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七月(しちがつ)革命(かくめい)

1830年・フランス(パリ)

フクロウ先生3日間(みっかかん)の市街戦(しがいせん)で国王(こくおう)軍(ぐん)はパリを失(うしな)ったのに、できたのは共和政(きょうわせい)ではなく新(あたら)しい王政(おうせい)だった。革命(かくめい)の成果(せいか)を手(て)にしたのは誰(だれ)かに注目(ちゅうもく)しよう。

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  1. 復古王政(ふっこおうせい)(新しいタブで開きます)の国王(こくおう)シャルル10世(せい)(新しいタブで開きます)は、革命(かくめい)前(まえ)に近(ちか)い社会(しゃかい)に戻(もど)そうとし、自由(じゆう)主義(しゅぎ)(新しいタブで開きます)の人々(ひとびと)と対立(たいりつ)した。
  2. 1830年(ねん)7月(がつ)、国王(こくおう)が七月勅令(しちがつちょくれい)を出(だ)すと、パリの民衆(みんしゅう)がバリケードを築(きず)いて戦(たたか)い、3日間(みっかかん)で勝利(しょうり)した(栄光(えいこう)の三日間(みっかかん))。
  3. 自由(じゆう)主義(しゅぎ)の政治家(せいじか)はルイ=フィリップ(新しいタブで開きます)を国王(こくおう)に迎(むか)えて七月(しちがつ)王政(おうせい)(新しいタブで開きます)を開(ひら)き、革命(かくめい)はベルギーの独立(どくりつ)など各地(かくち)の運動(うんどう)へ波及(はきゅう)していく。
いつ
1830年(ねん)7月(がつ)27〜29日(にち)(パリの市街戦(しがいせん))
どこ
フランス(パリ)
誰
シャルル10世(せい)・ルイ=フィリップ・ラフィット・ティエール
何
民衆(みんしゅう)の蜂起(ほうき)で復古王政(ふっこおうせい)が倒(たお)れ、七月(しちがつ)王政(おうせい)が始(はじ)まった

詳しく

背景(はいけい)

ナポレオン(新しいタブで開きます)の没落後(ぼつらくご)、フランスではブルボン家(け)が王位(おうい)に復帰(ふっき)した(復古王政(ふっこおうせい))。ルイ18世(せい)が定(さだ)めた憲章(けんしょう)は議会(ぎかい)を認(みと)めていたが、選挙権(せんきょけん)は高(たか)い税(ぜい)を納(おさ)めるごく一部(いちぶ)の人(ひと)に限(かぎ)られていた。1824年(ねん)に兄(あに)のあとを継(つ)いだシャルル10世(せい)は、亡命(ぼうめい)から戻(もど)った貴族(きぞく)やカトリック教会(きょうかい)を重(おも)んじ、革命(かくめい)前(まえ)の社会(しゃかい)に近(ちか)づけようとする政策(せいさく)をとる。これに対(たい)して、商工業(しょうこうぎょう)で力(ちから)をつけたブルジョワジーを中心(ちゅうしん)とする自由(じゆう)主義(しゅぎ)の人々(ひとびと)は、議会(ぎかい)や新聞(しんぶん)を通(つう)じて政府(せいふ)を批判(ひはん)した。1820年代(ねんだい)後半(こうはん)の不況(ふきょう)で、パリの労働者(ろうどうしゃ)や小(しょう)市民(しみん)の暮(く)らしも苦(くる)しくなっていたのである。

流(なが)れ

1829年(ねん)、シャルル10世(せい)は反動(はんどう)的(てき)な貴族(きぞく)ポリニャックを首相(しゅしょう)にすえ、議会(ぎかい)との対立(たいりつ)は深(ふか)まった。1830年(ねん)に議会(ぎかい)を解散(かいさん)して選挙(せんきょ)を行(おこな)うと、反(はん)政府(せいふ)派(は)がかえって議席(ぎせき)を増(ふ)やす。7月(がつ)、国王(こくおう)は七月勅令(しちがつちょくれい)を出(だ)して出版(しゅっぱん)の自由(じゆう)を停止(ていし)し、開会(かいかい)前(まえ)の新(あたら)しい議会(ぎかい)を解散(かいさん)して、選挙(せんきょ)のしくみを政府(せいふ)に有利(ゆうり)に変(か)えようとした。

新聞(しんぶん)の記者(きしゃ)たちは共同(きょうどう)で抗議(こうぎ)文(ぶん)を出(だ)し、国民(こくみん)に抵抗(ていこう)をよびかけた。7月(がつ)27日(にち)、パリで民衆(みんしゅう)の蜂起(ほうき)が始(はじ)まる。学生(がくせい)・労働者(ろうどうしゃ)・小(しょう)市民(しみん)は街路(がいろ)にバリケードを築(きず)き、国王(こくおう)軍(ぐん)と市街戦(しがいせん)をくり広(ひろ)げた。政府(せいふ)軍(ぐん)の一部(いちぶ)も民衆(みんしゅう)の側(がわ)に移(うつ)り、29日(にち)には蜂起(ほうき)した民衆(みんしゅう)がパリを制圧(せいあつ)した。この3日間(みっかかん)を栄光(えいこう)の三日間(みっかかん)とよぶ。

