ルイ=フィリップ
30秒でつかむ
- 1773年、ブルボン家の分家オルレアン家に生まれ、フランス革命(新しいタブで開きます)では初め革命の側に立った。
- 1830年の七月革命(新しいタブで開きます)のあと「フランス人の王」として即位し、七月王政(新しいタブで開きます)を始めた。
- 治世の後半は選挙権を広げる改革を拒み、1848年の二月革命(新しいタブで開きます)で退位してイギリスへ逃れた。
詳しく
背景
1773年、パリで生まれた。家は、フランスの王家ブルボン家の分家にあたるオルレアン家である。父のオルレアン公(オルレアン家の当主)は、身分にとらわれない考えを持つ貴族で、フランス革命に協力した。ルイ=フィリップも革命が始まると、革命派の集まりであるジャコバン・クラブに入った。革命戦争では、革命軍を指揮する将校として外国の軍と戦っている。しかし1793年、上官の将軍が革命政府にそむく計画を立てると、ルイ=フィリップもこれに加わった。計画は失敗し、彼は国外へ逃れる。同じ年、父は処刑されている。
流れ
ルイ=フィリップは、その後およそ20年、ヨーロッパの各地やアメリカで暮らした。1814年に王政がもどる(王政復古)と、フランスへ帰る。このあと1830年まで続く王政を復古王政(新しいタブで開きます)という。彼は、個人の自由を重んじてこの王政に反対した自由主義(新しいタブで開きます)の人々とも親しくした。やがて、その支えとなる人物として知られるようになる。
1830年の七月革命で、パリの民衆が立ち上がり、国王シャルル10世(新しいタブで開きます)は王位を追われた。国王のいない共和政を恐れた銀行家ラフィットら自由主義の政治家は、ルイ=フィリップを国王に推す。8月、彼は議会から「フランス人の王」の呼び名を受けて即位した。この王政を七月王政という。
結果
選挙権は、一定額以上の税を納める男性に限られていた(制限選挙(新しいタブで開きます))。王は1840年から政治家ギゾー(新しいタブで開きます)を政府の中心に置き、選挙権をさらに広げる改革を拒む。不況も重なって、人々の不満が高まっていく。1848年2月、改革を求める集会が禁止されたことから二月革命が起こると、王は孫に王位を継がせようとして退位した。しかし王政は廃止され、彼はイギリスへ逃れる。1850年、その地で亡くなった。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/louis-philippe/?from=print#quiz
ルイ=フィリップが国王になるきっかけとなった、1830年の出来事は?
- ◯ 二月革命
- ◯ 七月革命
- ◯ ウィーン会議
- ◯ ナポレオンの退位
正解:七月革命
1830年の七月革命(新しいタブで開きます)で、国王シャルル10世(新しいタブで開きます)は王位を追われた。銀行家ラフィットら自由主義(新しいタブで開きます)の政治家がルイ=フィリップを国王に推した。彼は議会から「フランス人の王」の呼び名を受けて即位し、七月王政(新しいタブで開きます)が始まった。ルイ=フィリップが生まれた、ブルボン家の分家にあたる家は?
- ◯ ハプスブルク家
- ◯ オルレアン家
- ◯ ホーエンツォレルン家
- ◯ ボナパルト家
正解:オルレアン家
ルイ=フィリップは、フランスの王家ブルボン家から分かれた家(分家)であるオルレアン家に生まれた。父のオルレアン公はフランス革命(新しいタブで開きます)に協力したが、1793年に処刑された。1848年の二月革命のあと、ルイ=フィリップはどうなったか?
- ◯ 皇帝の位についた
- ◯ パリで処刑された
- ◯ イギリスへ逃れた
- ◯ 議会の議長になった
正解:イギリスへ逃れた
二月革命(新しいタブで開きます)が起こると、ルイ=フィリップは孫に王位を継がせようとして退位した。しかし王政そのものが廃止され、彼はイギリスへ逃れて、1850年にその地で亡くなった。
単元のポイント
- オルレアン家 フランスの王家ブルボン家の分家にあたる家。ルイ=フィリップの父はオルレアン公で、革命に協力したが1793年に処刑された
- 「フランス人の王」 ルイ=フィリップが議会から受けた王の呼び名。三色旗の国旗とともに、新しい王政がフランス革命につながることを示した
- ギゾー(新しいタブで開きます) 七月王政の後半に政府の中心となった政治家。国王の信頼を受け、選挙権を広げる改革に反対した