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ギゾー

1787〜1874年・フランス

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  1. パリ大学(だいがく)で歴史(れきし)を教(おし)える学者(がくしゃ)から政治家(せいじか)となり、七月(しちがつ)王政(おうせい)(新しいタブで開きます)のもとで大臣(だいじん)を務(つと)めた。
  2. 1840年(ねん)から政府(せいふ)の中心(ちゅうしん)となり、1847年(ねん)に首相(しゅしょう)となった。財産(ざいさん)や納(おさ)める税(ぜい)の額(がく)で選挙権(せんきょけん)を限(かぎ)る制限選挙(せいげんせんきょ)(新しいタブで開きます)を守(まも)った。
  3. 1848年(ねん)2月(がつ)、政府(せいふ)がパリの改革宴会(かいかくえんかい)(選挙(せんきょ)の改革(かいかく)を求(もと)める集(あつ)まり)を禁止(きんし)すると二月(にがつ)革命(かくめい)(新しいタブで開きます)が起(お)こり、ギゾーはロンドンへ逃(のが)れた。

詳しく

背景(はいけい)

1787年(ねん)、南(みなみ)フランスのニームで、プロテスタント(キリスト教(きょう)の宗派(しゅうは)の一(ひと)つ)の家(いえ)に生(う)まれた。弁護士(べんごし)だった父(ちち)は、フランス革命(かくめい)(新しいタブで開きます)の恐怖政治(きょうふせいじ)(新しいタブで開きます)のさなかに処刑(しょけい)される。恐怖政治(きょうふせいじ)は、革命(かくめい)の敵(てき)とみなした人々(ひとびと)を捕(と)らえ、多(おお)くを処刑(しょけい)した政治(せいじ)である。その後(ご)、母(はは)とともにジュネーヴ(スイスの都市(とし))へ移(うつ)り、そこで教育(きょういく)を受(う)けた。1805年(ねん)にパリに出(で)て法律(ほうりつ)や文学(ぶんがく)を学(まな)び、1812年(ねん)にはパリ大学(だいがく)で近代(きんだい)の歴史(れきし)を教(おし)える教授(きょうじゅ)となった。

流(なが)れ

1814年(ねん)に王政(おうせい)がもどると、ギゾーは政府(せいふ)の役人(やくにん)となった。そのころは、憲法(けんぽう)で国王(こくおう)の力(ちから)に枠(わく)をはめる立憲君主政(りっけんくんしゅせい)(新しいタブで開きます)を守(まも)る立場(たちば)をとった。やがて政府(せいふ)が、フランス革命(かくめい)の前(まえ)のしくみを取(と)りもどそうとする政治(せいじ)を強(つよ)めると、ギゾーは大学(だいがく)の講義(こうぎ)や文章(ぶんしょう)でこれを批判(ひはん)していく。1830年(ねん)には議員(ぎいん)に選(えら)ばれた。この年(とし)の七月(しちがつ)革命(かくめい)(新しいタブで開きます)で国王(こくおう)シャルル10世(せい)(新しいタブで開きます)が倒(たお)れると、新(あたら)しく始(はじ)まった七月(しちがつ)王政(おうせい)で内務(ないむ)大臣(だいじん)となる。その後(ご)は教育(きょういく)を受(う)け持(も)つ大臣(だいじん)として、小学校(しょうがっこう)の教育(きょういく)を広(ひろ)める法律(ほうりつ)を定(さだ)めた。1840年(ねん)には外務(がいむ)大臣(だいじん)となり、政府(せいふ)を動(うご)かす中心(ちゅうしん)人物(じんぶつ)となった。1847年(ねん)には首相(しゅしょう)となる。

結果(けっか)

ギゾーの政府(せいふ)は、財産(ざいさん)や納(おさ)める税(ぜい)の額(がく)で選挙権(せんきょけん)を限(かぎ)る制限選挙(せいげんせんきょ)を守(まも)り、選挙権(せんきょけん)を広(ひろ)げる改革(かいかく)を拒(こば)んだ。政府(せいふ)に反対(はんたい)する議員(ぎいん)たちは、宴会(えんかい)の形(かたち)をとった集(あつ)まり(改革宴会(かいかくえんかい))を開(ひら)いて、選挙権(せんきょけん)を広(ひろ)げるよう求(もと)めた。1848年(ねん)2月(がつ)、ギゾーの政府(せいふ)がパリの改革宴会(かいかくえんかい)を禁止(きんし)すると、これをきっかけに、七月(しちがつ)王政(おうせい)を倒(たお)す二月(にがつ)革命(かくめい)が起(お)こる。ギゾーはロンドンへ逃(のが)れ、翌年(よくねん)に帰国(きこく)してからは歴史(れきし)を書(か)くことに力(ちから)を注(そそ)いだ。

確認問題

問題 1 / 3ギゾーが政治家(せいじか)になる前(まえ)についていた仕事(しごと)は?