民衆(みんしゅう)のなかには、共和政(きょうわせい)を望(のぞ)む人々(ひとびと)もいた。しかし、銀行家(ぎんこうか)ラフィットやティエールら自由(じゆう)主義(しゅぎ)の政治家(せいじか)は共和政(きょうわせい)が混乱(こんらん)をまねくことを恐(おそ)れ、オルレアン家(け)のルイ=フィリップを国王(こくおう)に迎(むか)える道(みち)を選(えら)ぶ。シャルル10世(せい)は退位(たいい)し、イギリスへ亡命(ぼうめい)した。

ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』(1830年)。7月28日の市街戦を題材に、自由を女性の姿で表した寓意画(写実的な記録ではない)『La Liberté guidant le peuple』 Eugène Delacroix(画)/パブリックドメイン

結果(けっか)

1830年(ねん)8月(がつ)、ルイ=フィリップは「フランス人(じん)の王(おう)」として即位(そくい)し、七月(しちがつ)王政(おうせい)が始(はじ)まった。憲章(けんしょう)は改(あらた)められて選挙(せんきょ)資格(しかく)も緩(ゆる)められたが、有権者(ゆうけんしゃ)はなお高(たか)い税(ぜい)を納(おさ)める一部(いちぶ)の人々(ひとびと)に限(かぎ)られ、政治(せいじ)の実権(じっけん)は銀行家(ぎんこうか)などの上層(じょうそう)ブルジョワジーが握(にぎ)る。七月(しちがつ)革命(かくめい)の知(し)らせはヨーロッパ各地(かくち)に広(ひろ)がり、ベルギーはオランダからの独立(どくりつ)を宣言(せんげん)した。ポーランドやイタリアでも蜂起(ほうき)が起(お)こったが、多(おお)くは抑(おさ)えこまれた。それでもウィーン体制(たいせい)(新しいタブで開きます)は大(おお)きくゆらいだ。国内(こくない)でも七月(しちがつ)王政(おうせい)への不満(ふまん)はくすぶり、選挙法改正(せんきょほうかいせい)の運動(うんどう)が18年後(ねんご)の二月(にがつ)革命(かくめい)(新しいタブで開きます)へとつながっていく。

七月王政の国王ルイ=フィリップ(1841年の肖像)『Louis-Philippe Ier, roi des Français』 Franz Xaver Winterhalter(画)/パブリックドメイン

主な出来事

  1. ブルボン朝(ちょう)の復古王政(ふっこおうせい)が始(はじ)まる
  2. シャルル10世(せい)が即位(そくい)
  3. ポリニャック内閣(ないかく)が成立(せいりつ)
  4. 七月勅令(しちがつちょくれい)
  5. パリで蜂起(ほうき)が始(はじ)まる(栄光(えいこう)の三日間(みっかかん))
  6. 蜂起(ほうき)した民衆(みんしゅう)がパリを制圧(せいあつ)
  7. ルイ=フィリップが即位(そくい)し、七月(しちがつ)王政(おうせい)が始(はじ)まる
  8. ベルギーが独立(どくりつ)を宣言(せんげん)

確認問題

問題 1 / 4七月(しちがつ)革命(かくめい)のきっかけになった出来事(できごと)は?

確認問題(解答用紙)

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  1. 七月(しちがつ)革命(かくめい)のきっかけになった出来事(できごと)は?

    • ◯ 三部会(さんぶかい)の招集(しょうしゅう)
    • ◯ 七月勅令(しちがつちょくれい)の発布(はっぷ)
    • ◯ ヴァレンヌ逃亡事件(とうぼうじけん)
    • ◯ 大陸封鎖令(たいりくふうされい)の発布(はっぷ)

    正解:七月勅令の発布
    シャルル10世(せい)(新しいタブで開きます)が出版(しゅっぱん)の自由(じゆう)を停止(ていし)し、開会(かいかい)前(まえ)の新(あたら)しい議会(ぎかい)を解散(かいさん)する七月勅令(しちがつちょくれい)を出(だ)すと、新聞(しんぶん)記者(きしゃ)やパリの民衆(みんしゅう)が反発(はんぱつ)した。ほかの3つはフランス革命(かくめい)(新しいタブで開きます)やナポレオン時代(じだい)(新しいタブで開きます)の出来事(できごと)である。

  2. 七月(しちがつ)革命(かくめい)のあと、国王(こくおう)となった人物(じんぶつ)は?

