復古王政
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- 1814年にナポレオン(新しいタブで開きます)が皇帝の位をしりぞくと、ルイ18世が即位し、フランスにブルボン家の王政がもどった。
- ルイ18世は憲法にあたる憲章を出し、法の前の平等(新しいタブで開きます)や財産を守る権利など、革命の成果を認めた。
- 次のシャルル10世(新しいタブで開きます)は革命前に近い政治を進め、1830年の七月革命(新しいタブで開きます)でブルボン家の王政は倒れた。
詳しく
背景
1789年に始まったフランス革命(新しいタブで開きます)で王政は倒れ、国王ルイ16世(新しいタブで開きます)は処刑された。その後、ナポレオンが皇帝となって国を治める。しかし1814年3月、ナポレオンと戦う国々の軍がパリに入った。ナポレオンは皇帝の位をしりぞき、地中海のエルバ島へ送られた。このとき王に迎えられたのが、革命中に国外へ逃れていたルイ16世の弟である。1589年からフランスの王位を受け継ぎ、革命で王位を失っていたこの王家を、ブルボン家という。
流れ
1814年4月、ルイ16世の弟はルイ18世として王の位につき、ブルボン家の王政がもどった。こうして始まった王政を復古王政という。ルイ18世は6月に、憲法にあたる憲章を出す。憲章は王の位を神聖なものとしながら、法の前の平等や財産を守る権利など、革命の成果を認めていた。フランスは、王が憲章に従って国を治める立憲君主制(新しいタブで開きます)の国となる。1815年3月、ナポレオンがエルバ島からフランスにもどると、王は国外へ逃れた。ナポレオンがふたたび国を治めたこの期間を、百日天下とよぶ。ナポレオンがワーテルローの戦いで敗れると、王は7月にパリへもどった。同じ年の選挙では、革命前の社会にもどそうとする過激王党派が勝っている。
結果
1824年にルイ18世が亡くなると、過激王党派の中心だった弟がシャルル10世として王の位についた。新しい王は、革命のときに国外へ逃れた貴族(亡命貴族)に、取り上げられた土地の代わりに国がお金を払う法律をつくった。さらに1830年7月には、出版の自由を停止し、選挙のしくみを変える命令(七月勅令)を出す。これに反発したパリの民衆が立ち上がり(七月革命)、復古王政は倒れた。
確認問題
確認問題(解答用紙)
スマホやタブレットで読み取ると、この問題をその場で解けます。
https://manazoo.com/history/bourbon-restoration/?from=print#quiz
1814年に王となり、フランスにブルボン家の王政をもどした人物は?
- ◯ ルイ18世
- ◯ ルイ16世
- ◯ ルイ=フィリップ
- ◯ シャルル10世
正解:ルイ18世
ナポレオン(新しいタブで開きます)が皇帝の位をしりぞいた1814年、ルイ16世(新しいタブで開きます)の弟がルイ18世として王の位につき、ブルボン家の王政がもどった。1814年にルイ18世が出し、法の前の平等なども定めたものは?
- ◯ 権利の章典
- ◯ ナポレオン法典
- ◯ 憲章
- ◯ 人権宣言
正解:憲章
ルイ18世は1814年6月に憲章を出した。この憲章は、王の位を神聖なものとしながら、法の前の平等(新しいタブで開きます)や財産を守る権利など、革命の成果を認めていた。1830年、パリの民衆が立ち上がり、復古王政を倒した出来事は?
- ◯ 七月革命
- ◯ 百日天下
- ◯ テルミドールのクーデタ
- ◯ 二月革命
正解:七月革命
シャルル10世(新しいタブで開きます)が出版の自由を停止し、選挙のしくみを変える命令(七月勅令)を出すと、1830年7月にパリの民衆が立ち上がった。この七月革命(新しいタブで開きます)で復古王政は倒れた。
単元のポイント
- ブルボン家 1589年からフランスの王位を受け継いだ王家。ルイ16世もこの家の王で、革命で王位を失った
- 憲章 1814年にルイ18世が出した憲法。王の位を神聖なものとしながら、法の前の平等なども定めた
- 百日天下 1815年、エルバ島を抜け出したナポレオンが、ふたたびフランスを治めた約100日間
- 過激王党派 王を支持する人々のうち、革命前の社会にもどすことを強く求めた人々