七月王政
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- 1830年の七月革命(新しいタブで開きます)の後、オルレアン家のルイ=フィリップ(新しいタブで開きます)を国王に迎えて始まった立憲君主政(新しいタブで開きます)。
- 選挙権は一定以上の税を納める男性に限られ、銀行家など豊かな市民が政治を動かした。
- 1848年の二月革命(新しいタブで開きます)で倒れ、ルイ=フィリップはイギリスへ逃れて第二共和政が始まった。
詳しく
背景
1830年の七月革命で、国王シャルル10世(新しいタブで開きます)の王政(復古王政(新しいタブで開きます))が倒れた。共和政を望む人々もいたが、銀行家ラフィットら自由主義(新しいタブで開きます)の政治家は、王政を残す道を選ぶ。彼らは、ブルボン家の分家にあたるオルレアン家のルイ=フィリップを国王に迎えたのである。
ルイ=フィリップは「フランス人の王」として国王の位につき、フランス革命(新しいタブで開きます)の三色旗を国旗とした。七月王政は、憲法にもとづいて国王が治める立憲君主政である。それまで憲法にあたっていた1814年の憲章も改められたが、国王はなお政府を動かす大きな力を持っていた。
流れ
七月王政のもとでは、選挙権は一定以上の税を納める男性だけに限られていた(制限選挙(新しいタブで開きます))。1831年の選挙法のもとで選挙権を持つ人は20万人ほどで、人口のわずか0.6%にすぎない。政治を動かしたのは、銀行家や大商人などの豊かな市民(上層ブルジョワジー)であった。この時代のフランスでは産業革命(新しいタブで開きます)が本格的に進み、鉄道の建設も広がっていく。1840年からはギゾー(新しいタブで開きます)が政府の中心となり、選挙権を広げる改革を認めなかった。
1845〜46年の不作で食べ物の値段が上がり、仕事を失う人も増えていく。選挙法の改正を求める人々は、「宴会」の形をとった集会(改革宴会)を各地で開いた。
結果
1848年2月、パリでの集会が禁止されると、学生や労働者が街に出てバリケードを築いた(二月革命)。ギゾーは辞めさせられ、ルイ=フィリップも孫に王位をゆずって退位する。しかし議会はこれを認めず、ルイ=フィリップはイギリスへ逃れた。こうして七月王政は倒れ、第二共和政が始まる。ルイ=フィリップは、フランス最後の国王となった。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/july-monarchy/?from=print#quiz
七月王政で国王となった、オルレアン家の人物は?
- ◯ シャルル10世
- ◯ ナポレオン3世
- ◯ ルイ18世
- ◯ ルイ=フィリップ
正解:ルイ=フィリップ
1830年の七月革命(新しいタブで開きます)のあと、自由主義(新しいタブで開きます)の政治家たちはオルレアン家のルイ=フィリップ(新しいタブで開きます)を国王に迎えた。シャルル10世(新しいタブで開きます)は、七月革命で倒された前の国王である。七月王政のもとでの選挙のしくみとして正しいものは?
- ◯ すべての成人の男女に選挙権があった
- ◯ 一定以上の税を納めた男性だけに選挙権があった
- ◯ すべての成人男性に選挙権があった
- ◯ すべての議員を国王が選んでいた
正解:一定以上の税を納めた男性だけに選挙権があった
七月王政では、選挙権は一定以上の税を納める男性に限られていた(制限選挙(新しいタブで開きます))。選挙権を持つ人は人口の1%にも満たず、選挙法の改正を求める声が高まっていった。1848年、七月王政を倒した出来事は?
- ◯ ブリュメール18日のクーデタ
- ◯ 七月革命
- ◯ 二月革命
- ◯ 普仏戦争
正解:二月革命
1848年2月、パリで改革宴会が禁止されたことをきっかけに、民衆が立ち上がった(二月革命(新しいタブで開きます))。ルイ=フィリップはイギリスへ逃れ、七月王政は倒れて第二共和政が始まった。
単元のポイント
- 制限選挙(新しいタブで開きます) 一定以上の税を納める人などにだけ選挙権を認めるしくみ。七月王政では、1831年から、1年に200フラン以上の税を納める25歳以上の男性に限られていた
- 改革宴会 七月王政の末期に、選挙法の改正を求める人々が開いた集会。集会が厳しく取りしまられていたので、宴会の形をとった
- ギゾー(新しいタブで開きます) 七月王政の後半に政府の中心となった政治家。選挙権を広げる改革に反対し、二月革命のさなかに辞めさせられた