確認問題(解答用紙)

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  1. ギゾーが政治家(せいじか)になる前(まえ)についていた仕事(しごと)は?

    • ◯ パリ大学(だいがく)の教授(きょうじゅ)
    • ◯ 教会(きょうかい)の聖職者(せいしょくしゃ)
    • ◯ 軍隊(ぐんたい)の司令官(しれいかん)
    • ◯ 銀行(ぎんこう)の経営者(けいえいしゃ)

    正解:パリ大学の教授
    ギゾーは1812年(ねん)にパリ大学(だいがく)で近代(きんだい)の歴史(れきし)を教(おし)える教授(きょうじゅ)となった。王政(おうせい)がもどると政府(せいふ)の役人(やくにん)となり、のちに政治家(せいじか)として活躍(かつやく)した。

  2. ギゾーの政府(せいふ)が守(まも)り続(つづ)けた選挙(せんきょ)のしくみは?

    • ◯ 成人(せいじん)男性(だんせい)ならだれでも投票(とうひょう)できるしくみ
    • ◯ 女性(じょせい)だけが投票(とうひょう)できるしくみ
    • ◯ 国王(こくおう)が議員(ぎいん)を選(えら)ぶしくみ
    • ◯ 財産(ざいさん)や納(おさ)める税(ぜい)の額(がく)で、投票(とうひょう)できる人(ひと)を限(かぎ)るしくみ

    正解:財産や納める税の額で、投票できる人を限るしくみ
    ギゾーの政府(せいふ)は、財産(ざいさん)や納(おさ)める税(ぜい)の額(がく)で選挙権(せんきょけん)を限(かぎ)る制限選挙(せいげんせんきょ)(新しいタブで開きます)を守(まも)り、選挙権(せんきょけん)を広(ひろ)げる改革(かいかく)を拒(こば)んだ。

  3. 1848年(ねん)2月(がつ)、ギゾーの政府(せいふ)が改革宴会(かいかくえんかい)を禁止(きんし)したことがきっかけで起(お)こった出来事(できごと)は?

    • ◯ 七月(しちがつ)革命(かくめい)
    • ◯ 八月十日事件(はちがつとおかじけん)
    • ◯ 二月(にがつ)革命(かくめい)
    • ◯ クリミア戦争(せんそう)

    正解:二月革命
    選挙(せんきょ)の改革(かいかく)を求(もと)める改革宴会(かいかくえんかい)をギゾーの政府(せいふ)が禁止(きんし)すると、これをきっかけに二月(にがつ)革命(かくめい)(新しいタブで開きます)が起(お)こった。ギゾーはロンドンへ逃(のが)れた。

単元のポイント

  • 七月(しちがつ)王政(おうせい)(新しいタブで開きます) 1830年(ねん)の七月(しちがつ)革命(かくめい)で生(う)まれた、ルイ=フィリップ(新しいタブで開きます)を国王(こくおう)とする政治(せいじ)。1848年(ねん)の二月(にがつ)革命(かくめい)で倒(たお)れた
  • 制限選挙(せいげんせんきょ)(新しいタブで開きます) 財産(ざいさん)や納(おさ)める税(ぜい)の額(がく)などの条件(じょうけん)で、選挙権(せんきょけん)をもつ人(ひと)を限(かぎ)るしくみ。七月(しちがつ)王政(おうせい)の末(すえ)ごろ、選挙権(せんきょけん)をもつ人(ひと)は二(に)十(じゅう)数万人(すうまんにん)にとどまった
  • 改革宴会(かいかくえんかい) 選挙(せんきょ)のしくみの改革(かいかく)を求(もと)めて開(ひら)かれた集(あつ)まり。当時(とうじ)は政治(せいじ)の集会(しゅうかい)を開(ひら)くことが禁(きん)じられていたため、宴会(えんかい)の形(かたち)をとった

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  • 七月(しちがつ)王政(おうせい)(新しいタブで開きます) 1830年(ねん)の七月(しちがつ)革命(かくめい)で生(う)まれた、ルイ=フィリップ(新しいタブで開きます)を国王(こくおう)とする政治(せいじ)。1848年(ねん)の二月(にがつ)革命(かくめい)で倒(たお)れた
  • 制限選挙(せいげんせんきょ)(新しいタブで開きます) 財産(ざいさん)や納(おさ)める税(ぜい)の額(がく)などの条件(じょうけん)で、選挙権(せんきょけん)をもつ人(ひと)を限(かぎ)るしくみ。七月(しちがつ)王政(おうせい)の末(すえ)ごろ、選挙権(せんきょけん)をもつ人(ひと)は二(に)十(じゅう)数万人(すうまんにん)にとどまった
  • 改革宴会(かいかくえんかい) 選挙(せんきょ)のしくみの改革(かいかく)を求(もと)めて開(ひら)かれた集(あつ)まり。当時(とうじ)は政治(せいじ)の集会(しゅうかい)を開(ひら)くことが禁(きん)じられていたため、宴会(えんかい)の形(かたち)をとった