ギゾー
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- パリ大学で歴史を教える学者から政治家となり、七月王政(新しいタブで開きます)のもとで大臣を務めた。
- 1840年から政府の中心となり、1847年に首相となった。財産や納める税の額で選挙権を限る制限選挙(新しいタブで開きます)を守った。
- 1848年2月、政府がパリの改革宴会(選挙の改革を求める集まり)を禁止すると二月革命(新しいタブで開きます)が起こり、ギゾーはロンドンへ逃れた。
詳しく
背景
1787年、南フランスのニームで、プロテスタント(キリスト教の宗派の一つ)の家に生まれた。弁護士だった父は、フランス革命(新しいタブで開きます)の恐怖政治(新しいタブで開きます)のさなかに処刑される。恐怖政治は、革命の敵とみなした人々を捕らえ、多くを処刑した政治である。その後、母とともにジュネーヴ(スイスの都市)へ移り、そこで教育を受けた。1805年にパリに出て法律や文学を学び、1812年にはパリ大学で近代の歴史を教える教授となった。
流れ
1814年に王政がもどると、ギゾーは政府の役人となった。そのころは、憲法で国王の力に枠をはめる立憲君主政(新しいタブで開きます)を守る立場をとった。やがて政府が、フランス革命の前のしくみを取りもどそうとする政治を強めると、ギゾーは大学の講義や文章でこれを批判していく。1830年には議員に選ばれた。この年の七月革命(新しいタブで開きます)で国王シャルル10世(新しいタブで開きます)が倒れると、新しく始まった七月王政で内務大臣となる。その後は教育を受け持つ大臣として、小学校の教育を広める法律を定めた。1840年には外務大臣となり、政府を動かす中心人物となった。1847年には首相となる。
結果
ギゾーの政府は、財産や納める税の額で選挙権を限る制限選挙を守り、選挙権を広げる改革を拒んだ。政府に反対する議員たちは、宴会の形をとった集まり(改革宴会)を開いて、選挙権を広げるよう求めた。1848年2月、ギゾーの政府がパリの改革宴会を禁止すると、これをきっかけに、七月王政を倒す二月革命が起こる。ギゾーはロンドンへ逃れ、翌年に帰国してからは歴史を書くことに力を注いだ。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/guizot/?from=print#quiz
ギゾーが政治家になる前についていた仕事は?
- ◯ パリ大学の教授
- ◯ 教会の聖職者
- ◯ 軍隊の司令官
- ◯ 銀行の経営者
正解:パリ大学の教授
ギゾーは1812年にパリ大学で近代の歴史を教える教授となった。王政がもどると政府の役人となり、のちに政治家として活躍した。ギゾーの政府が守り続けた選挙のしくみは?
- ◯ 成人男性ならだれでも投票できるしくみ
- ◯ 女性だけが投票できるしくみ
- ◯ 国王が議員を選ぶしくみ
- ◯ 財産や納める税の額で、投票できる人を限るしくみ
正解:財産や納める税の額で、投票できる人を限るしくみ
ギゾーの政府は、財産や納める税の額で選挙権を限る制限選挙(新しいタブで開きます)を守り、選挙権を広げる改革を拒んだ。1848年2月、ギゾーの政府が改革宴会を禁止したことがきっかけで起こった出来事は?
- ◯ 七月革命
- ◯ 八月十日事件
- ◯ 二月革命
- ◯ クリミア戦争
正解:二月革命
選挙の改革を求める改革宴会をギゾーの政府が禁止すると、これをきっかけに二月革命(新しいタブで開きます)が起こった。ギゾーはロンドンへ逃れた。
単元のポイント
- 七月王政(新しいタブで開きます) 1830年の七月革命で生まれた、ルイ=フィリップ(新しいタブで開きます)を国王とする政治。1848年の二月革命で倒れた
- 制限選挙(新しいタブで開きます) 財産や納める税の額などの条件で、選挙権をもつ人を限るしくみ。七月王政の末ごろ、選挙権をもつ人は二十数万人にとどまった
- 改革宴会 選挙のしくみの改革を求めて開かれた集まり。当時は政治の集会を開くことが禁じられていたため、宴会の形をとった