    • ◯ ルイ=フィリップ
    • ◯ ルイ=ナポレオン
    • ◯ ルイ18世(せい)
    • ◯ シャルル10世(せい)

    正解:ルイ=フィリップ
    自由(じゆう)主義(しゅぎ)(新しいタブで開きます)の政治家(せいじか)は共和政(きょうわせい)を避(さ)け、オルレアン家(け)のルイ=フィリップ(新しいタブで開きます)を国王(こくおう)に迎(むか)えた。シャルル10世(せい)は七月(しちがつ)革命(かくめい)で退位(たいい)した国王(こくおう)、ルイ18世(せい)は復古王政(ふっこおうせい)(新しいタブで開きます)の最初(さいしょ)の国王(こくおう)、ルイ=ナポレオン(新しいタブで開きます)は1848年(ねん)の二月(にがつ)革命(かくめい)(新しいタブで開きます)のあとに大統領(だいとうりょう)となった人物(じんぶつ)である。

  3. 1830年(ねん)、七月(しちがつ)革命(かくめい)の影響(えいきょう)でオランダから独立(どくりつ)を宣言(せんげん)した国(くに)は?

    • ◯ スイス
    • ◯ ポーランド
    • ◯ ベルギー
    • ◯ ギリシア

    正解:ベルギー
    ベルギーは1830年(ねん)に独立(どくりつ)を宣言(せんげん)し、のちに列強(れっきょう)に認(みと)められた。ポーランドでも蜂起(ほうき)が起(お)きたが、ロシアに鎮圧(ちんあつ)された。ギリシアはオスマン帝国(ていこく)から独立(どくりつ)した国(くに)である。

  4. 次(つぎ)の出来事(できごと)を起(お)きた順(じゅん)に並(なら)べよう。

    • ( )七月勅令(しちがつちょくれい)
    • ( )ウィーン議定書(ぎていしょ)
    • ( )ポリニャック内閣(ないかく)
    • ( )ルイ18世(せい)の即位(そくい)

    正解:ルイ18世の即位 → ウィーン議定書 → ポリニャック内閣 → 七月勅令
    ルイ18世(せい)の即位(そくい)(1814年(ねん))→ウィーン議定書(ぎていしょ)(1815年(ねん))→ポリニャック内閣(ないかく)の成立(せいりつ)(1829年(ねん))→七月勅令(しちがつちょくれい)(1830年(ねん))。

単元のポイント

  • 復古王政(ふっこおうせい)(新しいタブで開きます) ナポレオンの没落後(ぼつらくご)に戻(もど)ったブルボン朝(ちょう)の王政(おうせい)(1814〜30年(ねん))
  • 七月勅令(しちがつちょくれい) 1830年(ねん)7月(がつ)、シャルル10世(せい)が出(だ)した勅令(ちょくれい)。出版(しゅっぱん)の自由(じゆう)を停止(ていし)し、開会(かいかい)前(まえ)の新(あたら)しい議会(ぎかい)を解散(かいさん)し、選挙(せんきょ)のしくみを改(あらた)めようとした
  • 栄光(えいこう)の三日間(みっかかん) 1830年(ねん)7月(がつ)27〜29日(にち)のパリの市街戦(しがいせん)。民衆(みんしゅう)が国王(こくおう)軍(ぐん)を破(やぶ)った。光栄(こうえい)の三日間(みっかかん)ともいう
  • 七月(しちがつ)王政(おうせい)(新しいタブで開きます) ルイ=フィリップの王政(おうせい)(1830〜48年(ねん))。選挙(せんきょ)資格(しかく)はやや広(ひろ)がったが、なお高(たか)い税(ぜい)を納(おさ)める一部(いちぶ)の人々(ひとびと)に限(かぎ)られた
  • ベルギーの独立(どくりつ) 七月(しちがつ)革命(かくめい)の影響(えいきょう)を受(う)けて、1830年(ねん)にオランダからの独立(どくりつ)を宣言(せんげん)した
問題を解く
単元のポイント
  • 復古王政(ふっこおうせい)(新しいタブで開きます) ナポレオンの没落後(ぼつらくご)に戻(もど)ったブルボン朝(ちょう)の王政(おうせい)(1814〜30年(ねん))
  • 七月勅令(しちがつちょくれい) 1830年(ねん)7月(がつ)、シャルル10世(せい)が出(だ)した勅令(ちょくれい)。出版(しゅっぱん)の自由(じゆう)を停止(ていし)し、開会(かいかい)前(まえ)の新(あたら)しい議会(ぎかい)を解散(かいさん)し、選挙(せんきょ)のしくみを改(あらた)めようとした
  • 栄光(えいこう)の三日間(みっかかん) 1830年(ねん)7月(がつ)27〜29日(にち)のパリの市街戦(しがいせん)。民衆(みんしゅう)が国王(こくおう)軍(ぐん)を破(やぶ)った。光栄(こうえい)の三日間(みっかかん)ともいう
  • 七月(しちがつ)王政(おうせい)(新しいタブで開きます) ルイ=フィリップの王政(おうせい)(1830〜48年(ねん))。選挙(せんきょ)資格(しかく)はやや広(ひろ)がったが、なお高(たか)い税(ぜい)を納(おさ)める一部(いちぶ)の人々(ひとびと)に限(かぎ)られた
  • ベルギーの独立(どくりつ) 七月(しちがつ)革命(かくめい)の影響(えいきょう)を受(う)けて、1830年(ねん)にオランダからの独立(どくりつ)を宣言(せんげん)した