解:総裁政府
1795年の憲法で総裁政府が生まれた。統領政府(新しいタブで開きます)は、1799年のクーデタのあとにナポレオンがつくった政府である。
単元のポイント
- 革命暦 フランス革命(新しいタブで開きます)のときに使われた暦。テルミドールは11番目の月で、「熱月」という意味
- 恐怖政治(新しいタブで開きます) 1793〜94年、革命政府が革命裁判所などで反対派を弾圧し、物価の統制も行った政治
- 公安委員会(新しいタブで開きます) 国民公会の中につくられた委員会。恐怖政治の時期には政府の中心となった
- テルミドールの反動 このクーデタと、そのあと革命を急いで進める動きが弱まっていったこと
- 総裁政府(新しいタブで開きます) 1795年の憲法で生まれた政府。総裁は5人で、議会は二院制